2015年01月22日

文章を書く才能

 「村上さんのところ」というサイトが現在期間限定で開設されている。
 村上春樹が読者からの質問に答えてくれるのだけど、

 文章を書くのがとても苦手です。(中略)どうにか文章を書きやすくなりませんでしょうか。

 という問いに対し、

 文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。

 と答えたのがネットで話題になっているらしい。

 私は一番目の質問から全部目を通していて、もちろんこの答えも見ていた。
 でも、
「そうだろうねー」
 と思うだけで特に衝撃を受けたりしなかった。

 もっと若かったら、
「努力してもムダなのか……!」
 と傷付いていたのかも。
 自分が年食って鈍感になったことの方がショックだ。

 38年生きてきて、文章を書く才能を持っている人にもたびたび出会い、最近はその多くが年下だ。
 あれは本当に不思議だと思う。

 人の目をすっと引っ張っていく文章と、追うのが面倒になっちゃう文章が、確実にあるのだ。
 読んだだけで別世界に移動させてくれる文章と、いくら読んでもどこにも行けない文章が。

 何が違うのやら、羨ましくて悔しくってどうにか知りたいのに、全然分からない。
 違う、ということだけが分かる。

 「ある程度は練習でうまくなります」というのだから(それも本当にそうだと思う)
 その範囲で頑張って自分の書きたいことを書けるようになれば良いじゃないか。

 ……なんて、若かったら絶対思わなかったと思う。
 すっかりおばさんになっちまったなぁ。

追伸:現在私のTwitterは「村上さんのところ」の気に入った質問・回答を集める場所になっています。少ないとはいえフォロワーの方も見るというのにすみません。ブログは「見たくない人は見なきゃ良いんだし」と思えるけど、Twitterはツイートが強制送信されるから、個人的な使い方をすると妙に気になる……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:36| ネット | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

福井のユダヤ人

 舞城王太郎の「煙か土か食い物」は福井県が舞台で、ユダヤ人が出てくる。
 最初に読んだ時には「何故福井にユダヤ人?」と不思議だった。
 すごく唐突な気がして、意外性を出すためかな? と勝手に解釈していた。

 そうしたら、敦賀港にユダヤ難民がやって来てたのね、実際に。
 第二次世界大戦中、杉原千畝が出したビザで。
 この人を主人公にした演劇を高校時代に見たのだけど、日本のどこに来たかまで覚えてなかった。

 「煙か土か食い物」はストーリーがけっこうハチャメチャなので、史実を織り込んでいるなんて思いも寄らなかった。
 地元の人が読むと、もっと色んなことに気付くのかもしれない。

 郷土史って物語のアイデアの宝庫だよな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:29| 読書 | 更新情報をチェックする

性別という枠の外側

 私は小説の中に同性愛者や性同一性障害の人を出すけれど、自分は異性愛者で性同一性障害ではないので、そういう少数派の人たちの苦労を実際に味わった訳でもないのに、書いちゃって良いのかな…… という迷いがいつもあった。

 でも小説の行数が増え、登場人物がどんな人たちか明らかになるにつれ、
「この人は自分をゲイと言っているが、ゲイの多数派(←これも想像だけど)とは微妙に違う気がする」
「性同一性障害と紹介する他ないけれども、聞いているのと何か違う」
 という風に思う回数が増えてきた。

 同性愛者や性同一性障害を正しく描けていない、とも言えるのだけど、そもそも「正しい同性愛者や性同一性障害の人」って何だろう。
 男と女に色んな人がいるように、同性愛者や性同一性障害の人にも色んな人がいるはずで、もっと言うと、そういう枠のどれにも入れないという人も少なくないのではないか。

 私は子どもの頃から女の子らしくするのが苦手で、かと言って男らしい訳でもなく、性別というものの前で途方に暮れていた。
 性別ごとにやるべきこと、やるであろうこと、やった方が良いとされること、等が決まっていて(例えば化粧とか)そういうのを何でやらなければいけないのかがよく分からなかった。

 私が描きたいのは男でも女でも同性愛者でも性同一性障害の人でもなく、どの枠もいまいちしっくり来ない、という人たちなのかもしれない。
 この枠は恋愛する時と社会生活する時にはっきりと壁になって人の前に立ちはだかる。
 これまでに何度も困ったり、不安になったりした。

 異性愛者が同性愛者を描く、と考えると難しい気がするけど、枠に入れない人が枠に入れない人を描く、となれば自然な行為と言えるのではないか。
 それは別の形に変換された私の物語だ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:26| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

女流名家長唄大会

 「女流名家長唄大会」を検索してうちのブログに来る方がいるようですが、その記事に載っているのは一昨年の開催日です。
 今年は、

 2015年1月30日(金)
 東京・日本橋 三越劇場

 なのでお間違いなく!!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:58| 音楽 | 更新情報をチェックする

文学フリマ金沢

 文学フリマ金沢に申し込みました。
 抽選になる可能性もあるのでまだ確定ではないです。
 もし出られることになったら、北陸地方のみなさま、ぜひ遊びに来てくださいね♪
posted by 柳屋文芸堂 at 11:38| 同人活動 | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

