2014年09月09日

自分の内側への旅

 下の記事で「小説より旅行記を書く方が難しい」と書きましたが、もちろん小説書きにも大変さはあります。
 それは「あちこちで叫ぶことになる」

 福岡ポエイチの新刊だった「邯鄲」は書きたい衝動がものすごく強く、ちょっとでも細切れ時間があるとiPhoneのワープロアプリを開いて続きを書いた。
 そうすると即座に小説の世界に行ってしまって、声をかけられるたび、
「ギャーッ!」
 と叫んだ。

 あれは何なんだろう。
 こちらの世界に引き戻されるとびっくりするんだよね。
 周囲の人たちの方がよほどびっくりしただろうけど。

 小説世界と現実世界を行き来するのは疲れるので、
「あっちに行ったきりになりたい……」
 と毎回思う。
 でも実際は、現実世界で材料をきっちりそろえておかないと、小説世界は薄っぺらになっちゃうのだ。

 小説書きは旅に似ている。
 いかに生きてきたかが、そのまま旅先の風景になる。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:51| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

新刊が出ます

 文学フリマ大阪の新刊、
「福岡ポエイチと柳川旅行記」
 の原稿が完成しました。

 あとは印刷して製本するだけです。
 プリンタ等に問題が起きなければ確実に大阪に持っていけると思います。

 個人的に私は、小説より旅行記を書く方が難しいと思っている。
 下手に「実体験」がある分、自分用の記録になりがちなのだ。
 小説も旅行記も、読者を別世界に連れて行かなければ始まらない。

 私の言葉が、福岡ポエイチの会場や柳川のお堀に瞬間移動するための舟になっていますように。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:05| 同人活動 | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

三味線の勉強会

 三味線の勉強会が終わりました。

 「吉原雀」がねー
「そこで間違えるの?!」
 と自分でもびっくりしちゃうような場所で間違えた。

 練習ではちゃんと弾けていて、全然気にしなかったようなところ。
 緊張していたのかなー
 それとも、そういう普段さらっとやっていたことの方がいざとなると危ない、ということなんだろうか。

 練習と本番で体の力の入れ具合が変わってしまった。
 何となく体がどしっと落ち着かないまま弾いた感じ。
 どんな時でもどしっとなれるようにしたいものです。

 「都鳥」と「梅の栄」は一緒に演奏する人数が多かったので、その人たちに迷惑をかけないことを一番の目標にしました。
 曲が盛り上がってくると、つい、
「俺の三味線を聴けぇぇ!」
 みたいな激しい弾き方になっちゃうんだよね。

 いけない、いけない。出っ張らないように……
 と気をつけたのだけど、ちゃんとやれてたかな。

 私はもともと和太鼓・トロンボーン・コントラバスと「縁の下の力持ち」系の楽器をやってきた人間で、目立つ旋律より地味なベースラインを断然愛している。
 なのに三味線で「チリリンチンチンチリ♪」と派手な音を鳴らした途端、ロックバンドのギタリスト気分になってしまうのは何故なんだ。

 楽器によって引き出される別の自分、がいるのかもしれない。
 和太鼓を打つ私と、トロンボーンを吹く私と、コントラバスを弾く私と、三味線を弾く私は、微妙に「違う人間」なのだろう。
 まあ、全員音感が悪いのは同じ訳ですが。

 さて。実はこの三曲以外に、先生へのサプライズプレゼントとして木村カエラの「バタフライ」も演奏しました。
 三味線仲間が譜面を作ってくれて、先生に気付かれないように事前に集まって練習したのです。

 演奏後、みんなでクラッカーを鳴らし、
「ご結婚おめでとうございます!」
 と叫んだんだけど……

 先生は「バタフライ」を知らなかった……
 やはり「てんとう虫のサンバ」にしておくべきだったか。

 最近は「誰もが知っている曲」というのが分かりにくい。
 「バタフライ」はCMにも使われていたのに、その場にいる人の半分くらいしか知っている人がいなくて、テレビの影響力が昔より弱まっているのを実感した。
(まあ、邦楽好き、という特殊な集団だからかもしれないけれども)

