2015年12月13日

「熊本あるある」感想

熊本あるある -
熊本あるある -

 今書いている小説の主人公が熊本出身という設定なので読んでみました。
 熊本方言もいっぱい紹介されていて楽しかったです。

「あくしゃうつ」
「ぎゃん」
「武者んよか」

 などなど。
 福岡に行った時に、方言を話している人がほとんどいなくて驚いたのだけど、熊本はどうなんだろう。

 この本の中に、
「九州をひとくくりにする感じが許せない」
 とありますが、ごめん、完全にひとくくり。

 特に方言の違いは全く聞き取れないと思う。
 地域ごとにタ行の使い方が微妙に変わるような。
 とう、とる、とっと、ちょん、とか。

 必死になった時にお国言葉が出たりするの、良いな〜 と思うのですが、書けそうにない。
 この子はこういう言葉で育ったんだ、とイメージしつつ、関東の言葉で物語を進めていきたいと思います。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 03:14| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年12月12日

いつでも、どこでも

 尊敬出来る人を見つけること。
 その人から沢山学ぶこと。
 尊敬しているからといって、その人に完璧を求めないこと。
 人間なのだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 03:09| 考え | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

自分用メモ

 2015年12月9日、池袋に向かう電車の中で「贋オカマと他人の恋愛」の続編にあたる長めのBLを書き始めた。
 下調べが済んでいないのだけど、書きたくなっちゃったので。
 書きつつ調べて直していけば良いかなと。
 また2年くらいかかるのだろうか、これ。

 予想通りこの話、書くことより書かないことの方が大変なやつだ。
 うっかりすると家事も食事も全部ほっぽり出して書いちゃうな。
 外出先以外では書かないように気を付けよう。

 同時に友人たちと作る本に載せる予定の短編SFも書いている。
 書き始めたのは11月の終わりくらいだったかな?
 こっちは頑張って書かないと書けないタイプ。
 書き上げられるのか、メチャクチャな話にならないか、かなり不安。

 ガンガン書ける話は滑っていきやすいし、必死に書かないと書けない話はボソボソになりやすい。
 出来れば、どちらも読んで面白い作品にしたいのだけど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:07| 執筆 | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

言葉の可能性と、自分の言葉の拙さ

 88の短編が収録されている、同人誌即売会Text-Revolutionsアンソロジー「再会」の感想を作者の方々に送ったのですが(全員じゃないですごめんなさい。全部に感想書いた森村さんと凪野さんほんとすごい……)
 言葉が持つ可能性と、自分が使える言葉の貧しさを改めて実感しました。

 私が素敵だと感じる作品って、たいてい「言葉では言い表し切れないこと」が書いてある。
「あなたの文章を読んでいる時に、心にモヤ〜ッと出てきたコレ、コレが良かったのよ!」
 というのが私にとって最も正確な感想なんだけど、こんなこと言われても作者は「は?」だよね。

 仕方ないのでこの「モヤ〜ッ」を「優しかった」とか「美味しかった」とか、どうにか言葉に置き換えて伝える。
 でも全部近いけど違うんだよね。
 大事なのは「モヤ〜ッ」なんだよ。
 自分の気持ちなのに、誤訳することしか出来ない。

 言葉を並べていくと「言葉では言い表し切れないこと」がポロポロこぼれていく。
 私が伝えたいのはまさにその「言葉では言い表し切れないこと」なのに。

 言葉って本当に不思議。
 「再会」を一冊読むだけで、言葉によって表現出来ることがどれほど深くて広いか、よく分かる。
 何しろ88人分の技が見られる訳だから。

 それなのに私が使えるのは、そんな言葉の可能性の、ほんの一部分だけなのだ。
「この言葉とこの言葉は使っちゃダメよ」
 と誰かに禁止されたりしてないのに。

 どの言葉も自由に使って良いのに、全然自由に使えない。
 これって変な感じがしませんか?

 もっとちゃんと言葉を使えるようになりたい。
 何十年もそのことを考えているのに、なかなか上達しないなぁ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 11:02| 言葉 | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

近所迷惑なエヴァンゲリオン

 高校時代の友人から、
「近所でエヴァンゲリオンが暴れている」
 と、動画が送られてきた。

 見てみると、確かにエヴァンゲリオン(初号機)が、白い壁のマンションを破壊しつつ、
「フオォォォー!」
 とか叫んでいる。

 これは迷惑だな、と同情する。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 07:46| 夢(寝ながら見る方) | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

NAXOS JAPAN(作)IKE(画)「ベートーヴェン4コマ劇場 運命と呼ばないで」感想

 運命と呼ばないで: ベートーヴェン4コマ劇場 -
運命と呼ばないで: ベートーヴェン4コマ劇場 -

 ベートーヴェンの日常を描いたギャグ漫画。
 30代前半くらいの頃が中心です。
(その頃に作曲され、作中でも取り上げられているのは「月光」「英雄」「熱情」など)

