何故あの時、駅のパンフレット置き場を覗こうと思ったのか、分からない。こまめにチェックしている訳ではないし、そもそもその時、旅行の予定は全くなかった。
キャンペーンでもしているのか、そこには北陸地方を紹介するための冊子がそろっていた。福井・石川・富山。
私は北陸へ行ったことがなく、深い憧れを抱いていた。特に富山は、大好物のホタルイカの産地だ。ぜひ旬である春に訪れてみたい。
私はそれらのパンフレットを家に持ち帰った。これを読んで、脳内旅行に出るのも悪くない。
夕食後、Dちゃんの横で富山の冊子を開いた。
「いつかホタルイカを食べに行きたいんだよねー 今は寒ブリが旬なのかー お寿司美味しそう! 食べに行っちゃう?」
私はDちゃんに写真を見せた。
「行こう!」
「……え?」
Dちゃんは腰の重さでは誰にもひけを取らない男である。おまけに(これが大きいのだが)仕事が殺人的に忙しく、たとえ休日があっても体を休めるのが第一で、出かけようという気分にはなかなかならない。その気持ちはよく分かるから、行きたい所があってもあまり強くは誘えないのだ。
それなのに、今日のDちゃんの積極的な様子は何だ。何なんだ。
「ちょうどお寿司を食べたいと思ってたとこだったんだよねー」
人生はタイミング!!
当初、富山へ行くとなったら泊まりだろう、と考えていた。新幹線一本で着ける場所ではない。地方の電車は本数が少ないから、乗り換えを繰り返すと朝から晩までかかってしまう。
「泊まりは無理だなぁ」
とDちゃん。
「朝早く出ることになっても良いから、日帰りにしたい」
ネットの路線情報で調べてみると、やれないことはない。富山での滞在時間は少なくなるが、目的はブリだけなのだ。食事をして土産を買う、まあ三時間もあれば十分だろう。
仕事の状態を見ながら行く日を決め、前日に電車のチケットの予約をした。
春のつもりだったのに、冬。ホタルイカだったはずが、寒ブリ。自分でもいまいち事態をつかめないまま、人生初の富山旅行である。
2014年1月24日(金)
いきなり大失敗から始まった。
朝早く起き、最寄り駅から予定していた電車に乗る、までは良かった。
大宮へ向かう電車に、何故か乗り遅れちゃったのだ。路線情報の検索結果の通りにやったのに……
仕方ないので新幹線と特急の予約をキャンセルし、一本遅らせて予約を取り直した。全部DちゃんがiPhoneで。便利、だけどキャンセル料が発生したらしい。うう、もったいないことした。
路線情報を妄信しないで余裕を持たせて予定を組もう。反省。
時間は遅くなったがルート変更はなし。大宮駅から上越新幹線「MAXとき307」に乗る。ここから越後湯沢駅までは50分。あっという間。何でこんなに短く感じるのだろう、と考えて、毎週三味線のお稽古に行く時に、もっと長時間有楽町線に乗っていることに気づく。
越後湯沢駅なんてちょろいぜ!
新幹線を降りると、そこは雪国であった。あちこちにこんもり雪が積もっていて、その下には凶器になりそうなつららが大量に垂れ下がっている。気温もかなり低く、寒い。
太平洋側と日本海側の気候の差に驚く。富山もこんな感じなのだろうか。二人とも雪対策などしていない。関東にいる時と全く同じ格好だ。
「滑らない靴で来れば良かったなー」
とDちゃん。
越後湯沢駅からほくほく線の特急「はくたか4号」に乗る。これがけっこう長くて、乗り換え駅の高岡まで2時間強。
富山出身の立川志の輔が、この線をこう揶揄していたのを覚えている。
「『ほくほく線』なんて名前なんですけど、ちっともほくほくしない!」
大雪で電車がまともに動かなくなり、なかなか富山にたどり着けず困った時の話だった。そんなにも止まりやすい電車なのかと不安だったが、今日は大したトラブルもなく高岡に到着。
それもそのはず、富山には雪が無かった。新潟はあんなにも白かったのに、どこで消えたのか。途中カーテンを閉めてしまったので、境目は不明。
高岡駅前でタクシーに乗る。運転手さんの話によると、
「この時期にこんなに雪が降らないのは異常」
とのこと。気温も高く、カーラジオが、
「3月中旬の気温です」
と告げている。
「今日は立山連峰が綺麗に見える」
と運転手さんが窓の外を指差す。厳かな山々。雪の白が作る角ばった稜線が美しい。
「いつもはもっと曇ってて、こんな風にはっきり見えるのは珍しいですよ」
「今日が初めてだから、毎日こう見えるのかと思っちゃいました」
「いやいや、本当に見えない」
その運転手さんはおしゃべりで、正直ちょっと相手をするのが面倒だったのだけど、立山連峰の景色の貴重さを教えてくれたので感謝したい。
最終目的地、寒ブリで有名な氷見(ひみ)漁港に到着。予約しておいたお寿司屋さん「きよ水」はそのすぐそばだ。
個室に通してもらい、お寿司がやって来るのを待つ。
「タクシーの運転手さん、藤子不二雄が富山出身なのを自慢してたね」
