2011年07月24日

伯母(小)のこと、田嶋華子さんのこと

 伯母(小)が亡くなった時に感じたことを文章にまとめ、作品置場に入れました。

「伯母(小)のこと」

 重たい話がイヤじゃない人は、クリックしてみてください。
 楽しい部分もあるので、読みづらくはないと思います。

 ちょうど金曜日に、
「ある少女の選択〜18歳“いのち”のメール〜」
 というNHKの番組を聴いて、彼女の選択に対する答えみたいな気持ちで、
「早く伯母(小)の文章を書き上げなければ」
 と思ったのでした。

 幼い頃から病気で苦しみ、心臓移植を受け、人工呼吸器を装着し、
「次は透析」
 という段階でそれをやらないと決め、18歳で亡くなった田嶋華子さん。

 実は伯母(小)も延命治療の一つとして透析を提案されたのですが、
「えーっ 週3日も通院に付き添うのか。面倒だなー」
 と思ってしまった(ごめんよ、伯母(小)……)
 とても通院出来るような体調ではなかったので、入院が長引いて、亡くなる日にちがちょっと後になるだけだったのかもしれない。

「腎臓だけが悪くてやる透析」
 と、
「他の臓器もボロボロだけど、とにかく命を延ばすためにやる透析」
 では、意味が全く違うと思うのですよ。
 透析しながら働いている人だっていっぱいいるしね。

 田嶋華子さんは亡くなる少し前に、一泊二日の家族旅行に出られたのです。
 トンボを見つけたり、海の匂いを感じたり、本当に良かったなぁ、とこちらまで嬉しくなった。

「生きている」というのは「死んでない」とイコールではない。
 彼女にとってはきっと、
「家族と一緒に楽しく過ごす時間」
 こそが「生きている」時間で、病院のベッドで過ごす時間は「命を削る時間」だったのではないか。
 たとえそれで寿命が延びるとしても、もう二度と命を削りたくなかったのではないか。

 みなさんはどんな時に「生きている」と実感しますか?
 むざむざと「死んだような時間」を送ってしまったりしていませんか?

 どんな人も、明日死んじゃうかもしれないし、100歳まで生きちゃうかもしれないのだ。
 両方の未来をそれなりに心配しながら、充実した毎日を過ごそうではありませんか。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:17| 更新のお知らせ | 更新情報をチェックする