2015年02月17日

引っかかる

 人と話している時に感じる「違和感」って大事だな、と思う。
「何でこんなことを言ってくるんだろう?」
「嫌なわけではないけど、何となくモヤモヤするな」
 という感触。心に引っかかって消えない何か。

 その直後には頭をひねるばかりで解決しなくても、何年か後になって、
「あーっ! そういうことだったのか!!」
 と意味が分かったりする。
 その時に、相手の気持ちだけでなく、世の中の仕組みや、自分や他人が持っている思い込みなどにも気付いたりして、世界への理解が深まる。

 去年分からなかったことが、今年分かった。
 ということは、今年分からなかったことも、来年分かるかもしれない。
 歳を重ねることには希望があると思う。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:34| 考え | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

小川洋子・河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」感想

 「家を買わないの?」と色んな人に尋ねられるのが不思議だった。
 自分が何故小説を書こうとするのかも不思議だった。
 この二つの疑問に関係があるなんて思いもしなかった。

 この本を読んで、ようやく意味が分かった。
「結婚したらローンを組んで家を買う」
 という「物語」を信じている人が大勢いるのだ。

 これまでこういう現実的な人生設計を「物語」とは認識出来なかったのだけど、
「RPGの世界に行ったらレベルを上げて魔王を倒す」
 というのと同じ構造だよね。

 私は世の中にあらかじめ用意されている物語(生き方)がいまいち心身に馴染まなくて、その違和感を物語(小説)の形に変換し、解消することでどうにか生きているのだと思う。
 既製服が体に合わないから自分で服を作るような感じだろうか。

 既製服に着心地の悪さを感じる人は少なくないと思う。
 でも全部自分で作るのは大変だから、 たいていは今あるものを仕立て直すのだろう。
 物語を読むのはそのためなのかもしれない。
 架空の物語を参考にして、多くの人が信じている物語に、自分用の修正を加えること。

 紹介が後回しになってしまった。
 小説家の小川洋子と、臨床心理学者の河合隼雄の対談集です。
 小説を書くことと、カウンセリングを行うことの共通点などがテーマになっています。

 「物語」というものを幅広くとらえているので、小説を書こうなんて全く思ったこともない、という人でも興味深く読めると思います。
 小説を書かなくても、みんな物語を生きているのだから。
 
 特に「困っていることがある訳じゃないのに、何となく生きにくい」と感じている人におすすめです。
 日々、どれだけ無神経に物語(生き方)を押し付けられているか、はっきりすると思います。
 それらをどうにか聞き流して、自分の物語を見つけていけると良いですね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:07| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年02月15日

不動産屋の重要さ

 実家の近所も、自宅の近所も、相変わらず空き家が多いです。
 実家は東京から近いし、うちは駅から近いし、過疎化するような場所でもないと思うのだけど。
 「売家」「入居者募集」の看板をあちこちで見かける。

 それほど不便ではない場所で、買う人・借りる人が現れないというのは、価格設定が間違っているんじゃなかろうか。
 家を売る人や大家さんは相場に詳しくないだろうから、不動産屋さんがアドバイスすれば良いのに。
 ボケっとしていたらゴーストタウンになっちゃうよ。

 街を生かすか殺すか、色んな要素がからみ合って決まると思うけど、
「その街の不動産屋さんがどれだけ熱心に入居者を増やす努力をしたか」
 というのが意外に強力な要素になるのかもしれない。

 不動産屋さんは別に選挙で選ばれる訳でもなんでもないのに、不思議な感じもしますね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:53| 社会 | 更新情報をチェックする

2015年02月14日

偏ってるんですか?

 結婚前、バイト先で、
「うちで取っているのは朝日新聞です」
 と言ったら、
「偏ってるんですか?」
 と返され、二の句が継げなかったことがある。

 特に思想的に共鳴して読んでいた訳ではなく、たまたま朝日だっただけなのに。
 どの新聞の名前を言えば「偏ってない」と判断されたのだろう。

 デジタル大辞泉によると「偏る」の意味は、
「ある基準、または中心から外れて、一方へ寄る。傾く」
 基準とは何か?