 先生には後で「バタフライ」の歌詞を読んでもらって、お祝いの気持ちが伝われば良いなと。
 メロディも、蝶の羽と花びらが次々開いていく印象をそのまま音にした感じで、美しいよね。

 3曲+1曲を練習しまくる夏は大変だったけど楽しかった。
 これからは「吉原雀」に全力を注ぐぞーっ

 本日お世話になったみなさま、ありがとうございました。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:00| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

道楽おばさん

 明日は三味線の勉強会です。
 この夏は楽器を弾きまくり、美術を見まくり、本を読みまくりで、楽しかったな〜
 勉強会が終わったら旅行記の印刷と製本だー!
posted by 柳屋文芸堂 at 00:21| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年09月05日

相対音感

 私はこれまでに色んな楽器を経験してきた。

 和太鼓(小学校〜中学校時代に習っていた)
 トロンボーン(中学校の吹奏楽部で)
 コントラバス(高校の吹奏楽部で)
 現在は三味線のお稽古に通っている(始めて8年経ってた……)

 こんなにやっているのに、どれもそんなに上手くない。
 特に音階のある楽器が酷い(和太鼓はまだマシだった)

 最近になって、その理由が分かってきた。
 私には相対音感が無いのである。
 絶対音感もないが、楽器を演奏するためには相対音感の方が大事かもしれない。

 相対音感が無い、というのは具体的にどういうことかというと、
「ドレミファソラシド〜♪」
 を正確に歌えない。

 歌えないということは、楽器で鳴らすことも出来ない。
 ドレミファソラシドがダメということは、当然「ドミソ」も「レファラ」も鳴らせない。
 どこを押せばどの音が出る、ということは分かるので、だいたいの音は出せるが、正確じゃない。

 何となくそうじゃないかな、とは思っていたのだけど、ああ、と気付いたのは、
「私、『オーバー・ザ・レインボー』を頭の中で歌わないと、一オクターブ上の音を出せないんだよね」
 とDちゃんに言った時。
「……もしかして、普通そんなことしない?」
「聞いたことない」

 「オーバー・ザ・レインボー」の冒頭が「ド〜(オクターブ上の→)ド〜」だということは何故か覚えていて、三味線も「オーバー・ザ・レインボー」で調弦する。
 曲の中の「ド〜ド〜」は思い浮かべることが出来るのに、音階としての「ドードー」を心の中で鳴らすことは出来ない。
 この感覚、伝わるだろうか……
 私の音程には、文脈が必要なのだ。

 もしかしたら「『ドレ』が入るメロディ」「『ミファ』が入るメロディ」「『ドミソ』が入るメロディ」とあらゆる音程を曲名で覚えていったら、私も相対音感を身に付けられるのかもしれない。
 面倒臭い耳だなぁ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:35| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

こちらまで不安になるような

 大好きなブログ「crazy vanilla」の最新記事がとっても良かったのでご紹介。

 ループ・ザ・ループ

 幸福過ぎる時に感じる恐怖感を、日常の何気ない描写だけで表現している。
 多くの人がこういう経験をすると思うけど、誰もがその感触を文章で再現出来る訳じゃない。
 すごいなー どうすればこんな風に書けるようになるんだろう。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| ネット | 更新情報をチェックする

大連の物価

 中国嫁日記のこの記事(王先生両親の日本に来た感想)を読んでびっくりした。
 ネタバレになっちゃって申し訳ないけど、大連の物価は日本より高いそうです。
 中国といえばかつて「あらゆる物がメチャクチャ安い」というイメージがあったけど、向こうの物価上昇とこっちのデフレで逆転しつつあるんですねぇ。

