2011年11月14日

更新のお知らせ

イベント情報や作者紹介の文章をちょこちょこいじりました。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:42| 更新のお知らせ | 更新情報をチェックする

新居の掃除

 今日は新居に行って掃除をして来ました。

 掃除機をかけたり、雑巾で床をふいたり、洗面台のカビ取りをしたり。
 細かいところまでじっと見て、一見綺麗そうだったのに実は真っ黒で、ギャーッとなったり。
 コシコシとその汚れをこすったり。

 そうしているうちに、よそよそしかった家が、だんだん「自分の家」だと感じられるようになる。
 迷いに迷って買った照明も届いて、そのやわらかい光に二人とも大満足。

 引っ越そうと決めた時、
「人生は旅なんだ」
 と思うことにした。

 この土地で、美味しいものを食べて、面白いものを見て、いっぱい笑うのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:17| 料理以外の家事 | 更新情報をチェックする

2011年11月11日

今日の出来事

その1
 引越し関連の情報を印刷中、プリンタを破壊した。
 紙詰まりを起こしたのでグイグイと無理に紙を引っ張ったら、そのまま反応しなくなっちゃったのだ。
 Dちゃんに話したら、
「のりは機械に厳しいからなぁ……」
 と呆れられた。

その2
 日本の大手ビール会社が出しているカシス入りのビール風飲料を飲んだ、途端に、
「クリークじゃな〜い!!」
 と叫んだ。
 明らかにクリーク(天然酵母ビールにサクランボを加えて作るベルギーのお酒)の劣化コピー。
 これしか知らなければ美味しく飲めたかもしれないけど、クリークを思い出すとものすごくまがいものっぽい。
 あの深い酸味は、赤ワインのような重い味わいはどこにあるの?!
 クリーク飲みてぇ!! ……と無駄に飢える。
 中途半端な飲みもの買って来ないで、普通にクリークを買ってきて下さい>Dちゃん
 
その3
 そのDちゃんの話。
 会社の帰り、ビルのエスカレーターに乗っていたら、反対側の方に乗っていた外国人たちが、
「風林火山 is here! 風林火山 is here!」
 と繰り返し主張していたそう。
 いったいどんな意味なんだろうか、と夕食の席で盛り上がる。
 Dちゃんを見て、武田信玄と間違えた…… わけじゃないよな。
 鎧着てないし。

 引越しは一週間後に迫り、荷造りは一箱も出来てない(事務手続きだけで手一杯)
 そんな日々です。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:39| 家族 | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

セロニアス・モンク

 今年知ったミュージシャンの中で最高だったのは、セロニアス・モンクです。
 ぜひ紅白出場を!
 1982年に亡くなってますけど。
 発見するのが遅いんだよなぁ……

 変な和音を変なタイミングでガーンゴーンと弾く、奇妙なジャズピアニスト。
 CDを聴いていると、
「よく『ただの下手クソな人』と間違えられなかったな〜」
 と感心します。

 色々変なのに、何故か全く不愉快ではなくて、独特の快感がある。
 不協和音をバーンと鳴らして聴衆をハッとさせ、
「何か今、とんでもない音出さなかった?!」
 とピアノを見つめた時には、しれっと何事もなかったように次の音楽が生まれている。

 誰も見つけられなかった、心地よい和音が続いて、
「さっきのは聞き間違いだったのかなぁ……?」
 と首を傾げた瞬間、また空間を歪ませる不協和音。
 無茶苦茶なアクセントのメロディー。
 えー それでいいのー?!

 香りの強い、使いにくいスパイスのような音。
 一緒に演奏するミュージシャンは大変だったのではないか。
 だって、どんなに派手なソロを取ったって、結局はモンク味になっちゃうんだもの。

 今年は公私ともに事件が多くて疲れましたが、彼の型破りな音楽にずいぶん癒されました。
 自由な気持ちになれるから。
 芸術は荒唐無稽に限るぜ。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:26| 音楽 | 更新情報をチェックする

ショーン・タン

 オーストラリアの絵本作家、ショーン・タンの作品を二つ紹介します。

「アライバル」
 絵だけで語られる移民の物語です。
 「邪悪な何か」に包まれてしまった故郷を捨て、男は出稼ぎのような形で新しい街におもむく。
 船に乗っても、宿に着いても、家に残してきた妻と娘のことが頭から離れない。
 そこは不思議な街で、どの人も小さな怪獣のようなペットを連れている。
 慣れない言葉、食べ物、習慣。
 男は不安を感じながらも、親切な人々に助けられながら、生活を始める……