 解説も多く学習漫画的ではあるのですが、おふざけがすべってなくて、ちゃんと楽しい。
 実際にあったパトロンや弟子たちとの交流や、当時の社会状況も踏まえた上での笑い。

 歴史と音楽をからめて考えたことってあまりなかったのだけど(歴史苦手で知識がないから……)
 ベートーヴェンが生きていたのは音楽家にとって大変な時代だったのね。
 フランス革命の直後で、音楽家を経済的に支えていた貴族たちは力を失いつつあった。

「これまでと違う世界で、どう生きていったら良いのだろう」
 という不安感が、物語の底にずっと流れている(ギャグ漫画なのに)

 音楽室に貼ってあった肖像画のせいで、ベートーヴェンというのは陰鬱で気難しいおじさんのように思い込んでいた。
 漫画でもそういう部分は描かれているのだけど、それより何よりパワフルなの!
 この設定には「あっ!」と目から鱗が落ちる気がした。

 あんな力強い曲を、次々に作曲して発表していったのだもの。
 暗いだけの訳ない。

 物語の語り手として登場する弟子のリース君が、けなげで真面目で可愛い。
 そのライバル、チェルニー君(あの、練習曲で有名な人)も。

 私が一番気に入ったのは、ベートーヴェンの悪友でヴァイオリニストの、シュパンツィヒ。
 ベートーヴェンから信頼されていたようで、弦楽四重奏曲や交響曲など、数多くの初演に携わったらしい。
 恰幅が良くて大らかで、気持ち良い演奏をしてくれそうな人に描かれている。

 ベートーヴェンの音楽を聞くたびに、再びこの本をパラパラして、彼の音楽を身近なものとして味わいたいな。
 クラシックと漫画が好きな方はぜひどうぞ。
 おすすめです♪

運命と呼ばないで - ベートーヴェン4コマ劇場 公式サウンドトラック「ズンドコマーチ頂上決戦」 -
運命と呼ばないで - ベートーヴェン4コマ劇場 公式サウンドトラック「ズンドコマーチ頂上決戦」 -

ベとべんべすと Beethoven-BEST<WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」スタート記念〜ベートーヴェンの生き様がわかる30曲を年代順に収録> -
ベとべんべすと Beethoven-BEST<WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」スタート記念〜ベートーヴェンの生き様がわかる30曲を年代順に収録> -

 これも欲しい……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 16:39| 読書 | 更新情報をチェックする

創作バル「シラントロ」

 代々木上原にある「シラントロ」というお店に行ってきました。
 公式サイトの説明を引用すると、

 「シラントロ」はスペイン語で香菜(別名パクチー・シャンツァイ)の意。
 香りのある食材を中心に、ラテン諸国の料理をアレンジした創作バルです。


 とのこと。
 私は香菜がメチャクチャ好きなので、シラントロがいっぱい使われていることを示す「葉っぱのマーク」の付いたメニューばかり頼みました。

IMG_0542.jpg
↑野菜のエスカベッチェ(酢漬け)

 チキンとパプリカの煮込みを具にしたタコス(シラントロを盛って包む)が、食べにくかったけど美味しかった。
 はむっと齧り付くと、反対側から具が出そうになって(そっち側を少し食べ)再び、はむっ
 えーい面倒だ、と残り半分は口に全部詰め込んでね。
 すごい顔してたと思う……

 これはシラントロ料理ではないけれど、マッシュルームとチョリソのアヒージョ(ニンニクを入れたオリーブオイル煮)も良かった。
 パンをこの油にひたして食べると…… 思い出すだけでニヤニヤしちゃう。
 どう考えてもカロリーがすごいので、一口でやめましたが。

 これでもか、これでもかとシラントロを食べたはずなのに、食後、いよいよシラントロが食べたくてたまらなくなっていた。
 ピンチョ・チキン(辛めの焼き鳥のようなもの)にもどさっとシラントロがかかってて。
 あれは家でもやってみたい。

 円城塔「道化師の蝶」の中にシラントロについての文章があるので引用してみる。

 コリアンダーとシラントロとパクチーとシャンツァイは何故か同じものを指す。
(中略)
 コリアンダーの細い茎だけを考えるのに、まるで沢山のものを同時に思い浮かべるようで、実際、音の響きによってコリアンダーの緑の濃さも匂いも変わって感じる。言葉を呼び出すことにより、歯に挟んだ香りが浮かび、匂いは空気を呼び起こし、空気があれば土地があり、土地があれば人がいる。人があればざわめき騒ぐ。


