2015年06月12日

自分ではない何かになりきる

 小説を書く時は、一時的に登場人物になりきる。
 小学生になったり、医者になったり。

 今日は「悩みを抱えた男子高校生」になりきり、そのままの状態で村上春樹の「風の歌を聴け」を読んでみた。
 そうしたら、いつもの状態(大人の女性)で読んだ時とは全く印象が変わったのでびっくりした。

 何だかあちこちに教訓が散りばめられているような気がするのだ。
 悩める者がすがるように読んだ時にだけ浮かび上がる教訓。
 それとも悩める者は、悩みを解決したいと願うあまり、あらゆるものから教訓を読み取ってしまうのか。

 「風の歌を聴け」はデビュー作なので、最近のものとは作風がずいぶん違う。
 「いつもの状態」の私は、ストーリー構成がかっちりしているタイプの村上春樹作品を好む。
 エピソードのつながりがばらっとしている「風の歌を聴け」は、それほど大事に思っていなかった。

 でも「悩みを抱えた男子高校生」になりきったことで、
「村上春樹は初期作品が好き」
 と言う人の気持ちが少し分かった。

「自分ではない何かになりきる」
 なんて、小説を書いたり劇で役を演じたりする時にしかやらない特殊なこと、と思うかもしれない。
 しかしこれは、
「周囲の人の考えを想像しながら行動する」
 という、社会生活を穏やかに送るために必ずやる行為、の応用でしかない。
 つまり誰でも簡単に出来るはず。

 世界をいつもと違った目で見ると、色々発見がある。
 たまには自分をどこかに置いて、「僕」や「あたし」や「拙者」になってみよう。
 いつでもどこでもタダでやれる、楽しい遊び。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:19| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

読まれない、という嘆きは読まれる

 数日前、同人誌即売会で小説を発表している人たちの間で、
「小説が読まれない」
 ということをテーマにした対談が話題になった(具体的には、対談へのリンクの入ったツイートがあちこちでリツイートされ、それに対する反応と思われるツイートが沢山見られた)

 面白いなー と思ったのは、その対談をした人たちの小説は読まれないのに、対談は多くの人に読まれた、という事実。
 「小説」より「『小説が読まれない』という嘆き」の方が共感を呼んだということ。

 ここに「読まれる」ことの本質がある気がする。
 小説を発表している人たちがどうしてこの対談を読んだかといえば、一言言いたくなるようなムズムズを感じたからだと思う。

「私の小説も読んでもらえないんだよね」
「私の小説は読んでもらえてるよ」
「小説を読んでもらうには〇〇した方が良い」
「読んでもらえないことを読者や環境のせいにするんじゃない」
 等々。

 簡単に言えば「自分に関係がある」と感じたから読んだのだ。
 一方で、小説ではそんなムズムズを喚起することが出来なかった。

 おそらく多くの人は、完璧な作品、美しい作品より、
「みんなでワイワイ議論出来る作品(文章)」
 を求めている。
 孤独に読書するより、議論する方が楽しいもの。

 もし多くの人に読んでもらいたいと思ったら、多くの人に(もしくは読者になりやすい人に)共感してもらえるテーマを設定し、最初の方でそれが分かるようにしたら良いと思う。
 つまり、「小説が読まれない」と嘆くアマチュア小説家を主人公にした小説……
 読みたいかなぁ、それ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:06| ネット | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

大友良英「学校で教えてくれない音楽」感想

 「あまちゃん」の音楽を担当していた大友良英さんの本です。
 私は「あまちゃん」を見ていないのですが、ラジオで時々聞く大友さんの話が好きだったので読んでみました。
 書き言葉ではなく話し言葉で書かれており、怒りとユーモアを含んだ彼の声が聞こえてくるよう。

 大友さんは学校の音楽の授業が大嫌いだったという。
 実は私も苦手だった。
 「音楽をやっている」というより「音符の問題集を解かされている」ような気がしませんでしたか?