 まず、絵の饒舌さに驚きます。
 出発前、男の手に奥さんの手がそっと重なる時の、温もり、悲しさ、寂しさ。
 その感触がまるで自分の記憶であるかのように、こちらに伝わってくるのです。

 街の人たちが優しいのは、自分たちも移民で、つらい過去があるから。
 男が困っているのを見ると、話しかけずにはいられない。
 そこには上辺だけの同情ではない、切実な共感がある。

 震災で県外に避難した人(避難する予定の人・避難しようか迷っている人)に、この本を読んでもらいたいな…… と思った。
 新しい土地でも、きっと素敵なことがある、と思えるはずだから。
 私も一応避難民なので(「邪悪な何か」にばっちりやられちゃいましたから。びっくりよ)門出を祝ってもらったような、とても前向きな気持ちになれました。

「遠い町から来た話」
 こちらは文章ありの短編集。
 翻訳は岸本佐知子さんです。

 「アライバル」に比べると、明るくモダンな雰囲気。
 「アライバル」は「ぼくの両親に」という言葉が巻頭にあり(作者のお父さんも移民である)一世代前の、古風でロマンチックな世界を目指している。
 それに対し「遠い町から来た話」は「ポールへ」という手書き文字で始まっていて(ポールはおそらくお兄さん)同時代の「兄さんとぼく」の世界の不思議を描いている。

 どの話も良いのだけど、特に私が気に入ったのは「エリック」
 エリックというのは、クルミやピーナッツをカバンのように提げている、小さな交換留学生。
 これがねー もうねー 破壊的に可愛い。
 黒くてペラッとしたピクミン、と言って分かってもらえるかどうか。

 主人公の「ぼく」はエリックに楽しんでもらおうと、街のあちこちに連れてゆく。
 しかしエリックは、主人公が見せたいものではなく、地面に落ちている王冠やボタンばかりに興味を示す。
 気持ちがうまく噛み合わないことに、イライラしていると……

 私もオーストラリアでショートホームステイをしたことがあるので、その時の楽しかった気持ちを思い出しました。
 折り紙を折ったら、無口なお父さんが、
「You are clever!(器用だね!)」
 と言ってくれたこととか。

 泊めてくれたお家の人も、学校の生徒たちも、みんなおおらかで、良くしてくれた。
「さすがに自然や資源が豊かな国は、おっとりしているなー 何も無いところから金をひねり出さなきゃいけない日本とは大違いだぜ」
 なんてその時には思ったのですが、移民の多いオーストラリアの「お国柄」だったのかもしれない。

 「アライバル」も「エリック」も、異質なものに対する寛大さにあふれている。
 日本には決定的に欠けているものなので、羨ましく、見習いたいと感じました。

 二冊とも、クリスマスプレゼントにぴったりだと思うの!
 ぜひぜひ、本屋で開いてみてください。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:11| 読書 | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

フィクションを読む理由

 下の記事のお客さんはもう一つ面白いことを言っていた。
「フィクションを読む理由が知りたいんです」
 なんとその人は、小説を全く読まないそう。

 かなりディープな文学オタクが集まっているはずの文学フリマで、小説を読まないってどういうこと?!
 私はちょっとパニックになり、漫画は読むんですか、映画は見るんですか、と質問攻めにした。
 で、彼が、
「フィクションは読まないが、ノンフィクション(詳しく聞かなかったけど、評論や研究書だろうか)は大量に読む」
 ということが分かった。

 なるほど、なるほど。
 それなら文学フリマに来ていてもおかしくない。
 私もノンフィクション大好きです。
 旅行記とか、科学解説本とか、女装入門書とか。

 こんなに現実が面白いのだから、別にウソ話をわざわざ読まなくてもいいよね。
 と思う時が、正直自分にもある。
 でもやっぱり読んじゃうのだ。
 何でだろう?