芸術を求める理由

 現代美術を「分かる」というのはどういう状態を指すのだろう。

 たとえば緑色の線がグチャグチャっと描かれた絵があったとして、
「これは失恋の悲しみを表現したものである!」
 と言ったりするのが「分かる」だと思われているのではなかろうか。

 もし失恋の悲しみを伝えたいなら、
「〇〇さんのことが好きだったのに失恋してしまった。悲しかった」
 と言う方が手っ取り早い。

 緑色のグチャグチャが一体何を意味するのかなんて、誰にも分からないのではなかろうか。
 正確なところは作者でさえつかめないのかもしれない。
 そういう言葉に出来ない心のモヤモヤに形を与えるのが、現代美術なのではないか。

 言葉というのは便利なものだから、世の中の全てのことは文章で表現出来ると勘違いしがちだ。
 でも全然そんなことはない。
 言葉で表しきれないことは多くあるし、言葉での表現が苦手な人も少なくない。

 言葉は万能ではないし、絵や音楽も万能ではない。
 だから人間はいつも処理しきれないモヤモヤを抱えている。

 言葉や絵や音楽になった他人のモヤモヤに触れると、自分の中のモヤモヤに形が与えられ、ハッとしたりスッとしたりすることがある。
 そういう幸運に巡り合うために、私は芸術に会いに行く。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:30| 美術 | 更新情報をチェックする

ラジオを聞いていたら

 ニュースキャスターと気象予報士が、
「若者の雨離れのせいで雨が降らない」
 と嘆き合っていた。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 21:44| 夢(寝ながら見る方) | 更新情報をチェックする

九井諒子「ダンジョン飯 1巻」感想

 RPGに出てくるような魔物たちを、美味しく料理していただこう! という漫画です。
 魔物の体の構造や調理方法が詳しく解説されているので、読んでいると実際に食べられるような気になってくる。

 一番ウケたのは「干しスライムの名産地 春の風景」
 吊るして天日乾燥し、ぺらぺらになったスライムと、その下で作業する地元の方々。
「日本で一番有名なスライムの産地はどこだっけ……?」
 と一瞬考えてしまった。

 バジリスク(蛇の尾を持つニワトリ)の料理がどれも美味しそうだったなぁ。
 薬草を腹に詰めて焼いたり、肉をベーコンにして炒めて、オムレツに入れたり(卵もバジリスクのもの)

 マンドレイク(人の顔を持ち、抜くと悲鳴を上げ、その声をまともに聞くと発狂するか死ぬと言われる野菜。……野菜か? 形は高麗人参に似ている)でかき揚げを作ったのにも驚いた。
 ダンジョンで揚げ物をやろうとするのがすごい。
 揚げるための火と油の調達方法も面白い。

 九井諒子は短編の名手で、これまでに3冊作品集を出しているが、長編はこれが初めて。
「ダンジョン飯 1」
 って書いてあるのがすごく嬉しい。2が出るんだ。

 ファンタジー好きの方、ゲーム好きの方、食べるのが好きな方、などにおすすめです。
「食べるのは好きだけどファンタジーはよく分からない」
 という人でも楽しめると思うのでご安心を。

 とにかくどんなものでも食べられる気がしてきますから!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:21| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

性描写について

 性的な表現が嫌いな訳ではないが(ものによっては大好きと言っても良い!)
 暴力的な性描写は苦手だ。
 どこまでが良くてどこまでがダメなのか、自分でもよく分からないのだけど。

 正直、
「暴力的な性描写が減ると良いのになぁ」
 と思っている。

 世の中には表現の自由というものがあるので、
「書くな! 見せるな!」
 とはもちろん言わない。

「うっかり見せられたりしませんように……」
 と祈りながら暮らすだけだ。

 暴力的な表現に対抗するために、ラブラブ甘々性描写をガンガン書くべきかもしれない、と思ったりする。
 反対することで暴力的な性描写を減らそうとするのではなく、ラブラブ甘々性描写の数を増やし、暴力的なものの「割合」を減らすのだ。

 私は性というものに、とてもあたたかい印象を持っている。
 性描写はこんなにもあふれ返っているのに、何だか私が知っているのとは別のものみたいだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:13| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年01月16日

登場人物の勝手な行動

 小説を書いていて面白いなー と思うのは、登場人物が突然こちらが予期していないことを始めるところ。
 一人で考えて一人で書いているのだから、登場人物は100%作者の意図通り動くだろう、と思ったら大間違い。
 架空の人物とは言え作者とは違う人格や思想や経験を持っている訳で、状況を設定すればおのずとその人らしい行動や発言をし始める。

 今日書いていた部分でもそういうことが起きた。
 ぼんやり予想していた展開よりも登場人物が積極的で、
「へー そんなに好きって伝えたいの」
 と観客みたいに驚いてしまった。

 もちろん登場人物の意思を無理やりねじ伏せて、作者の言わせたいことを言わせる(やらせたいことをやらせる)というのも可能だけど、すごく不自然な感じになっちゃうのだ。
 台風の進路を予測するプログラムを組んだ人が、台風の行き先を決められないのに似ています。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:12| 執筆 | 更新情報をチェックする