2014年03月16日

退屈で飽きないもの

 村上春樹の小説の中で最も好きな「場面」は、「海辺のカフカ」で大島さんがシューベルトについて語るところです。
 文庫だと上巻の230〜236ページあたり。
 全部を引用したいけど長過ぎるので、一つのセリフだけ書き出してみる。

「シューベルトのソナタは、とくにニ長調のソナタは、そのまますんなりと演奏したのでは芸術にならない。シューマンが指摘したように、あまりに牧歌的に長すぎるし、技術的にも単純すぎる。そんなものを素直に弾いたら、味も素っ気もないただの骨董品になってしまう。だからピアニストたちはそれぞれに工夫を凝らす。仕掛けをする。たとえば、ほら、こんなふうにアーティキュレーションを強調する。ルバートをかける。速弾きをする。メリハリをつける。そうしないことには間が持たないんだ。でもよほど注意深くやらなければ、そのような仕掛けは往々にして作品の品格を崩してしまう。シューベルトの音楽ではなくしてしまう。このニ長調ソナタを弾くすべてのピアニストは、例外なくそのような二律背反の中でもがいている」

(アーティキュレーション:音の区切り方やつなぎ方のこと。
 ルバート:楽曲の基本的テンポは崩さずに個々の音符の長さを変化させて演奏すること。
 デジタル大辞泉より)

 この話を三味線の先生にしたら、
「それ、長唄じゃん!!」
 と言ってもらえてニコニコしちゃった。

 そうなのです。
 長唄もただ弾くだけだったら簡単・単純。
 そして長い!(「長」唄だもの)

 だから普通、アマチュアでさえ「ただ弾く」ということはしない。
 急激に加速・減速してスピードをころころ変えるし、さりげなく音を伸ばしたり縮めたり、驚くような工夫がいっぱい詰まってる。
 それだけやってもなお、かなり退屈な音楽なのである。

 大島さんはこんな風に言う。

「退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。」

 「面白いもの」と「飽きないもの」って違うよなー といつも思っていた。
 面白いと思って一気に読んだはずの小説でも、一年後には内容を忘れてどうでも良くなっていたり。
 逆に読んでいる時には怠かった小説でも、一つの場面をその後何度も思い出したり。

 長唄も、急にブームになったりはしないと思う。
 でも、夢中になる人はどの時代にも必ずいて、長く伝承されてきたし、今後も続いていくはずだ。
 三味線奏者たちは完璧な演奏を出来ないまま、繰り返し挑戦し続ける。
 
 ただ面白いものばかり追っていても、心に長く残るものは少ない。
 退屈で飽きないものをじっくり楽しんでいくことが、充実した人生につながる。

 大島さんの教えを、私はたびたび思い出す。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| 読書 | 更新情報をチェックする