 パニクった私はあんまり上手な答えを思いつかなくて、
「えー うちは母が小説好きだったもんで…… 習慣というか、ほとんどご飯みたいなもんでしたね。朝ごはん、昼ごはん、小説、みたいな……」
 これじゃあ納得いかないよね。

「小説を読む」
 という行為を考える時、私の頭には必ず母の姿が浮かぶ。
 バス停でバスを待っている時。
 電車に乗っている時。
 眠る前の時間。
 母はちょっとでも空き時間を見つけると、すかさず文庫本を開いた。

 母には出来て自分には出来ないことがあるのが悔しくて、小さな私は文字も読めないくせに文庫本を広げ、読書をしているふりをした。
 大人になれたような気がして嬉しかった。
(同じような理由でタバコを食べてしまったこともあります。
 大変なことになりました)

 そんな風に私は何度も母の文庫本を読もうとして、でもなかなか読めなくて(子ども向けの本と同じように日本語が書いてあるのに何で? と不思議で仕方なかった)繰り返し挑戦し続けて、小学校高学年になってようやく、母の蔵書が読めるようになった。
 ほとんどが社会派推理小説。
 推理の部分より、性描写にドキドキした。

 小学校の教室で、バカな男子が覚えたてのスケベな言葉を叫んだりしている中でそんなのを読んでいると、こんなことをしていていいのだろうかと、不道徳な自分に酔った。
 外からだと、私は本に集中している真面目な女の子に見えるのだ。
 小説の中では、言葉と言葉が連なって、淫らな物語が展開されているのに。

 小説には、大人の秘密が隠されている。
 知りたい。どんどん知りたい。

 それが私の子どもの頃の「小説を読む理由」だった。
 性描写さえあれば、別に小説でなくても良かったような気もするな。
 うーん。

 母がビジネス書ばかり読む人だったら、私もドラッカーやコトラーに夢中になっていたかもしれない。
 ああいう世界も、ある意味「大人の秘密」だもんね。
 そして今頃、
「何で小説なんて読むんだろ? 仕事に役に立つわけでもないのに」
 とか言っていたかも。

 結局「母から受け継いだ習慣」以上の答えが見つからないなぁ。

 村上春樹は「雑文集」の中で、悪い物語(たとえば悪質な宗教の教義など)から人々を守るために小説は存在しているのだ、という説を書いている。
 興味深い文章だけど、これが正しいのか私には分からない。

 単純に「面白いから」という理由で小説を読む人もいるだろう。
 でも、ノンフィクションだって漫画だって面白いのだ。
 小説にしか表現出来ない面白さがあるから?

 小説でしか伝えられない「何か」
 小説という通路を使わないと行けない「どこか」
 確かに私は、そういうものに意味があると信じている。

 あのお客さんに、
「フィクションを読まない理由」
 を詳しく聞いておけば良かった。ちょっと後悔。

(文学フリマ公式ブログにトラックバック
 http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20111103
posted by 柳屋文芸堂 at 01:32| 読書 | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

苦悩を物語に変換する

「『苦悩を物語に変換することで解決する』というのはどういうことか」
 という質問を文学フリマで受けた。
(「書評集 とにかく本が好きなんだ」の中に入れたこの文章より)

 自分にとっては自明なことなのでサラッと書いちゃったけど、確かにこれ、説明不足だよね。 
 世の中の全ての人が物語を書く訳じゃないのだし(人口の何パーセントくらいなのだろうか?)
「苦悩を物語に変換した経験のある人」
 なんて、どう考えても少数派だ。

 でも「物語」というものをもっと広くとらえれば、みんな無意識にやっていることだと思う。
 失恋話を友人に聞いてもらったり。
 仕事の不満を日記に書いたり。
 自分の中にあるネガティブな記憶や感情を外に出して、心を軽くする行為。

 具体的に何かが解決する訳ではないのに、なぜ楽になるのでしょうね。
 モヤモヤしたものに「言葉」という形が与えられて、何が問題点なのか見えやすくなるから?
 単純に、精神の排泄行為なのかもしれない。
 とにかく「すっきり」するわけだ。

 悩みがあるならそれをそのまま話せばいいのに、私はわざわざ「狭い意味での物語(=小説)」を書く。
 それは、架空の人物と架空のストーリーを使わないと表現出来ない苦悩があるから。
 実際の出来事を語るだけでは、不思議と核心に近付けないのだ。

 中途半端なカラー写真より、いっそ白黒写真の方が本物らしく写ったりしますよね。
 あれに似ている…… という説明は分かりにくいだろうか。

 たとえば「大切な人を救いたいのに救えない」という苦しさを表現するのに、おじいさんと孫の交流を描いた。
 私のおじいさんは、私が生まれる数十年前に亡くなっているのに。
 その時のモヤモヤには、その設定が一番しっくり来たのだ。

