2011年11月06日

フィクションを読む理由

 下の記事のお客さんはもう一つ面白いことを言っていた。
「フィクションを読む理由が知りたいんです」
 なんとその人は、小説を全く読まないそう。

 かなりディープな文学オタクが集まっているはずの文学フリマで、小説を読まないってどういうこと?!
 私はちょっとパニックになり、漫画は読むんですか、映画は見るんですか、と質問攻めにした。
 で、彼が、
「フィクションは読まないが、ノンフィクション(詳しく聞かなかったけど、評論や研究書だろうか)は大量に読む」
 ということが分かった。

 なるほど、なるほど。
 それなら文学フリマに来ていてもおかしくない。
 私もノンフィクション大好きです。
 旅行記とか、科学解説本とか、女装入門書とか。

 こんなに現実が面白いのだから、別にウソ話をわざわざ読まなくてもいいよね。
 と思う時が、正直自分にもある。
 でもやっぱり読んじゃうのだ。
 何でだろう?

 パニクった私はあんまり上手な答えを思いつかなくて、
「えー うちは母が小説好きだったもんで…… 習慣というか、ほとんどご飯みたいなもんでしたね。朝ごはん、昼ごはん、小説、みたいな……」
 これじゃあ納得いかないよね。

「小説を読む」
 という行為を考える時、私の頭には必ず母の姿が浮かぶ。
 バス停でバスを待っている時。
 電車に乗っている時。
 眠る前の時間。
 母はちょっとでも空き時間を見つけると、すかさず文庫本を開いた。

 母には出来て自分には出来ないことがあるのが悔しくて、小さな私は文字も読めないくせに文庫本を広げ、読書をしているふりをした。
 大人になれたような気がして嬉しかった。
(同じような理由でタバコを食べてしまったこともあります。
 大変なことになりました)

 そんな風に私は何度も母の文庫本を読もうとして、でもなかなか読めなくて(子ども向けの本と同じように日本語が書いてあるのに何で? と不思議で仕方なかった)繰り返し挑戦し続けて、小学校高学年になってようやく、母の蔵書が読めるようになった。
 ほとんどが社会派推理小説。
 推理の部分より、性描写にドキドキした。

 小学校の教室で、バカな男子が覚えたてのスケベな言葉を叫んだりしている中でそんなのを読んでいると、こんなことをしていていいのだろうかと、不道徳な自分に酔った。
 外からだと、私は本に集中している真面目な女の子に見えるのだ。
 小説の中では、言葉と言葉が連なって、淫らな物語が展開されているのに。

 小説には、大人の秘密が隠されている。
 知りたい。どんどん知りたい。

 それが私の子どもの頃の「小説を読む理由」だった。
 性描写さえあれば、別に小説でなくても良かったような気もするな。
 うーん。

 母がビジネス書ばかり読む人だったら、私もドラッカーやコトラーに夢中になっていたかもしれない。
 ああいう世界も、ある意味「大人の秘密」だもんね。
 そして今頃、
「何で小説なんて読むんだろ? 仕事に役に立つわけでもないのに」
 とか言っていたかも。

 結局「母から受け継いだ習慣」以上の答えが見つからないなぁ。

 村上春樹は「雑文集」の中で、悪い物語(たとえば悪質な宗教の教義など)から人々を守るために小説は存在しているのだ、という説を書いている。
 興味深い文章だけど、これが正しいのか私には分からない。

 単純に「面白いから」という理由で小説を読む人もいるだろう。
 でも、ノンフィクションだって漫画だって面白いのだ。
 小説にしか表現出来ない面白さがあるから?

 小説でしか伝えられない「何か」
 小説という通路を使わないと行けない「どこか」
 確かに私は、そういうものに意味があると信じている。

 あのお客さんに、
「フィクションを読まない理由」
 を詳しく聞いておけば良かった。ちょっと後悔。

(文学フリマ公式ブログにトラックバック
 http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20111103
posted by 柳屋文芸堂 at 01:32| 読書 | 更新情報をチェックする