「でもそんなに言うならちゃんと覚えていてやれと思ったよ」
「え?」
「『藤子不二雄Aと藤子不二雄B』って言ってた。Bなんていない」
「よく聞いてるね、Dちゃん……」
お寿司はブリだけじゃなく、おまかせで12貫。これにみそ汁が付く。
「うわぁ、目が合っちゃった」
「目?」
みそ汁を飲んでようやく意味を理解した。ブリのあらと一緒に、エビの頭が3つ入っているのだ。つやつやと潤む、黒いつぶらな瞳。
寿司はウニとイクラが美味しかった。ブリもあったが印象は薄く、みそ汁の具になっているものの方が味わい深かった。
会計を済ませ、散策マップを見て気になっていた場所に向かう。
「ブリの遊具」
ブリたちが遊ぶためのもの、ではなく、ブリの形をしている人間用の遊具だ。
↑ブリの口から何か出てる、ように見える。
この辺りは何もかもブリである。
↑ブリ小僧。顔が西洋人。ブリュッセルの小便小僧がブリを持っているのだろう。
氷見漁港の近くをぶらぶらし、大きな橋(比美乃江大橋)を渡る。この上からも立山連峰がよく見える。例年通りの気温なら、冷たい海風に耐えられなかったと思うが、幸いにして今日は異常なあたたかさ。結果的に、関東にいるのとそう変わらない。
↑立山連峰は写真に撮るのが難しかった。真ん中に一応うっすら。
橋を渡り切り、氷見漁港場外市場「ひみ番屋街」へ。ここは魚と土産物を中心としたショッピングモールだ。
↑ひみぼうずくんがいる。当然ブリを抱えている。
一応一周した後、気になった店(きときと亭 三喜)に入り、ブリ大根を注文してみた。
テーブルにやって来たのは、濃い飴色に煮込まれた素敵な大根と、ブリのあら。
「骨も食べられますから」
と店員さん。ふむふむ、と骨を口に含む。あれ? 硬いじゃん……
ぱりん
「んーっ!」
「どうした?」
「んーっ! んーっ!」
「驚いたことは伝わるんだけど……」
大きめの骨が、口の中で一瞬にして粉々に崩壊したのだ。そしてそれが、予想以上に美味しかった。
「この旅行で得た結論。ブリは加熱した方が本領を発揮する!」
ま、好みの問題かもしれない。
本当はここでブリを買って帰りたかったのだけど、どの店も売り切れだった。一匹丸々、ならあったが、さすがにそれは多い。仕方なくホタルイカの干物などを買って建物を出ることにした。
乗る予定の電車の出発まではまだ時間がある。
「じゃあ街を抜けて氷見駅まで歩こうか」
氷見市内に藤子不二雄Aの生家があることから、忍者ハットリくんのキャラクターで飾った道があるという。そこを辿ったのだが……
「人が全然いないねぇ」
「商店街なのに」
シャッターを閉じた店。商品が見えていても人の気配がない店。壊れて落ちてきそうな看板。根元が錆びて折れる寸前の柱。
何よりほとんど誰も道を歩いていない。車だけがびゅんびゅんと過ぎ去ってゆく。
街そのものが眠っているみたいだ。
地方都市に行くたび、こういう物寂しい風景を見ることになる。人口が減っているせいだろうか。近くにイオンでもあって客がそちらに行ってしまったのだろうか。「ひみ番屋街」は観光客で賑わっていたのだけど。
↑雪国らしい
氷見駅に着き、電車の発車時刻まで駅前の「とまとカフェ」であたたまる。ここでコーヒーを飲んでいると、高校生が次々に揚げ物を買いにくるので面白かった。スカートの下にジャージを履く、あの懐かしい感覚!!
電車に乗ったら、車内は高校生でいっぱい。近くに高校があるのね。眠る街が、眠るだけじゃないことを知り、少し救われる。
高岡駅ではぶり寿司と、かぶら寿司を購入。特急「はくたか21号」に乗る。
行きの特急は普通車が満席で、グリーン車だった。
「ふかふか〜 立派な人になったー!」
と喜んでいたのも束の間。足を載せる台や首を支えるクッションが体のサイズに合わず、全然心地良くないことが判明。体を休めようとするとエビのように丸まってしまう。仕方ないので背もたれに寄りかからず、前かがみでこの旅行記を書いていた。
文章が進んだのは良かったけど、せっかくグリーン車なのに休めないってガッカリだ。
帰りは普通車。グリーン車より体型に合っていて楽だった(何てこと……)でもやっぱりこの旅行記を書いていた。
夕日を浴びた立山連峰が目の前に迫る。山肌の雪がほんのり珊瑚色に輝いて、本当に美しい。
いつもの旅は、
「別の目的があったのに、最終的に食うことがメインだった」
というパターンが多い。
今回はその逆で、
「ブリが目的だったのに、立山連峰ばかり眺めていた」
富山に来る前は立山連峰のことなんて1ミリも考えなかったのに。
旅は本当に不思議だ。
9時前に無事自宅に到着。
日帰り富山旅行、やろうと思えば出来ちゃうんですねぇ〜
(富山日帰りブリ紀行 終わり)
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