2017年03月11日

映画「フラガール」感想

 舞台は昭和40年の福島県いわき市常磐地区。
 石油の時代になっても変わることが出来ない炭鉱の人々と、変化を受け入れて生き抜く方法を見つけようとする人々、それぞれの苦しみが丁寧に描かれている。
 途中の展開はベタ過ぎてう〜んという感じだったけど、松雪泰子と蒼井優のダンスはすごく良かった。
 生身の肉体だけが表現出来る「何か」が伝わってきて、実写映画の醍醐味はこういう部分だよな〜と思った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:31| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

映画「花とアリス殺人事件」感想



 中学生の頃の、心の過剰な部分を平気で人前に出してしまう感じとか、女の子(同性)の近さ、男の子(異性)の遠さとか、企みがうまく進まないところとか、その中でふと拾う「ちょっとだけ素敵な瞬間」とか、沢山覚えていたはずの、でも普段は心の奥底に沈んでいる気持ちを次々刺激されて、切なく楽しかった。

 「花とアリス」も見ているので、つながりが嬉しい。
 おっとりしていて優しい風子ちゃん。
 愛情の示し方が毎回間違っている花。

 花の「好き」という気持ちはいつもすごく強いのだけど(だからこそ?)その出し方が変なんだよね。
 けっこうな策士で、でも策略が微妙に雑で。
 その不器用さは若い頃の自分を思い出させる。

 ささやかな出来事を描いた、それほど長くない物語。
 それでも、ありきたりな感動とは違うものが得られて充実感がありました。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:07| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

鮭とイクラのちらし寿司

「ちらし寿司を作って欲しい」
 とDちゃんに言われたのだけど、これまでにあまり食べた記憶がなく、私の中にはちらし寿司のイデアがなかった。

 ちらし寿司はよく分からないけど、鮭とイクラをご飯に混ぜたら美味しそうだなぁ。
「それはちらし寿司ではあらない。混ぜご飯である。イクラも潰れるであろう。よろしい。あたしが諸君でも作れるちらし寿司を教えてあげよう」
 と騎士団長が言ったとか言わなかったとか。

【作り方】
1、米2合を研いで炊飯器の目盛りまで水を入れ、大さじ1(日本酒の分)を取り除く。
2、米の上に刺身用の鮭の切り身1パック分と、小さめに切った昆布(だし用)を載せる。
3、日本酒大さじ1と塩少々を振り、炊込みご飯の設定で炊く。
4、炊き上がったら鮭を崩してご飯に混ぜる。
5、鮭ご飯を丼によそい、醤油漬けのイクラ、千切りのシソの葉、白ごま、ちぎった海苔をかける。

 白ごまがポイントで、これを加えると味のバランスが整って美味しさがぐっと増します。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:59| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

村上春樹「騎士団長殺し」感想

 2月24日の発売からこの10日間、怯え、逃げ惑うようにして暮らしてきました。
 ネタバレが怖くて……!
 推理小説の犯人を教えられるのは全く平気なのだけど、村上春樹の小説の内容だけは、村上春樹の文章によって知りたいのです。ほんのささいなことであっても。

 最近は新刊が出るたびにお祭り騒ぎになってしまって、無神経に情報が飛び交うから本当に困る。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の発売直後、新幹線内の電光掲示板でネタバレされ、
「敵というのはどこに潜んでいるか分からないな」
 と恐ろしく思ったのでした。

 今回もラジオで、
「村上春樹さんの新刊が」
 という言葉を聞くたびドキィィ!としつつ、どうにか無事、事前情報一切なしのまま最後まで読み切ることが出来たので、感想書きますね。

 私が最も心躍らせたのは、主人公が絵を描く場面。
 プロの絵描きで、それ以外特にやれることはない、という設定なので、長い物語の最初から最後までひたすら絵を描いている(多少は他のこともする。料理とか冒険とか)

 私は絵を見るのが大好きなので、画材の描写を読むだけでも幸せな気持ちになる。
 どうやって描き始めるか、描いたものをどのように最善のものに近付けていくか。
 それはきっと村上春樹が小説を書く時に感じていること、これまでに学んできたこと、なのだと思う。

 自分の小説書きに生かせると良いなぁと思いながらじっくり読んだ。

 そして! 何より言わなければいけないのは!
 騎士団長が可愛い!!