 リコーダーで一曲吹き、ちゃんと出来たら○をもらって次の曲。
 学期末までに教本の曲を全部やれなかったら居残り、とかアホかと。
 そんな漢字ドリルみたいなことをしていたら、音楽の本質からどんどん離れていってしまう。

 音楽とは、もともとどんなものなのだろう。
 どんな作用を持っているのだろう。
 音楽の本質に近付くにはどうすれば良いのだろう。
 この本では、ワークショップ等を通してそれらの疑問を考えてゆく。

 言葉を話せない子が、ピアノの音で人とやり取りしたり、
 不良の子が、合奏の中で自分の役割を見つけたり、
 音痴コンプレックスを持つ人が、音程など気にせずに自分用の音楽を作ったり。

 我々が「音楽」と思っていることは、実は狭過ぎるのかもしれない。
 音楽はもっと広く豊かなもので、もしかしたら毎日の会話さえも音楽なのかもしれない。

 音楽の不思議さについて考えたことのある人なら、楽しめると思います。
 ぜひ、ドレミファソラシドの外側にある音楽を感じてみてください。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:51| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

編集上手は文章上手

 編集が上手な人は、文章も読みやすい。
 14年間、創作文芸同人誌を読み続けて感じたこと。

「編集をしっかりやるのも、読みやすい文章を書くのも、
『読者のことを考えて本を作っている』
 ってことだもんね」
 とDちゃんは言うけれど、それだけではない気がする。

 「文章を書く」という行為そのものが、編集の要素を持つのではないか。
 言葉を選び、並び方を決め、余分なところを削り、バランス良く配置する。

 つまり編集を勉強すれば、文章力も向上したりするのかもしれない。
 編集上手になりたい! 文章上手になりたい!!
 そう思って本屋で編集の教科書はないかと探すのだけど、分厚くて読むのが大変そうなのしかないんだよね……
 書籍だけでなく、雑誌やカタログまで全部作れることを目指すような。

 読みやすい小説同人誌を作ることを目標にした編集の本、ないかなぁ。
 欲しいなぁ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:57| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

共白髪

 一昨年くらいからだろうか、見てすぐはっきり分かるほど白髪が増えた。
 老人への第一歩という感じで、本来なら落ち込む出来事なのかもしれない。

 けれども私は自分の白髪が嬉しい。
 Dちゃんの髪も、私とほぼ同じ速度で白髪混じりになっているから。

 白髪の進み具合には個人差があるはずなのに、不思議。
 同い年で、毎日同じ食事をしているせいかもしれない。

 自分の白髪を見て、Dちゃんの白髪を見ると、
「19歳の時に知り合って、ここまで一緒に歳を重ねて来たんだな……」
 という感慨が胸にふわぁ〜っと膨らみ、じんわり幸せになる。

 過ごした時間が充実していれば、老いるのは悪いことじゃない。
 白髪の本数は、Dちゃんと生きた日々の証。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:46| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

よく分からないものを口に入れて叱られる38歳

 パン生地をこねていたら、手に何かが当たった。
 引っ張り出してみると、3ミリくらいの透明な欠片だった。

 プラスチックやガラスだと困るなと思い、水に入れてみたら溶け始めた。
 ならば塩か砂糖だろうと、小さくなった欠片を口に入れると、うーん、甘くないから砂糖ではない。
 でも「しょっぱーい!」って感じでもない。

 とりあえず洗面台でペッと出して、塩の容れ物を調べることにした。
 3ミリまではいかないが、大きな結晶がけっこう混ざっている。
 その一つを口に入れてみた。
「しょっぱーい!」

 っていうことは、あれは塩じゃなかったのかなぁ?
 いや、私は「少し溶かした欠片」を舐めたのだ。
 結晶の周りに付いている細かい塩を取らないと、条件が同じにならない。

 私は再び大きめの結晶を取り出し、箸で細かい塩をはらった。
 それを口に入れると、うん、あんまりしょっぱくない。
 溶けにくくて、塩分がなかなか出てこないのだ。

 さっきの欠片と似た感じだから、きっとあれも塩だったんだろう!
 という訳で、私はそのパン生地でいつも通りパンを作った。

 ……ということがあったよ、とDちゃんに話したら、
「乾燥剤かもしれないのに! よく分からないものを口に入れないでよ!!」
 とメチャクチャ怒られた。

 その物質が塩かどうかを調べる簡単な方法ってあるのかな。
 まあ、舐めちゃうよねぇ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:06| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

