2014年03月08日

「オカマ」という言葉について

 私が自分の小説の題名に「オカマ」という単語を入れようと決めたのは、同性愛者への差別を人権問題としてとらえる世の中の意識の変化がきっかけだった。
 何かの差別を無くそうとする時、まず最初に行われるのは「言葉狩り」だから。

 このままだと「オカマ」は「差別用語である」として使えなくなってしまうだろう。
 というか、本当はもう使っちゃいけないのかもしれない。
 私にはそれが、非常にもったいないことのように感じたのだ。

 おすぎとピーコが、
「私たちはオカマだから」
 と言う時の、あの力強さ。
 彼らが自ら笑い物になったことで、同性愛者への差別を深めたと批判する人もいるだろう。
 でも、本当にそれだけだろうか。

 彼らは「笑われて」いたか?
 「笑わせて」いなかったか?

 私は「オカマ=男性同性愛者」ではないように感じている。
 オカマというのはそういう「人の性質」を指す単語ではなく「芸能の名称」なのではなかろうか。
 「歌舞伎」とか「文楽」みたいな。
 これだと人数が多いから「漫談」「パントマイム」とかの方が近いかな……

 差別されそうになった者たちが、笑わせることで相手の敵対心を解き、親密な空気を作り出す。
 少数派が世界と戦うために身につけた術=芸能、と考えられないだろうか。
 ということは、同性愛者への差別が消えた時、この芸能は滅びてしまうはずだ。
 「オカマ」という言葉で傷つけられた経験のある人々は、それを強く望んでいるに違いない。

 それでも。
 ユーモアと強さを含んだ「オカマ」という言葉を、せめて自分の小説の中に残しておきたかった。
 大昔に消えてしまった白拍子が、歌舞伎の登場人物として生き続けているように。
posted by 柳屋文芸堂 at 03:39| 執筆 | 更新情報をチェックする