2013年05月11日

乱歩と春樹

 ふと思ったのだけど、江戸川乱歩と村上春樹って似てない?
「どこがだ!!」
 というツッコミがあちこちから聞こえる気がする……
 でもね、

・外国文学からの強い影響
・癖のあるクドい文章
・映像化しにくい

 等々、意外と沢山共通点があるのだ。
 私が一番似てると思ったのは、

・乱歩の小説も春樹の小説も、夜見る夢である

 というところ。
 どちらも現実をそのまま写した作品では全くない。

 絵画に例えるなら、ダリやマグリットだろうか。
 細部を見れば「時計」「蟻」「青空」「帽子」と何が描いてあるかはっきり分かる。
 しかし全体を見ると支離滅裂で訳が分からない。

 乱歩と春樹の作品も、一面において非常にリアルだ。
 乱歩の描く肉体の感触をまるで自分が触ったかのように思い出せるし、春樹の登場人物が出した料理を私は本当に食った気でいる。
 でもそれは、夢。

 高校の校庭で原子爆弾の実験をする夢を見たことがある。
 そんなのどう考えても危険だし必要性もないしおかしいのだけど(そもそも自分が高校生というのも間違っている)、夢の中ではその奇妙さに気付かなかった。

 懐かしい黄土色の校庭。同じ制服を着た同級生。
 落書きのある机。消し跡のある黒板。
 夢全体で見ると無茶苦茶なことばかりなのに、夢の細部は驚くほどリアルで、最後までそれを現実だと信じきってしまう。

 通常、夢は一人で見る。
「こんな夢を見たよ」
 と話すことは出来ても、自分の夢の中に他人を連れてゆくことは出来ない。

 乱歩と春樹は特殊な装置を使って、自分の夢に読者を引き入れる。
 あのアクの強い文章だ。
 単純であっさりした文では「他人の夢を見る」という異常な事態に人を巻き込めないのだと思う。
 ねちねちした言葉の連なりを触手のように使い、ガッと読者をつかんでさらってゆく。

 二人の夢が体質に合う人は中毒患者のようになって読み漁る。
 合わない人がうっかり読んでしまうと、春樹の場合、
「理解出来ない」
 乱歩の方は、
「気持ち悪い」
 不幸な結果になってしまう。

 高橋源一郎やピカソみたいに、
「分かりにくい作品である」
 ということが一目で分かれば問題ないのですよ。
「こういうのムリ〜」
 という人は最初から読もうと(見ようと)しないから。

 乱歩と春樹は一見リアルそうに見えるため、現実に即した物語だと勘違いされやすい。
「これのどこが面白いんだ」
 と怒る人まで出る始末。
 夢はおそらく誰でも見るものだろうし、ちょっとの工夫でずいぶん違ったものに感じられるはずなんだが。

 夢を見るように小説を読む。
 そんなに難しいかな?


「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
「晝(ひる)は夢 夜ぞ現(うつつ)」

(乱歩が好んで色紙に書いた言葉)

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
(春樹のインタビュー集の題名)
posted by 柳屋文芸堂 at 02:52| 読書 | 更新情報をチェックする