 「その人の新聞の基準」はおそらく「自分が取っている新聞」だ。
 単純に「自分と違っているものは、偏っている」と判断してしまう人だったのだろう。

 偏っていない言説や編集というのはあり得るのだろうか。
 全ての言説や編集は「自分の側に」偏っているように思うのだが。

 「偏る」という言葉から、私は大勢の人間がフワフワ浮いている宇宙が思い浮かぶ。
 下も上も右も左もなくて(私にとっての右は、他の人にとって左だったり右下だったりする)
 あるのは「自分から見た方向」だけだ。

 そんな場所で、
「偏ってるんですか?」
 と尋ねられても、
「どっちに? どっちが?」
 となるよね。

 まあもちろん、そういう場所だからこそ、
「私こそが正しい」
 と思わないと安心出来ないのだろうけど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:24| 考え | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛

 小説書き終わりました。
 まだ確認・訂正・加筆など作業が残っているので完成とはとても言えないのですが、一応オチがついたかな? と。
 2月にここまで行けば4月の文学フリマ金沢に新刊を出せるはず。
 めでたい。

 ほぼ2年かけ、真面目だけが取り柄の男が、18歳から31歳になるまでをじわじわ描いた。
(2013年3月3日の記事に「小説を書き始めてしまった」と書いてある)
 振り返ってみると、オカマ育成ゲームをずーっとプレイし続けているような感じでした。
 作者も驚くほど世話好きに育ったよ……

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 歌舞伎の研究者を目指す七瀬。
 村上春樹と同じ勉強がしたい、と演劇専修に進んだ周平。
 周平の恋人で、いつも周平と一緒にいる七瀬にやきもちを焼く克巳。

 奇妙なバランスを保ったまま過ぎてゆく、三人の大学生活。
 しかし、永遠に変わらない関係などありえない。


 これから話すのは、壊れてゆく恋の話だ。
 なるべく楽しく語りたいとは思うけれど、何しろ結末が決まっている。
 それぞれの立場で出来得る限り足掻きもがいたのに、逃れようがなかった。
 俺も、周平も、克巳も。

 新作長編小説「贋オカマと他人の恋愛」
 ついに完成!(←ちょっとウソ)

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「ナルシスト! 女装した自分の写真をテレホンカードにして持ち歩くなんてバカじゃないの」
「いや、母親が作るんだ。しかも計算が雑だから、例えば五百枚で間に合う時でも七百枚くらい頼んじゃって、うちには大量の俺のテレホンカードが余っている。欲しければやるよ」
「いらない!」
「ねえ、何でそんなにテレホンカードを作るの?」

 という会話が自分では気に入っています。
 テレホンカード……!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:43| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

シャンプーで体を洗うべからず!

 私は合成洗剤ではなく液体石けんのシャンプーを使っている。

 一昨年の夏あたり、
「同じ石けんなんだから、体も洗っちゃえ!」
 と、全身をシャンプーで洗っていた。

 するとその年の冬、肌の乾燥が酷くなり、大変なことになった。
 かきむしり過ぎて、太ももに「赤い星の宇宙」が出現!
 もちろん星は全部、血の出た傷です(痛い。それよりかゆみが辛かった)

 反省し、その後は普通の固形石けんで体を洗うようにしたら、この冬の肌の調子はそれほど悪くない。
 シャンプーで体を洗っちゃいけないんだねぇ(しみじみ)……って当たり前か。
 洗剤は、本来の用途以外には使用しないでください>自分
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:01| 健康・美容 | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

権威との付き合い方

 「権威に頼る人」というのが世の中には沢山いるんだなー と感じる。
 作家の○○は△△賞を取ったからすごい、××賞を取ってないからダメ、というように、物事の価値を自分の感性ではなく、他人の評価で決める人。

 こう書くと批判しているようだが、私だって権威に頼ってない訳じゃない。
 芥川賞を取ったのをきっかけに円城塔を読むようになったし(あの時ほど文藝春秋に感謝したことはない)
「美術館で美術を見る」
 というのも「知識豊富なキュレーターの感性に頼っている」わけで、権威主義と言えると思う。

 権威に全く頼らない人というのもまれにいて、そういう人は
・その分野について深い知識を持っている
・その分野について何も知らない
 のどちらかだ。

 ワイン売り場で店員さんに頼らずに済むのは、
・ワインを知り尽くしている人
・ワインを飲まない人
 と考えれば分かりやすいと思う。

 たいていの人は、中途半端な知識と味覚しか持たず、ワインの種類の多さに圧倒され、
「ローストチキンに合うのはどれでしょう?」
 と尋ねることになる。

 同じように、たまにしか小説を読まない人が、△△賞受賞という帯を頼りに本を選んでしまうのも仕方ないだろう。
 とにかく本の数が多いんだもの。

 世界のあらゆるものに詳しくなるのは無理なのだから、自分がそれほど知らない分野では、権威を「選ぶきっかけ」にするのは問題ないと思う。
 その代わり、鑑賞中・鑑賞後には権威を忘れてしまうべきだ。

