2015年05月22日

神は細部に宿る

 下の記事に書いた小説の舞台は高校。
 場面をいくつか想像してみて、ふと気付いた。
 私、高校生活の細部をすっかり忘れてる!!

 体育館で行事をやる時に並べる椅子は、パイプ椅子だっけ?
 もしそうだとしたら、そんなのしまう場所あったっけ?
 教室で、毎朝全員の名前を呼んで出欠を取ったりしたっけ?
 授業中に先生に指されたら、立って答えたっけ? 座ったままだっけ?

 高校生の私! 小説家に憧れていただろう!!
 だったらいつでも小説に出せるよう、何もかも全部覚えておけよ!
 もう、バカバカ。
 当時は当たり前過ぎて意識しなかったんだろうなぁ。

 20年後、今とは全く違う境遇になっていたら、
「専業主婦って昼ごはんにどんなものを食べるんだっけ?
 主婦を主人公にしたいのに! 覚えておけよ、バカバカ!!」
 とか叫ぶんだろうね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:58| 執筆 | 更新情報をチェックする

小説、始めました。

 3月に長めの小説を完成させたので、
「しばらくは読むのに徹して書くのは休もう」
 と思っていたのだけど、やっぱり我慢出来なくなって書き始めてしまった。

 きっかけは10月に開催される「Text-Revolutions」
 このイベントは参加サークルのアンソロジーを作るそうで、その原稿の規定が「4000字以内」だった。
 原稿用紙に換算すると10枚。
 これくらいなら気軽にやれるのでは、と思ったのだ。

 でも、冒頭部分を書いてみてすぐに気付いた。
 この話、4000字じゃ終わらない。
 意外とあっという間だよね、4000字って。

 そんな訳で、普通にText-Revolutionsの新刊として個人誌を出すことになりそうです。
 まあ、めでたしめでたし、かな?

 アンソロジー用の原稿はどうしよう……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:33| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

「父と母」の外側の物語

 自分が母と伯母×2に育てられたので、子どもは「父と母」に育てられなくても良い、と思う。
 まあ、
「変な家庭で育ったからお前は変なんだ!」
 と言われれば、
「そうかも」
 と答えるしかない。でも別に、そのせいで困った記憶はない。

 お父さんとお母さんに育てられた人たちって、お父さんとお母さんにものすごくこだわりがある。
 「お父さんがいない家庭」「お母さんがいない家庭」を「何かが足りない家庭」ととらえてしまうみたい。
 両足のある人が、片足の暮らしを悲劇と感じるのと同じように。
 たぶん、自分の経験にない家庭がどんなものか、想像出来ないのだと思う。

 実際のところ、父と母がそろっているかより、家庭内が落ち着いていることの方が大事なんじゃないか。
 夫婦げんかの絶えない家で育った人の話を聞くと、明らかにそのことで傷ついているのを感じる。

 あともう一つ、お金があるかも重要です。
 母子家庭の大変さは「お父さんがいないこと」ではなく「(稼ぎ手がいないことで)お金がないこと」に起因するものがほとんどのはず。
 お金がないと時間がなくなり、精神的な余裕もなくなるから。

 「お父さんとお母さん」の外側にある家庭の物語を、もっと多くの人が信じられるようになると良い。
 確かに規格外の苦労はあるけれど、社会制度でどうにか出来るところも多いのだし。

 3人の母親に溺愛されたひとりっ子は、世間の多数派を、
「お母さんがたった1人しかいなくて、しかも兄弟がいるなんて、愛情不足で育った可哀想な人たち」
 と見ていたりする。
 もちろん口には出しませんが。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:24| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

3人の母

 私は母と、伯母(小)と、伯母(大)に育てられた。
 途中、犬がやって来て去っていったが、物心ついてから家を出るまで、人間のメンバーは同じだった。

 伯母(小)は2011年に亡くなった。
 それなのに、夢の中では母と伯母(小)と伯母(大)が3人セットで出てくる。
 母と伯母(大)はまだ生きていて、伯母(小)はもういない、ということを夢見る私は忘れてしまうらしい。
 というより、私にとっては「母・伯母(小)・伯母(大)」は3人合わせて1つの存在なのかもしれない。