 鈴が鳴り始めるあたりは怪談のようで怖かった。
 何が起こるのよ〜 と思っていたら。
 可愛い奴出てきた〜♪

 Dちゃんの前で騎士団長のものまね(免色さんの家で「返答を先延ばしにしろ」とジェスチャーで伝える場面)をしたら、
「まるで見てきたみたいだね」
 と言われた。うん。見てきたよ!

 一番笑ったのは、主人公が「顔なが」に「即興で暗喩を言ってみろ」と迫る場面。
 村上春樹の比喩表現の総括のようだった。

 全体的に見て、そんなに必死こいて読むべきような話ではなく、文庫化されてから家事の合間にのんびり少しずつ読んでいきたかったな〜 とちょっぴり後悔。

 本屋さん的には売り上げのためにお祭り騒ぎになった方がありがたいのかもしれない。
 でも、長期的に見たら、ベストセラーになって、作風に馴染めない人がうっかり手に取ってしまう機会が増えて、
「どこが面白いのか分からない」
 という感想があちこちに出回って、本当に村上春樹の作品を求めている人が、
「村上春樹は面白くないのか」
 と先入観を持ってしまって手に取らない、ということになったら、出版社・本屋・作者・読者全てにとって大きな損失だよなぁ、と心配になる。

 ベストセラーが必ず万人受けする内容であるとは限らない。
 物語と読者が上手く出会うにはどうすれば良いのだろう、とずっと考え続けているのだけれど、答えは出ない。

 この物語を求めている人に、ちゃんとこの本が届きますように。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:32| 読書 | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

「草間彌生 わが永遠の魂」展感想

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 国立新美術館で開催中の草間彌生展に行ってきました〜

 館内に入ってすぐ、行列が見えた。
「平日なのに並んでる……!!」
 と驚愕したのですが、それはグッズ売り場の会計の列でした。
 展示には並ばずすっと入れてホッ。

 草間彌生本人のコメントが聞けるというので音声ガイドを借りてみた。

 最初の部屋にあった「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」と題された富士山の絵と、次の体育館みたいに大きな部屋いっぱいに飾られた連作「わが永遠の魂」を見ている間、ずーっと涙ぐんでいた。
 この人が生き抜いたことに、うわーっとなった感じ。

「幼少期から幻覚や幻聴に悩まされ、水玉や網目模様をモティーフとした絵を描き始めました」
(「ごあいさつ」の文章から引用)

 私にも幻覚の症状がある。
 私を攻撃してくるような幻ではないので治療したことはないけれど(これが治ってしまったら生きていけない)そっちの世界に意識が行ってしまうと仕事や家事がおろそかになるので、効率的に生きるためには「余分なもの」と言えるだろう。

 草間の幻覚は草間を苦しめる内容だったのだと思う。
 それを「芸術」という形にして幻覚と戦った。
 彼女が戦いに負けなかった証が、この巨大で色鮮やかな作品群だ。

「心に余分なものが湧いてくる人」
 が全員草間彌生のようになれる訳ではない。
 しかしその「余分」を別の何かにすることで、苦しみを喜びに変えていく方法があるのではないかと思うのだ(私の場合は小説です)

 連作「わが永遠の魂」は一つ一つの作品を細かく見ていくのも楽しい。
 人間の描き方がコミカルで可愛らしく、
「ちびまる子ちゃんに出て来そう」
 と言っている人がいた。確かに。
「わたしは漫画家になりたい」
 というタイトルの作品もあったりする。

 部屋全体を見渡して草間世界を全身で感じると、精神が温泉に浸かるような効果がある。

 ぎゅうぎゅうではないにしろ、平日とは思えないほど来場者数は多い。
 外国からの旅行者も少なくない。
 みな草間彌生に心惹かれてやって来たのだと思うと嬉しくなる。

「あれが好き!」
 と絵を指差しながら語り合う母娘。
「楽しかった!」
 と言い合いながら部屋を出る若い男の子2人。

「これで第一部なんでしょ?」
「信じられない!」
 と感嘆している人たちが。
 うん、見ごたえすごいね。

 次の部屋では子供の頃に描いた絵など初期作品が集められている。
 黒い点々やからみ合う植物など、描こうとしているものは現在と全く変わらない。
 ただ色彩は薄暗く、本当に必要な表現方法を探している状態だったのだろう。

