2014年05月31日

灰田くんは今、どこで何をしているのだろう?

 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に、灰田くんという登場人物が出てくる。
 物理学科の学生で、本とクラシック音楽が好きで、能や文楽に詳しく、料理が得意。
 ってどこの俺だ。
 能や文楽に詳しい訳じゃないけれど、狂言と長唄にハマってるから似たようなものだと思う。

 理系の人間が好むものとしては不思議な感じがするかもしれない。
 でも「物理学科」からそっちに行くのはすごく分かるのだ。
 灰田くんは言う。

「何はともあれ、できるだけものを深く考えていたいんです。
 ただ純粋に、自由に思考し続けたい」


 そうなんだよ!!
 理系とか文系とか芸術とかジャンルとかどうでも良くて。
 脳みその翼をバサバサしたい感覚(って伝わる?)
 
 灰田くんは大学を休学し、主人公の前から突然姿を消す。
 彼が出てくるのは回想シーンなので、もし生きていたら30代だ。
 灰田くんは今、どこで何をしているのだろう。

 故郷の秋田で有機農業とかやってそう。
 私が埼玉で「少々やり過ぎな専業主婦」をしているのと同じように。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:59| 読書 | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

能「邯鄲」など(感想)

 今日は国立能楽堂に行って能を見てきました。
 長唄を習うようになってから歌舞伎を見ることが多くなり、能・狂言はご無沙汰だった。
 そうしたら何だかもう能が見たくて見たくてたまらなくなって、久々にチケット取りました。
 演目はこちら(国立能楽堂公式サイトのこのページからコピー)

仕舞 砧(きぬた)片山幽雪(観世流)
狂言 船渡聟(ふなわたしむこ)茂山逸平(大蔵流)
能  邯鄲(かんたん)夢中酔舞 片山九郎右衛門(観世流)


 能の中で歌われる謡(うたい)は長唄とお経の真ん中くらいな感じ。
 演劇と儀式。物語と宗教。
 そういうものが分かれずに混ざり合っている所が私にとっては魅力だし、能を親しみにくいものにしてしまう原因でもあるかもしれない。
 
 「仕舞」は能面や装束をつけずに一部の場面だけ演じるもの。
 「砧」は訴訟のために都へ行ったまま帰って来ないダンナさんを待ち続けて苦しむ奥さんの話。
 メロディ、特に高音になるところが美しくてうっとりした。

 狂言は私の心の故郷!
 茂山家のみなさんは相変わらず明るくほがらかな雰囲気。
 セリフのタイミングも現代的で、コントとしてもしっかり楽しめた。
 狂言らしい、福が来そうな良い声を響かせてくれました。

 「邯鄲」はざっくり言うと、冴えない現実から、素晴らしい夢の世界へ行き、また現実に戻ってくる話。
 この夢から醒める直前に音楽が早く激しくなり、宿の女主人が駆け寄ってきて扇でパンパンパンと枕元を叩いて起こすのだけど、ここがものすごく切なくて泣いてしまった。

 現実という悪魔が忍び寄ってきて夢を壊す感じが、妙にリアルなのだ。
「あ〜!!」
 って頭を抱えたくなるような。

 「邯鄲」は現代語訳の本が売っていたので、それを見ながら鑑賞しました。
 理解しやすくて良かったです。

 能、最高!!
posted by 柳屋文芸堂 at 00:22| 演劇・演芸 | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

即売会の主催者さんたち

 6月7日(土)に「福岡ポエイチ」という詩や小説の即売会に出るのですが、案内書の文章がとっても親切。
 当日あると便利な文房具を紹介していたり。
 主催者さんの優しい人柄が伝わってきて嬉しくなる。

 これまで色んな即売会に出て、色んな主催者さんを見てきた。
 愛されている人、嫌われている人、毀誉褒貶の激しい人……
 でも私は全ての主催者さんを尊敬している。

 高校の吹奏楽部にいた時に「企画係の係長」という役に就いていた。
 部員の意見を聞き、定期演奏会の出し物をまとめる係だ。
 これをやった時、
「批判は簡単。実行の方がずっと難しい!」
 というのを思い知った。