 コリアンダーとパクチーとシャンツァイは、インド料理、タイ料理、中華料理として食べたことがあった。
 でも「シラントロ」はこのお店で初めて食べた、のかもしれない。
 また行きたいです♪
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:48| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

大島薫「ボクらしく。」感想

 私が書いた小説(「オカマ板前と春樹カフェ」 「邯鄲」など)に、メグちゃんというキャラが出てくる。
 体は男、心は女で、諸事情あって性転換手術をしていない。

 可愛らしい女の子の顔をしていながら、恋人に服を脱がされると男の体が出てくる。
 そこら辺の女の裸よりよほどエロティックだろうなー
 と空想していたら、現実にもそういう人がいて驚いた。
 その人の名前は、大島薫。

 顔は女(清楚な美人)、体は男で、心は女ではなく、男。
 え、じゃあ女顔なだけの男なの? と思われるかもしれないが、それは違う。
 その微妙な部分が書かれているのが彼のフォトエッセイ「ボクらしく。」

 ボクらしく。 (マイウェイムック) -
ボクらしく。 (マイウェイムック) -

 性別、という概念は考えれば考えるほど難しい。
 心の一番傷付きやすい部分と結び付いているようで、この話になるとみな冷静さを失う。
 クマノミの生態を説明するように客観的に語れたら良いのだけど、そんなことが出来る人は滅多にいない。

 人間は基本的に、自分の性別を正確に理解して欲しいという欲求と、相手の性別を即座に判別したいという欲求を持つ。
 もともとは繁殖のための機能だと思うが、繁殖と関係ない場面でもこの欲求は消えない。
 大多数がこの欲求を簡単に満たせるシステムとして「男と女」という単純なジャンル分けが生まれたのではないか。

 実際には、この二つだけでは説明出来ないことが沢山ある。
 男・女以外にも、男が考える女・女が考える男・LGBTなど様々あり、もっと言えば人間の数だけ、空想の数だけ性別はあると考えた方が、色んなことが腑に落ちる。

 空想上の性別に「ふたなり」というものがある。
 男性器と女性器の両方を持った両性具有のことで、「男が考える女」のジャンルの一つと言って良いと思う。
(「女が考える男」にも両性具有はあるが、ふたなりとは別の表現になる)

 大島薫は同人イラストの「ふたなり」に興味を持ち、その流れでニューハーフに憧れる。
 しかしその世界が期待と違っていたため、女になりたいと一度も思ったことがないにもかかわらず、自分で女装を始める。
 そして高校時代に美術部で培った観察力や美的感覚を駆使し、AV「女優」として働けるまでの美しさを手に入れる。

 男性でもなく、女性でもなく、ゲイでも、ニューハーフでもない、大島薫という生き方。

 と彼は言う。

 本一冊書かなければ表現しきれない性別。
 これは大島薫だけの話なのだろうか。
 かなり多くの人が、一言では説明出来ない性別を持ちながら、男と女という枠組みの中で窮屈な思いをしているのではないか。

 我々人類が、性別という身近で複雑な問題を、完全に解明・解決する日は来るんでしょうかね?

 性別の不思議にハマったことのある人が読めば、きっと何かしらの発見がある本だと思います。
 それとは別に、世知辛い世の中をしたたかに生き抜く若者の話として読んでも面白い。
 芸大進学を諦めたり、うっかりブラック企業に就職してしまったり、バイトを転々としたり、私も若い頃は全然暮らしが落ち着かなかったので、他人事と思えず切なかった。

 大島薫は現在AVから引退し、タレントとして活動中とのこと。
 ドラマや映画の世界で活躍してくれたら嬉しいな。
 物語には性別が曖昧な人たちが、当たり前のように数多く登場するのだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:44| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

水木しげる

 水木しげるが亡くなった、というニュースを聞いても、思ったほどショックを受けなかった。
 高齢だったせいもあるが(93歳)同じように「大好きなおじいちゃん」であったまど・みちおが104歳で亡くなった時には、巨木が倒れたような衝撃を感じたのだが。

 「失った」というより「いるべき場所に帰っていった」ような気がしたからかもしれない。
 水木しげるというのは、全く人間社会に向いてない人だったように思う。

 戦地に行け、死ね、殺せと理不尽な命令をしてくるし、平和な時代であっても「他の人に合わせろ」と叱られる。
 水木しげるは最初から最後まで、人間に合わせて自分を変えたりしなかった。
 画力で、漫画の力で、社会の方を変えてしまった。
 妖怪世界を築くことで、自分の生きられる場所を作った。

 水木しげるの描く妖怪たちがみな愛おしいのは、人間社会の中で窮屈な思いをしながら、自分のささやかな能力を使って、必死に生きていこうとする姿に共感するからではないか。
 水木しげるも妖怪だったし、私たちも妖怪なのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:34| 読書 | 更新情報をチェックする