2015年02月08日

「奈良原一高 王国」展 感想

 東京・竹橋の国立近代美術館で開催中の「奈良原一高 王国」展に行って来ました(公式サイトはこちら
 「王国」は1958年に発表された写真作品です。

 二部構成になっており、第一部「沈黙の園」はトラピスト修道院で生活する男性たちを追ったもの。
 トラピストと言えばバターとクッキーしか知りませんでしたが、手作業と沈黙を重んじる宗派、とのこと。
 会話が許される条件が規則で決まっていて、誰とでもペラペラしゃべっちゃいけないみたい。

 同じ志を持った人たちと生活するのは楽しそう、とちょっと思ったけど、沈黙は無理だ。
 私の人生の9割は無駄口で出来ているからな……

 第二部「壁の中」は女性刑務所の内部を写したもの。
 場所が場所なので「沈黙の園」ほど顔は出て来ない。
 女たちの背中と、生きた痕跡。

 どちらも閉ざされた空間で、でも内部には「同じ境遇の、同じ性別の人間」が沢山いる。
 これは都会と全く反対の場所なのではないかと思った。
 都会の空間は開かれている(好きな時に好きな場所に行ける)
 しかし周囲にいる人々は、故郷も考え方もバラバラだ。
 「同じ境遇で、同じ性別の人間」を大勢集めるには大変な苦労をしなければならない。

 閉ざされ、外部と切り離され、あたかも孤独になったかのように見える人々に生じるつながり。
 開かれ、誰にでも会える人々は、いったい誰に会えるのか。

 写真というのは基本的に、外に広がっていくのが得意な表現方法だと思う。
 まず自分を撮るより他人や風景を撮る方がラクだから、自分以外のものを見つめるようになる。
 面白い被写体はないかと、外に出かけたり、旅に出たり。

 「王国」はそういう写真の性質を抑え、逆向きに力をかけるようにして、内にこもるものをとらえている。
 そこが意欲的で、作品から受ける印象の強さになっていると思う。
 一度見ると忘れられない。

 作品数はそう多くなく(一部二部合わせて90枚)じっくり見てもそれほど時間はかかりません。
 金曜の夕方に行ったら割と空いてました。

 別の展示室にある同じ作者の「人間の土地」もなかなか良いので見忘れないように!
 こちらも(「王国」ほど完全にではないけれど)閉ざされた人々の写真。
 このテーマに取り憑かれていたのね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:23| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

HIROTAのシューアイス

 地下鉄に乗ってHIROTAの店を見つけると、ついシューアイスを買ってしまいます。
 足早に移動する都会の群衆を避けながら、その場でパクパク。
 今日選んだのはカスタード味で、なかなか美味しかった。

 シューアイスを食べると、
「私は今、お出かけしている!」
 という気持ちになって満足する。

 通勤で地下鉄を使う人は毎日買う訳にもいかないし、誘惑に打ち克つのが大変ですね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:28| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

ニュースおたく

 ラジオでニュースを聞くのが好きです。
 子どもの頃から割と好んでいたけれど、結婚して家事をやるようになり、飢えたようにニュースを求めるようになった。
「一日中ニュースだけを流す放送局が欲しい」
 と切望している。

 何でこんなにニュースが聞きたいのかな…… と考えて、
「長さがちょうど良いんだ!」
 と気付いた。

 家事というのはせわしないもので、掃除のために家中を移動したり、料理や食器洗いのために水をザーッと流したり、
「ラジオを聞けない瞬間」
 が多々ある。

 一時間で一つのテーマを追究するような番組だと、途中が抜けてしまって、結局何が何だか分からなかった、ということになりがち。
 ニュースは一つ数秒〜数分で必ず完結し、次の話題に移る。
 前のニュースが聞けなくても、今流れているニュースを最初から最後まで聞けるのだ。
 家事のお供にぴったり。

「短くても良いから、とにかくまとまりのある話を聞く」
 というのが楽しいんですね。
 何故なのかは分からないけど。

 考えてみると、ニュースって異様なものだよね。
 世界中で起きているとんでもない出来事を寄せ集めて、最もショッキングなものから順番に紹介していくのだから。
「ニュース=世界」
 と思ってしまうと、繊細な人たちは傷付いてしまうんじゃないかな。

 ニュースになるような事件の影響が、波のようにこちらに伝わってくることももちろんあるから、注意しなければいけないのは確か。
 でも、自分の人生を実際に左右するのは、身の周りで起きている出来事だ。
 ニュースはその残酷さに飲み込まれないよう、クールに聞いていきたい。

 地方で行われている意味不明な祭りの話題とか好きなんだよね。
 どの放送局も、のんき系ニュースの時間を五倍くらいに増やせば良いのに。
 それも世界の一つの側面なんだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:03| ラジオ | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

スゥさんの思い出

※パキスタン人がみなこういう考えとは思わないでください。
 あくまで個人的な体験談です。

 母と一緒に働いていたパキスタン人のスゥさん(←あだ名)は、アメリカが大嫌いだった。
 たまたま手にしたボールペンにデザインとして星条旗が印刷されているのに気づき、それを投げ捨てるほど。

 スゥさんはある時、
「柳田さんは広島に行ったことがあるか」
 と母に尋ねた。
 バイト暮らしで経済的に楽ではなかったはずなのに、スゥさんはわざわざ埼玉から広島まで行き、原爆のことを勉強してきたのだ。