 即売会の主催者さんたちは別の仕事を持ちながら、会場を借りたり、お金の管理をしたり、サークルの配置を決めたり、色んなことをして、(多少問題が起きることはあっても)ちゃんと会を成り立たせている。
 会の前などはさぞ忙しいだろうと思う。

 サークル側は、もちろん改善して欲しい点があったら主催者に伝えるべきだ。
 しかし主催者さんたちの裏の努力を想像せず、不用意に批判するのはやめて欲しい。
 主催者さんがうんざりして、開催されなくなってから、
「あの即売会、良かったよね」
 と言ったってもう手遅れなのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:54| 同人活動 | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

文学的ジャイアン

 私は小学生の頃、ポエトリーリーディングをしていた。
 近所の図書館では司書さんが子どもたちに本の読み聞かせをする「おはなし会」というイベントが開催されていた。
 そこに自作の詩を持って行って、
「読ませてください!」
 と言うのである。

 面白いなと思うのは、子どもの頃から徹底して、
「自分の作品を発表したい」
 という気持ちが強いこと。
 自分一人でノートに書いているだけでは満足しない。

 「言葉」というのが元々「伝える」ための発明品だからだろうか。
 「伝えたい」という欲望は他人がいて初めて成り立つ。

 ジャイアンが人に迷惑をかけないようにするには、
 「上手くなるか」「一人で歌うか」
 のどちらかだ。
 
 一人で歌っていては満たされない。
 結局のところ、上手くなるために全力を尽くすほかないのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| 自分 | 更新情報をチェックする

小説書きのどの部分が好き?

 友人のよいこぐまさん(怪談作家)と会った時、
「小説書きのどの部分が好き?」
 と尋ねられた。

 一瞬、言葉に詰まる。
「小説を書くのが好き」
 いや、それ答えになってない!

 小説書きをあまり「部分」で考えたことがなかったので、どこが好きなのか説明出来なかった。
 小説を書く時私が何をしているかというと、ひたすら言葉選びである。
 「暴虐」「横暴」どっち使おう、「しゅんとする」「しょんぼりする」どっち使おう……
 そういうのの繰り返し。

 登場人物やストーリーを考えたことは一度も無いと思う。
 登場人物は脳内に勝手に住み始める。
 登場人物が動き出せばストーリーになる。
 その登場人物やストーリーを読み手に伝えるために、最も的確な言葉や文章があるはずで、それをいつも探している。

 本を読む時、我々は目が見えないのだ。
 そこにあるのは文字の列だけで、登場人物の顔も、彼らがいる場所の風景も見えない。
 読書中、脳に画像や映像を届けているのは視覚ではなく「言葉」である。
 言葉は「見て読む」から分かりにくいが、朗読を聞いている状態を思い浮かべてみると良い。

 ならばと、全てを事細かに説明し出したら話が進まない。
 読んでいる方もうんざりする。
 言葉が足りなければ誰が何をしているのか分からなくなり、ストーリーどころではなくなる。

 今書いている小説で困っているのは、四人で会話するシーン。

 Aさんは、
「……だよ」
 と言った。Bさんは、
「……だよね」
 と言った。Cさんは、
「……です」
 と言った。Dさんは、
「……ですよ」
 と言った。

 と全部に名前を入れたら読みにくいし、入れないと誰の発言か分かりにくい。
 漫画のフキダシを使いたい……

 小説書きはこのように面倒臭いことだらけで、うーんうーんと悩み続ける、その全ての時間が好きだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:11| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年05月25日

「ぬるい」バンザイ!

 「ぬるい」という単語はあまり良い意味では使われない。
 「ぬるい文章」「ぬるい演奏」「ぬるい生き方」
 は褒め言葉じゃないし、
 「ぬるいみそ汁」「ぬるいラーメン」
 は不味そうだ。

 しかし!
 飲み物に関して言えば、ぬるいのが一番だと思いませんか?!