 私はいつか母と伯母(大)も失うだろう。
 しかしそうなっても、母と伯母(小)と伯母(大)は何事もなかったように3人セットで夢に出てくる気がする。
 何が起きようと、私は決して母と伯母(小)と伯母(大)を失わないのだ。
 良くも悪くも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:38| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

シャーリイ・ジャクスン「丘の屋敷」感想

 風邪はまだ治っていませんが、昨日よりはラクかな。
 節々は痛まないけど、動くのはおっくう、という程度。
 皿洗いくらいしたいなぁ。

 家事を全くしないと、精神的に参っちゃうんだ……
 ワーカホリックなのかしら。
 病気ってイヤね。

 でも、今回は良かったことが一つある。
 シャーリイ・ジャクスンの「丘の屋敷」が手元にあった!
 全身がピシピシ痛んだり、重く怠〜くなったりしている状態で、最初から最後まで読めた!

 病気の時に読むために、積読されていたのかも。
 いつ買ったのか全然覚えてない。
 内容が内容だけに、怖いな。

 幽霊屋敷に滞在して、怪奇現象を体験する、というお話。
 夜中にドアがノックされたり、部屋が血まみれになったり、まあ「いかにも」な事件が次々起こるのだけど、たぶんこの小説の肝はそこじゃない。
 出てくる登場人物が、全員おかしいのだ。

 主人公は長年母親の介護をしていて外の世界を知らず、30代なのに空想好きの少女のよう。
 学校長だというアーサーの、自分の学校の説明は支離滅裂。
 食事の用意をしてくれるダドリー夫人は、ロボットのように同じセリフを繰り返す。

 読めば読むほど、
「お化けより人間の方がよっぽど怖い」
 という気持ちが膨らむ仕掛け。

 ……仕掛けなのかな?
 シャーリイ・ジャクスンの小説って、いつもこんなだったような気も。

 家中のあらゆる角度が微妙にずらされて設計されているという幽霊屋敷(=丘の屋敷)と同じように、この小説では登場人物たちの精神が「微妙にずらされて」描かれている。
 この本を読む行為自体が「丘の屋敷への滞在」と同じ効果を生み出す。

 主人公は最終的に丘の屋敷にすっかり同調し、幸福感に包まれる。
 読んでいる私も同じだった。

 ああ、ありがとう。
 弱った心と体には、あなたたちのとち狂った会話が何より素晴らしい滋養になった。
 まともな人たちの、まともな会話なんて疲れるだけ。

 どこまでもずれて、ずれて、見知らぬ風景にたどり着く。
 そこだけが私の「怖くない場所」
 本を開き、文字を追って、ようやく私はそこに帰ることが出来る。

 冒頭が美しいので引用しておこう。

「この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい。
 ヒバリやキリギリスにしたって、夢は見るというのだから」

 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:01| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

見事なまでに風邪っぴき

 久々に風邪をひいて倒れている(今はまあ、座っているけれど)
 最初はのどが焼けるようにヒリヒリした。
 今朝からは体が熱いような凍えるような感じで、全身の節々が痛む。
 特に左側の腰・尻・ふとももが酷い。
 先程はトイレで貧血を起こした。

 家事は休ませてもらい、なるべくベッドで横になるようにしている(今はまあ、座っているけれど)
 今回の闘病のお供はシャーリイ・ジャクスンの「丘の屋敷」
 出てくる人があらかたおかしいので、心が安らぐ。
 まともな人たちのまともな会話は、疲れてしまうんだ。
 弱った心身にぴったりの本が家にあって、本当に良かった。

 動くとまた倒れそうで嫌だなぁ。
 でももうそろそろベッドに戻らないと……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:07| 健康・美容 | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

ネット広告

 ネットの広告が気持ち悪い。
 検索した結果が反映されるから。

 例えばある商品について調べたら、全然関係ないいつも見に行くブログの右側に、その商品がずっと表示される。
 今はもう慣れたけど、最初のうちは、
「何で都合よく私の好きなものばかり宣伝されるの?」
 と見るたびゾッとした。

 好きなもの、興味のあるものなのに、不思議と嬉しくない。
 欲しいものは欲しい時に自分で探しますから、とうんざりした気持ちになる。

 ある時、この記事を書くために馬具について検索したら、ネットの行く先々で馬具をおすすめされるようになった。
 追いかけられるように馬具、馬具、馬具。
 いくら広告を出されても、乗馬をやる訳でなし、苦笑するばかり。
 