特効薬を求める人々

 積ん読本がすごいので、しばらく本屋へ行くのを我慢していたのだけど、三味線のお稽古の帰り、ついフラフラと立ち寄ってしまった。
 が。見たいと思っていた本はことごとく無いし、自己啓発本が大量にあるしで疲れはて、何も買わずに出てきてしまった。

 自己啓発本って、タイトルが視界のはしに入るだけでヘトヘトになりませんか?(私だけ?)
 どの本も、押しの強い単語が大きな字で並んでいる。

 小説やエッセイがご飯だとしたら、自己啓発本はサプリメントか薬みたい。
 効き目がはっきりしているものを求めている人が多いんだな…… と感じる。

 私はご飯だけで生きていきます。
 しかし、ああいう本屋ばかりなら、積ん読本が増えなくてありがたい、かも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:35| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

読むのがつらかった小説

 同人作家さんの小説を読んでいたら、予想通りの展開が次々続き、げんなりしたことが何度かある。

「予想通りだから安心して読める」
「自分の予想が毎回当たって嬉しい」
 という風にはならないのが不思議。

 物語には多少なりとも意外性がないと、読むのがつらくなるんですな。
 読み進める意義が感じられなくなってゆくというか。

 よく覚えているのは二作品で、どちらもファンタジー小説だった。
 確かにストーリーの型が分かりやすいジャンルだ。
「ファンタジー小説で最もありがちな展開」
 を正確になぞることが(自覚なしに)作者の最終目標になっているように見えた。

 文章はプロ並みに上手くて、読みやすい。
 きっと努力したのだろう。
 ファンタジー小説に限らず、長く書き続けていると型にはまって、妙に完成度が高くなったりする。

 意外性を失った完成は、本当に完成なんだろうか。

 偉そうに批判したけれど、予想を良い意味で裏切り続けるために何をするべきか、私も全く知らない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:45| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

狂言「若和布」、能「融」

 今日は千駄ヶ谷にある国立能楽堂で狂言と能を見てきました。
 北参道駅からも行けることを初めて知った。

 狂言「若和布(わかめ)」は、
「(海藻の)ワカメを買ってこい」
 と言われたのに、若女(わかめ=若い女)を買ってきてしまう、というお話。

 狂言の発想は毎度とんでもないな。
 住持(住職)役の佐藤友彦さんの身のこなしが美しかった。
 着物が乱れなくなびいて、お坊さんというよりプレイボーイみたい。

 能「融(とおる)」は、失われた風景と月光のお話(雑な説明でごめんなさい)
 セリフと現代語訳の載っている本を事前に読み、準備万端だったはずなのに、開始直後に猛烈な眠気が。
 狂言までは全然眠くなかったのに…… 能の催眠効果すごい。
 不眠症の人は試しに能のDVDを見てみたらどうか。

 何だか馬鹿にしているようだけど、
「能はね、眠くなったら寝て良いんだよ」
 と能に詳しい人に教えてもらったことがあるから、別に無理して目を開けておく必要もないのだと思う。
 でもやっぱりグーグー寝たらもったいないので、ウトウトしながら鑑賞しました。

 狂言や能の特殊な空間に入ると、心が少しだけ生まれ変わる感じがする。
 時折で良いから、また味わいたいな(寝るくせに)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:34| 演劇・演芸 | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

オレンジラッシーの作り方

 暑いですね〜
 汗だくになりながら料理や皿洗いを頑張ってます。
「もうイヤだ〜!」
 となりかけたら、美味しいオレンジラッシーを作って気分転換します。

【作り方】
1、コップの1/4くらいまでプレーンヨーグルトを入れ、なめらかになるまで混ぜる。
2、コップの1/2のところまで水を入れ、均一になるまで混ぜる。
3、コップの上のところまでオレンジジュースを入れ、また均一になるまで混ぜる。

 1をしっかりやらないとヨーグルトのだまが出来ちゃうのでご注意を。
 オレンジジュースは濃縮還元でないストレート果汁100%を使用。
 それ以外で作った時にどうなるか知らない。
 割とどんなジュースでやっても美味しいかもね。

 ラッシーの記事って書いたことあったっけ、と検索したら「しょっぱいラッシー」の作り方が出てきた(これ
 熱中症対策にはこっちの方が良いかもしれない。
 トマトジュースを入れたしょっぱいラッシーもやりたいな〜
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:00| 飲み物 | 更新情報をチェックする