2010年09月22日

思い出は燃えない

「身近な人から戦争体験を聞く機会が減っていて、映像でしか戦争を知らない世代が増えています」
 みたいなことをアナウンサーが深刻そうに言うたびに、
「なに暗くなってんだ。めでたいことじゃないか」
 と私は思う。

 戦争体験って、そんなに聞かなければいけないものなんですかね?

 私は物を所有することにほとんど興味がない。
 未来のこともあまり考えない。
 とにかく大切なのは今の一瞬。
 かなり徹底した刹那主義者だ。

 東京大空襲で、母や伯母たちが住んでいた家は全焼した。
 子どもの頃の写真は一切残っていない。
 家財道具ももちろん燃えてしまった。
 まあもともと大して持ってなかったのだろうけど。

 布団だけは、伯父が持って出たので無事だった。
 重い布団を背負い、小さな妹(=私の母)を連れて逃げる男の子(=伯父)
 「火垂るの墓」みたいですが、実話です。
 1000回くらい聞かされたもの。

 正直言って、私は平和というものを全く信じていない。
 戦争なんて、安全な場所にいる人間が勝手に始めてしまうのだ。
 決定権の無い人間は、火の粉をどうにかよけながら、逃げ切るより他はない。

 死ぬかもしれない。
 いつ死んでもいいように生きるしかない。

 ……こんな人間を大量生産する必要性ってあるのかなぁ?
 それともこんな風になったのは、私が変わり者のせい?
 他の「戦争体験者に育てられた人たち」は、刹那主義者ではなく、まともな平和主義者になったのかしら。
 周囲にいないので、よく分からないけれど。
(私は母が遅くに産んだ子どもなので、世代がずれている)
 
 私に信じているものがあるとすれば、それは「エピソード」だ。
 「物語」「思い出」「笑い話」と言っても良い。
 持ち物を全て失っても、言葉さえ使えれば、何度だって「再生」出来る。

 振り向くと、燃える我が家が見えます。
 母や伯母たちが「言葉」の力で植えつけた「私の中の空襲」
 悔みもせず悲しみもせず、1秒でも長く生き延びてやろうと、それだけを考えている。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:44| 自分 | 更新情報をチェックする