 中国から輸入しているものは沢山あるし、中国の人たちは日本の物が買いやすくなるし、日本の物価も引っぱられるように高くなるのかしら。
 アベノミクスの物価高だけでもけっこう厳しい感じなんだが……
posted by 柳屋文芸堂 at 23:12| 社会 | 更新情報をチェックする

草月と現代美術と私

 私の母親はいけばなの先生をしていた。
 と言ってもそれで食べていた訳ではなくて、頼まれたら教えに行く、という程度。
 流派は草月。

 もちろん師範の資格を持っており、月に一回、自分が習っている先生とは別に、初代家元の勅使河原蒼風のところにも指導を受けに行っていたらしい。
 なかなか熱心だった訳です。

 当時、草月はいけばなの流派の中で最も前衛芸術に近く、
「鉄を使ったオブジェも作れるように」
 と溶接まで教わったという。
「みんなでキャーキャー言いながらやったわ!」
 何だか楽しそう。

 私はいけばな自体は習わなかったのだけど、母のいけた花や、作品集になっている草月のカレンダーを毎日見て育った。

 私が美術鑑賞をするようになったのは、母のいけばなとは何の関係もない。
 大学時代に物理の数式と小説の言葉(どちらも「記号」だ)に疲れてしまって、何となく見始めた。
 美術は記号を処理するのとは違う脳の場所を刺激してくれるんじゃないかと思ったのだ。
 それが医学的に正しいのかは分からないが、とにかく私の疲れは取れた。

 せっかくなら色んな美術作品を見たいと思い、ジャンルは決めなかった。
 絵画、彫刻、西洋美術、日本美術、古いの、新しいの……

 そして現在、どのジャンルが一番好きかというと、現代美術だ。
「読んでる人、飽きてるだろうな……」
 と申し訳なく思いつつ、ヨコハマトリエンナーレの記事を書きまくっているのはそのせい。

 現代美術というものに対して身構え、難しく解釈する人を見ると不思議な気持ちになる。
 どうして雲を見るのと同じように見ないのだろう。

 でもそれはもしかしたら、私の家に草月の作品があふれていたからそう思うのかもしれない。
 どれだけ奇抜な形状をしていても、私には「馴染み」なのだ。

「芸術について理解しなさい」
 なんてことを一言も言わずに私を芸術オタクにしてしまった母は本当にすごいと思うし、自由に生きているつもりでいて、実際は母の敷いたレールの上を進んでいるだけかもしれない自分を少々情けなく思う。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:18| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

もし、楽器が演奏出来なくなったら

 小児がん経験者の樋口彩夏さんの文章を読みふけってしまった。
 特に目的を持って見つけた訳ではなく、デング熱のニュースを読んだ先にリンクがあって、何となく開いたのだ。

 治療や後遺症の大変さよりも、
「発病によって、部活を中途半端な形で辞めることになった悔しさ」
 が書かれている文章が印象的だった。
 その部活というのが、ブラスバンド部なのだ。

 写真家のハービー山口も中学時代、病気のせいでブラスバンド部を辞めることになり、その辛さをずいぶん引きずったと書いていた。
 病気だったんだから仕方ないじゃないの、というのは健康に3年間部活を続けられた人間の、無神経な言葉なのだろう。

 学業と吹奏楽部の活動を両立するのは私にとって本当に大変で、途中で辞めざるを得なかった子たちの気持ちなんてとても考える余裕がなかった。
 樋口さんは、
「今日 行かなかったら、一生 後悔すると思う」
 と体調不良を押してステージ演奏に出演し(「家族ために精一杯の演奏」という記事より)その日の夜、救急車で病院へ運ばれ(この記事)そのまま寝たきりの生活になってしまう。

 37歳になっても(下手なくせに)ダラダラと音楽を続けている私は、
「楽器を演奏出来なくなるってどんな気持ちかな」
 と時々考える。

 難しいけれど、細かいところまでしっかりと想像しなければ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:18| 健康・美容 | 更新情報をチェックする