2014年05月30日

能「邯鄲」など(感想)

 今日は国立能楽堂に行って能を見てきました。
 長唄を習うようになってから歌舞伎を見ることが多くなり、能・狂言はご無沙汰だった。
 そうしたら何だかもう能が見たくて見たくてたまらなくなって、久々にチケット取りました。
 演目はこちら(国立能楽堂公式サイトのこのページからコピー)

仕舞 砧(きぬた)片山幽雪(観世流)
狂言 船渡聟(ふなわたしむこ)茂山逸平(大蔵流)
能  邯鄲(かんたん)夢中酔舞 片山九郎右衛門(観世流)


 能の中で歌われる謡(うたい)は長唄とお経の真ん中くらいな感じ。
 演劇と儀式。物語と宗教。
 そういうものが分かれずに混ざり合っている所が私にとっては魅力だし、能を親しみにくいものにしてしまう原因でもあるかもしれない。
 
 「仕舞」は能面や装束をつけずに一部の場面だけ演じるもの。
 「砧」は訴訟のために都へ行ったまま帰って来ないダンナさんを待ち続けて苦しむ奥さんの話。
 メロディ、特に高音になるところが美しくてうっとりした。

 狂言は私の心の故郷!
 茂山家のみなさんは相変わらず明るくほがらかな雰囲気。
 セリフのタイミングも現代的で、コントとしてもしっかり楽しめた。
 狂言らしい、福が来そうな良い声を響かせてくれました。

 「邯鄲」はざっくり言うと、冴えない現実から、素晴らしい夢の世界へ行き、また現実に戻ってくる話。
 この夢から醒める直前に音楽が早く激しくなり、宿の女主人が駆け寄ってきて扇でパンパンパンと枕元を叩いて起こすのだけど、ここがものすごく切なくて泣いてしまった。

 現実という悪魔が忍び寄ってきて夢を壊す感じが、妙にリアルなのだ。
「あ〜!!」
 って頭を抱えたくなるような。

 「邯鄲」は現代語訳の本が売っていたので、それを見ながら鑑賞しました。
 理解しやすくて良かったです。

 能、最高!!
posted by 柳屋文芸堂 at 00:22| 演劇・演芸 | 更新情報をチェックする