「行ったことない」
「行かなきゃダメだ! アメリカにこんな酷いことされたって、もっと憎まなきゃダメだ!」

 スゥさん。
 あなたの目の前にいるおばあさんは、9歳の時、アメリカ軍が落とした爆弾で家を焼け出されました。
 それでも爆弾と戦争だけを憎んで、アメリカ人を憎んだことは一度もありませんでした。

「スゥさんも、日本語が完璧に分かる訳じゃないし。
 言葉がちゃんと通じれば、もっと色々話せたんだけど」
 
posted by 柳屋文芸堂 at 16:27| 思い出 | 更新情報をチェックする

村上春樹への愛を語る

 この際だから村上春樹への愛を存分に語ってしまおう。

 まず、体を鍛え、精神を整え、常に新たなテーマや表現方法に挑戦し、三十年以上、力強い作品を発表し続けているところを尊敬している。
 私も見習って毎日ヨガをやってます。
 マラソンにくらべたらささやかだけど、何もしないより断然、体調が良いよ!

 あと、対談集などで創作について語ってくれるのがありがたい。
 小説を書く時によく思い出します。
 たとえ劣化コピーになってしまっても、まずは書きたいことを書けるようになりたいから。

 そして何より感謝しているのが「エッセイ」!!
 二十代の後半、精神的にキツい時期が二度ほどあった。
 心がどよーんとして、悩みから目をそらしたくても小説を書くことは出来ず、読むことも苦しかった。

 そんな時、唯一楽しめたのが、村上春樹のエッセイだったのです。
 くすっと笑える部分がいっぱいあり、時々真剣で、でも重過ぎず、弱った心でも消化しやすい言葉。
 これを命綱にして、どうにか苦しい日々を渡っていった。

 少しずつ回復し、小説も読めるようになって、「海辺のカフカ」の大島さんが…だと判明した瞬間(ネタバレになるので伏せる)
「あ、私もう大丈夫かも」
 と、危ない場所から脱出したような気持ちになったのを、よく覚えている。

 村上春樹やそのファンに対して悪口を言いたがる人が妙に多いのだけど、そういうのを聞くたび、
「じゃああなた、あの人みたいに私のことを救えるの?」
 と詰め寄りたくなる。

 誰にも出来ないことが出来る作家だし、明らかに教祖っぽいよな、と思う。
 嫌悪する人は、胡散臭い新興宗教みたいに感じるのかな。
 深く沈み込んだ精神を浮上させてくれるものなんて、世の中にそれほど沢山ないのだから、しょうがないじゃないか。

 導師は信者のことを「ハルキスト」ではなく「村上主義者」と呼ぶようにおっしゃってます……(これ
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:40| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

好き過ぎて何も出来ない

 村上春樹が読者のメールに答えるサイトが期間限定で開かれており(ここ)1月いっぱいで質問の受付が締め切られた(回答は今後も続く)
 私も作品、特にエッセイを発表し続けてくれたことへの感謝の気持ちを伝えたかったのだけど、
「たった数秒であっても、私の文章を読ませることで村上春樹の執筆時間を奪ったり出来ないっ」
 と何も出せなかった(どれだけ好きなんだ)

 私は気を使い過ぎて積もる恋心を抑え込んでしまったというのに、
「まだ作品を一つも読んだことがないのですがどれから読めば良いのでしょう?」
 という内容のメールが沢山寄せられているそうで、愛してないってラクで良いよな、と羨ましく思ったよ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:42| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

「物が沢山あって豊か」という考えが「どのように」間違っているか

 60歳より上の人が、
「今の世の中は、昔よりずっと豊かになった」
 と発言するのを読んだり聞いたりするたび、違和感を覚える。

 戦後の焼け野原の写真と現在の街をくらべれば、確かにビルは林立しているし、店に入れば大量の商品が並んでいる。
 けれども、
「今の世の中は暮らしにくい。豊かってこういうことなのかな?」
 と疑問に感じている人も少なくないのではないか。

 当たり前の話だけれども、建物を建てるにはお金が必要だ。
 商品を仕入れるにも。
 つまり「建物や物が沢山ある」ということは「そのための支払いが増えている」

 即座に払えれば良いけれど、「融資を受けて建てる・作る・買う」というのが当然のこととして行われるので、建物や物が増えるたび「借金も増えている」

 今の日本を家庭にたとえるなら、
「おじいさんが借金して買った家に、おばあさんが借金して買った洋服が大量に積まれていて、返済する宛がない」
 という状態なのではないか。

 孫たちは、それをどう感じるか?
 必要でもなければ欲しくもない物が大量にあって、借金まで残し、
「どうだ、豊かだろう」
 というのはどう考えてもおかしい。

 個人の借金なら相続放棄することも可能だ。
 企業や自治体や国の場合、借金は下の世代が強制的に受け継がされる。
 具体的に借金という形になっていなくても、正社員ではなくアルバイトを雇ったり、労働者の数を減らし一人一人の労働時間を増やしたりして、経費削減する。
 税金や社会保険料が上げられる。

 60歳より上の人には、どうもそういうしわ寄せが見えないらしい。
 世の中にある「建物・物」の支払いは全て済んでいると勘違いしている。
 もちろん子どもが過労死させられたりすれば気付くだろうけど、世代の違う人間と接する機会は少なくなりがちだから、20代〜40代くらいの人たちが負わされているものなんて、遠くて関係ないのだ。

 支払いは、買った人たちにしてもらうべきだ。
 若者の負担を減らす方向に社会を動かさなければ。
 年金を減らすのはさすがに可哀想なので、消費税を減らして相続税を増やすとか。

 未来に見えるのは、空っぽのビルだらけの豊かな街。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:16| 社会 | 更新情報をチェックする