「△△賞受賞作なのに面白くなかった」
 と怒ったりするなということ。
 △△賞受賞というのは「選考委員の多くが評価した」というだけで「読んだ人全員を満足させる」なんて保証はしていない。

 権威をうまく利用して、面白いものを見つけ、それを無心に味わい続ければ、自然に知識は増えるし、自分の感性がどんなものか明確になってくる。
 そのうちに、権威に頼らなくても、心の底から感動出来るものに出会える確率を高められるんじゃないかな。

 それにしても現代って、物の数は多過ぎ、選ぶ時間は少な過ぎるね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:02| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

六花亭

 六花亭と言えば「バターサンド(レーズンと濃厚なクリームを、しっとりしたクッキーで挟んだお菓子。大好物。じゅるるるるる)」ですが、他の商品もなかなか美味しいのね。
 先日初めて食べて「へぇー」と思いました。

 特にホワイトチョコの中にでっかい丸のままの苺(フリーズドライ)が入っているのが私好みで、Dちゃんにあげずに一人でポクポク、ポクポク、ほとんど全部食べちゃった。
 Dちゃんがもらってきたものなのに……

 バターサンドも苺入りチョコも、素材の主張が強くて味が濃い目なのが良い。
 ミルクティーと一緒にいただいたりすると、止まらないっ

 今、川口駅前のそごうで「バレンタイン チョコレートパラダイス2015」という催しをやっていて、六花亭も店を出しているのだけど、見るだけで買うのは我慢した。
 カロリー高いから……(でも美味しい…… すごく美味しい……)
 うーん、やっぱり買うべきだったかなぁ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:41| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

冬のおしり

 十年近く前の冬、痔で痛みが続いて困ったことがありました。
 市販薬ですぐ治ったから良かったのだけど、その時に調べたら、痔って「冷え」でもなるのね。
 血行が悪くなるのが良くないみたい。

「そう言えば、真夏にお腹を壊しておしりを酷使したのに、痔にならなかったなぁ」
 と妙に感心しました。

 その後はなるべく体を冷やさないよう注意しています。
 厚着して、運動して、それでも寒かったらカイロやエアコンを使ったり。

 まだまだ寒い毎日が続きます。
 風邪だけでなくおしりにもお気をつけくださいね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:51| 健康・美容 | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

東京国立近代美術館

 下の記事の「王国」展をやっている東京国立近代美術館は、明治〜昭和に制作された日本の美術作品を数多く所蔵しています。
 横山大観「生々流転」、高村光太郎「手」を見ると、近代美術館に来たな〜 という気持ちになる。
 あ、今回の常設展には展示されてません。ちょっぴり残念でした。
(常設展も展示替えがあるのです)

 この二作品などは自分の作風を確立しているから落ち着いて鑑賞出来るのだけど、西洋絵画のまねっこ過ぎて目を合わせるのがつらい、というような作品もけっこうある。
 昔は、
「もっと自分の描きたいことを描きなさいよーっ」
 とイライラした。

 でも、たとえば大学に入りたての時なんかに、
「友だちのA子ちゃんみたいに綺麗になりたい!」
 と化粧を始めてみたものの、上手に出来ずやたらと濃くなってしまい、
「水商売の人?」
 と言われてしまった……
 なんて経験、誰でもあるんじゃないかな。

 誰かに憧れて、まねして同じことをやってみて、失敗して、そこから学んで、少しずつ自分に合った方法を覚えていく。
 そういう繰り返しが人間を作ってゆく。

 近代美術館にあるまねっこ洋画も、画家たちが西洋絵画への憧れや劣等感をどう克服していったかの軌跡と思えば、勉強になるし、自分の若い頃と重ねて共感したりも出来る。

 芸術家が作風を獲得する過程と、普通の人が自分を確立する方法は、たぶん似ている。
 美術は日常とかけ離れたものではないのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:16| 美術 | 更新情報をチェックする