 ネット広告をクリックしたことってほとんど無いように思う。
(間違って押しちゃって『あー』って時はあるが、すぐ消す)
 検索したものをプッシュし続けるって、一見良い案なのになぁ。
 ちょっと単純過ぎるんだよね。

 本当は必要なのに、必要であることに気付いてないようなもの。
 その存在を知るべきなのに、まだ知らずにいるもの。
 そういう、
「視界のすぐわきにあるもの」
 を勧められたら、けっこう見に行っちゃう気がするんだよね。

 この記事をアップすると、また馬具の広告がガンガン出るようになるのかしら……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:33| ネット | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

物理学科ハーレム

 社会人になってから知り合う物理学科出身の男性が素敵な人ばかりなので、
「物理学科の男を集めてハーレムを作りたいな〜」
 と妄想していたのだけど、それは「物理学科」なんじゃないか……?

 しかし自分が物理学科にいた時にハーレム状態だったかというと、全然そんなことない。
 いくら男が多くて女が少なくても、モテなきゃハーレムにならないのだ(当たり前)
 でも、優しくて親切な人が多かったし、好きなだけ物理の話が出来たし、楽しかったなぁ。

 世間では「理系=クール」と思われがちな気がする。
 私の印象だと、理系は男女問わず情熱的な人が多いように思う。
 情熱を傾ける分野が限定的で、世間とズレているから分かりにくいのかもしれない。

 興味のないことは、存在しないかのように無視する。
 相手を気遣って「興味のあるふり」なんて絶対しない。
 その代わり、好きなものの話を始めたら止まらなくなる。

 そういう理系の正直さ、不器用さを私は好ましく思うけれど、世間の人は、
「何だ、こいつは」
 と眉間にしわを寄せるだろう。
 その人はクールなのではなく、あなたやあなたの話に興味がないだけです。

 私に興味を持っている10人の物理学科の男を相手にすることになったら、大変そうだなぁ……
 血圧とか脈拍とか脳波とか、測れそうなものは全て測定・記録されそうだし。
 その結果について議論し、考察を加え、レポートを書いて全員発表。
 それはハーレムじゃなくのり研究所だよ。

 Dちゃんだけで十分、というか手一杯だということがよく分かりました。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:43| 与太話 | 更新情報をチェックする

2015年05月14日

女の体

 女に生まれて良かった、と思うのは、堂々と女湯に入れることです。
 私は女でありながら、女の人の体に憧れを感じている。
 性的に興奮するのではなくて、豊かさとか郷愁とか、何とも言えない切ないような気持ちになる。

 これまでで一番綺麗だったのは、高校時代、部活の合宿中に風呂場で偶然見ることになった、Y先輩の裸だ。
 学年ごとに入浴の時間は決まっていたはずで、先輩が遅かったのか私が早かったのか忘れたけれど、先輩は突然入ってきた私に驚くこともなく、ゆったりと髪を洗っていた。
 先輩の体は均整が取れていて、肌は全身真っ白で、目に焼きつくほど美しかった。

 男性向けのポルノのような、媚を売る裸は好きじゃない。
 自分の肉体の価値に気付いていない、もしくはすっかり忘れ去っている、無防備な女の体が好きだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:50| 思い出 | 更新情報をチェックする

2015年05月13日

読まれることを拒否する本

 自分で本を作る時には、なるたけ読みやすくなるようあれこれ工夫しなければいけないのだけど、いっそ岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」にならって「読まれることを拒否する本」を作ってみてはどうかという話になった。

D「表紙を紙ヤスリにするんだよ」
私「中綴じ本なら簡単にやれちゃうね……」
D「本棚にしまおうとすると、他の本もボロボロに!」
私「読まれることだけじゃなく、しまわれることも拒否するのか……」
D「その本だけ特別な置き場を用意しなければいけない」
私「あちこちザラザラしそうでイヤなんだけど。カバンに入れておいたら底が粒だらけになって『あー』とか」

 いっそ工具箱に入れたらどうか。
 本を使ってあちこち磨けて便利そう。
 それはもう本というより紙ヤスリだな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:50| 同人活動 | 更新情報をチェックする