 音声ガイドでは草間が父母への思いを歌にして歌っていて、それが昭和歌謡っぽいメロディーで、そうだよなぁ、これだけポップな作品を作っていても母や伯母たちと同じくらい(昭和はじめの生まれ)なんだよなぁ、と微笑んだ。

 ニューヨークに渡った後の作品は一転、草間彌生らしさが消える。
 アメリカの現代アート展のようだ。
 この時(1960年代)に草間はポップ・アートやミニマル・アートの手法を取り入れたらしい。
 白地に赤の網目を描いた絵画「No.X」はどこか千代紙のような和風の趣きがある。

 細江英公(三島由紀夫の写真集「薔薇刑」を撮影した写真家)によるパフォーマンスの記録(カラースライド)も見ることが出来た。
 力強いパフォーマーというより、パフォーマンスをしないと(経済的にではなく精神的に)生きていけないか弱い少女が写っている気がした。

 日の光が注ぐ明るい展示室に、大きなかぼちゃの立体作品があった。
 音声ガイドによると、草間は実家の畑でかぼちゃに愛着を抱いた。
 悲惨でみじめな子供時代、かぼちゃが心を慰めてくれた。
 かぼちゃに描かれた水玉は、かぼちゃの表面の突起を表しているという。

 草間にとって「水玉」とは何なのだろうか。
 彼女は「水玉を描いたらおしゃれ」と考えて水玉をモティーフにした訳ではないと思う。

 おそらく当たり前のように、世界中に水玉が見えていたのだ。
 彼女が見ている世界をそのまま見ることは出来ない。
 作品=見えているもの、でもないだろう。
 具体的には分からないが、子供時代に水玉は、彼女に「恐怖を与えるもの」として現れたのではないか。

 草間のかぼちゃを形取った作品は、心から生じ心を苦しめる水玉(幻覚)と、心の外側にあり心を慰めてくれる愛らしいものが一体化したものだ。
 これは大きな救いの形であるように感じた。

 彼女は水玉を描くことで水玉と戦い、勝ち続けなければいけない。
 かぼちゃのような愛らしいものたちが、その戦いを支えている。
 水玉も気が付けば愛らしくなり、草間の味方となって戦っている。

 電飾がちりばめられている鏡張りの部屋「生命の輝きに満ちて」に入るのは本当に楽しい体験だった。
 上にも、下にも、横にも、無限に光の粒が広がっている。
 宇宙に似ているが、心の中にある宇宙の方が近い。
 難しいことは考えずに「綺麗〜」とつぶやき幸せな気持ちになる。

 音声ガイドの最後の詩の朗読から一部引用する。

「死が待ちかまえていても構うものか」
「死よもう私に語りかけないで」


 草間彌生は若い頃から何度も自殺未遂を繰り返した。
 老いた先にある「死」以上に、
「死にたい」
 という気持ちが彼女を脅かし続けた。

 死に追いかけられている人間が、死を振り払うために歩んだ道。
 その激しい生。
 希死と老衰という二つの死に迫られた現在の草間彌生が放つ閃光は恐ろしく眩しく、美しく、優しい。

 自分を生み出した宇宙への畏敬の念を表したいと草間は言う。
 あんなにも苦しんだのに、この宇宙や生きることを憎んではいないのだ。

 展示場を出たところにある「オブリタレーションルーム」でチケットを見せると……

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 シールがもらえる。
 これを好きな場所に貼って良いらしい。

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 こんな感じになっている。
 私は思わず床の汚れを隠すように貼ってしまって、
「主婦だ」
 と思った。

 私のように心に「余分なもの」を抱えた人たちが、この展示を見て励まされると良いなと思った。
 自分なりの変換方法(絵、音楽、言葉など)を見つけて、一緒に生き抜いてゆこうよ。
 どこかで私は、あなたの作品を見るかもしれない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:37| 美術 | 更新情報をチェックする