 10代〜20代の頃はそういう処理すべき苦悩がいっぱいあって、私はヒイヒイ喘ぎながらそれらを物語に変換していった。
 これは一時しのぎではなく、本当に苦悩を解消する貴重な方法だったのかもしれない。
 その証拠に、最近はずいぶん生きるのが楽になったから。

 この文章は、ちゃんと質問の答えになっているだろうか。
 考えるきっかけを与えてくれたお客さんに感謝します。

(文学フリマ公式ブログにトラックバック
 http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20111103
posted by 柳屋文芸堂 at 02:08| 執筆 | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

文学フリマ御礼

 本日はみなさまありがとうございました。

「昨日から売れた時のイメージトレーニングしてたの。
『新刊売り切れちゃったんですよ〜』
 とか」
「並んで下さい、ここ最後尾です! とか?」
「サインはちょっと。混み合っちゃうんで」

 なんて「痛いイメトレ」の話でゲラゲラ盛り上がっていたんですが。
 何だか知らないけど「香川旅行記」がパッパッパッと売れていって、一時間半で完売。
 で、ついにこういうお客さんが。

「香川旅行記は……」
「すみません、売り切れちゃったんです」

 嬉しいけど、もうちょっと刷っておけば良かった〜 と悔しくもある。
 正直、売り切れるのは鳥取旅行記の方だと思ってた(妖怪好きの人が買ってくれるはずだから)
 みんな腹ペコで、表紙のうどんに引き寄せられたのでしょうか。

「イメトレの効果があったねぇ」
 アホな妄想もしてみるもんだ、と感心しました。
 明日からはビッグになった自分を思い浮かべながら頑張りたいと思います。
 とりあえず今日は寝ます。

 今回、一番反省したのは、チラシ置き場にポストカードを散らかしたまま帰ってしまったこと。
 帰宅してから脳内で「しまったー!!」と叫んだ。
 回収し忘れて本当にすみませんでした>事務局のみなさま

(文学フリマ公式ブログにトラックバック
 http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20111103
posted by 柳屋文芸堂 at 00:20| 同人活動 | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

文学フリマ

 いよいよ明日ですねぇ、文学フリマ。
 文フリ準備と引っ越し準備を一緒にやらなければいけなくて、半泣きです。
 終わるかな…… 寝不足にならないといいなぁ。

第十三回文学フリマ 
 2011年11月3日(木・祝)
 東京流通センター 第二展示場E・Fホール
 (東京モノレール「流通センター」駅)
 ブース番号【D-39】

 今回もよいこぐまさんのお隣です。
 最近、神奈川新聞文芸コンクールやビーケーワン怪談大賞に入選したり、「幽」怪談文学賞の最終候補になったり、大活躍中!!
 おめでとうって言いたいのに、全然メール出来なくてごめん>よいこぐまさん
 と、ここで謝ってどうする。

 柳屋文芸堂の新刊は、
「鳥取旅行記」
「伯母(小)のこと」
「香川旅行記」
 既刊はこちら

 ぜひ遊びに来てください♪

※また大荷物で行く予定です。
 持ち帰ることが出来ないので、差し入れはご遠慮ください。
posted by 柳屋文芸堂 at 02:07| 同人活動 | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

フロントレース

 日曜のカーテン選びの話。

 レースのカーテンはすぐに気に入ったのが見つかったのだけど、それに合わせる厚い方のカーテンがなかなか決まらない。
 一つ、これかな…… と思うのがあって、でもちょっとだけイメージと違うのだ。
 かすかに黄緑がかったクリーム色。
「少ーし、あたたかさが足りないんだよね……」
 しかしそう言って出てくる生地は、黄色が強過ぎる。

 うーん、とうなっていると、店員さんが「フロントレース」というやり方を教えてくれた。
 普通カーテンは、窓側にレースをかけ、厚い方を手前(部屋側)にする。
 これを逆にすると、厚い方の色を背景に、レースの模様が浮き上がるのだ。
 
「こうすると、カーテンの色もやわらかくなるね」
「これにしよう!」
 こんな方法、店員さんが言い出さなければ全然思い付かなかった。
 もちはもち屋ですな。

 これ、お金をかけずに部屋の雰囲気を変えたい時にも使えそうですね。
 明るく優しくなりますよ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:27| 服・雑貨など | 更新情報をチェックする