 お店で出る、
「キンキンに冷えた水」「淹れたての熱いお茶」
 などというのは、サービスのつもりなんだろうけど、飲みにくいよ。
 体を冷やしたり、舌をやけどしたり、体に悪い。

 熱いお茶が冷めて、
「ようやく飲めるようになった」
 と思ったところで熱々のに交換されてしまう時の絶望感。

「すごく冷やしたり、すごく熱くするのが、もてなし!」
 ということになっているよね……
 みんなそういう飲み物が好きなんだろうか。

 体温に近い、ぬるい飲み物の優しさこそ、私は欲しい。

 氷は作るのに電力を使う。
 これからの季節、節電のためにも、氷なしの水を出す習慣が出来ないものだろうか。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:32| 飲み物 | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

和食の素晴らしさ

 和食が無形文化遺産に登録された時、和食の良い点についてあれこれ語る人が多くいたけど、どれもあやふやでとんちんかんな感じがした。
 農林水産省は和食の特徴を、

 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
 栄養バランスに優れた健康的な食生活
 自然の美しさや季節の移ろいの表現
 正月などの年中行事との密接な関わり


 とまとめている(このページ
 これじゃあイタリア料理だって当てはまっちゃうよ?

 もし和食の特徴を知りたかったら、和食だけ作ったり食べたりしていてはダメだ。
 外のものを知って初めて自分たちのものの良さが分かる。

 私は家庭の主婦として(やや趣味で)様々な国の料理を作ってきた。
 フランス、イタリア、ロシア、インド、タイ、ベトナム、インドネシア、中国、韓国……
 その上で、和食の素晴らしさは、
「油を使わないダシ」
 にあるのではないかと思っている。

 うまみを出そうとすると、どうしても肉や魚(およびその骨)を使うことが多くなる。
 動物性のものには必ず脂肪がある。
 日本のダシもかつおや煮干しで取るが、油が浮いたりはしない。
 昆布ならなおのこと。

 それでもしっかりしたうまみが出る。
 健康的だし、個性のあるステキな味だ。
 スープだけでなく煮物や炒めもの(キンピラなど)にも使えて便利。

 自国のものを褒める時、それが根拠のない自己愛になってないか、きちんと確かめて欲しい。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:06| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

惹かれる、とは

 尊敬出来る人の作品だけを見たり聴いたり読んだりしたいなー、と思っている。
 尊敬出来ない人の作品が評価されているのを知って、
「なんであんなのが!」
 と罵ったりしたくないから。
 
 尊敬する人の作品の中にも異質なものはあるはずで、
「自分と同質のものだけに触れたい」
 というのとは違う。

 時々、尊敬出来ない人の作品をわざわざ見たり聴いたり読んだりしてしまうことがある。
 心の中で悪口を言った後、
「なんでこんなことしちゃうんだろ?」
 と後悔する。

 人は何故か、素晴らしいものだけに触れたがる訳じゃない。
 見たり聴いたり読んだりしたい、という欲望は複雑だ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:22| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

今度の恋は、職人とお嬢さま

 6月7日の福岡ポエイチに間に合うかも?! 間に合わないかも?!
 とドキドキしながら小説を書いている。
 前に紹介した長い話ではなく、短編小説。
 職人とお嬢さまの甘々ラブストーリー。
 小説を書くのは楽しいねぇ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:04| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年05月22日

美とは何か?

 その人、もしくはある集団などが美しいと感じたものが美。
 絶対的な美など無い。

 あたかもそれがあるかのように錯覚されがちなのは、
「権力者が美としたもの」
「多くの人が美しいと感じたもの」
 が威圧感を与えるから。

 あなたが美しいと感じたものが美です。
 他人にとっての美に屈したりしないでよね。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:40| 美術 | 更新情報をチェックする