2014年04月12日

インプットとアウトプット

 スコット・フィッツジェラルド(村上春樹 訳)「グレート・ギャツビー」の訳者あとがきが面白くて、時々読み返す。

 インプットとアウトプットのかねあいが、フィッツジェラルドという作家のひとつの泣きどころになる。インプットにまわすエネルギーが大きくなりすぎると、アウトプットが手薄になるし(中略)かといってインプット作業を絞り込むと、アウトプットすべきマテリアルが不足してくる

 これってプロ・アマ関係なく、物語を作る人はみな悩むところなんじゃないかなー
 マテリアルは「素材」、フィッツジェラルドは小説家なので、アウトプットは「文章を書くこと」
 で、この「インプット」が複雑なんだよね。

 本を読むことも、恋人とケンカすることも、何だって物語の元になり得る。
 でも最終的にどれが役に立つ経験になるか、物語を書くまで分からないのだ。
 仕方ないのでどんな知識も経験も、やみくもに頭に詰め込んでおく(インプット)

 文章を書いているだけでは文章は書けない。
 暗室にずっといたら写真が撮れないのと同じこと。
 経験だけあっても文章は書けない。
 美しい風景を目の前にしても、カメラが無ければ撮れないのと同じこと。

 だから私はあちこちに出かけてゆく。
 少しでも良いカメラ(=文章力)を手に入れたいと願いながら。

 小説を書かない人にはこのあたりの事情がいまいちぴんと来ないみたい。
 私の説明が下手なのかもしれないけど。
 文章って、書いている姿だけ見ていると、無からするする出てくるように見えるものね。

 心に無いものは書けないのです。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:49| 執筆 | 更新情報をチェックする