2014年06月13日

自分にとって本当か

 菅原一剛さんの写真教室に通っていたことがある。
 そこで繰り返し言われたのは、
「自分にとって本当か」
 ということ。

 たとえば。
 木漏れ日が綺麗だな、と思って木の写真を撮ったとする。
 デジカメの画面で確認すると、おかしいな、自分が見たのと違う。
 もちろん形は幹と葉っぱで同じだけど、キラキラ眩しい光が撮りたかったのに。
 まあいいや。

 ……ってなっちゃダメ! ってこと。
 もし木漏れ日の美しさが撮りたくて、それが画面に写っていなかったら、そのことを忘れてはいけない。
 写したいものを写すためにどうすればいいか、考えなければいけない。

 菅原一剛さんは木漏れ日を写すために、大昔の技法である「湿板写真」を試みた。
(坂本龍馬とかの写真はたぶんこのやり方)
 当然カラーではないので「緑の木」は「黒い木」になり、色の点では「本当」ではなくなる。

 しかし湿板写真は木漏れ日の眩しさをしっかりととらえる。
 現在では余分とされる光も全て受けてしまうから。
 この「眩しさ」こそが「自分にとっての本当」で、それを何よりも大事にしなければ。
(菅原一剛さんの湿板写真のエピソードはこちらで読めます)
 
 私はいつも文章を書いている時に、
「自分にとって本当か」
 と頭の中で繰り返す。
 何となく感じのよい言葉の流れを選んでしまって、本当に言いたかったことからずれていないか?

 あるいは。
「登場人物にとって本当か」
 ストーリー上、言ってくれなきゃ困るセリフ。
 この登場人物に言わせるのは不自然じゃないか?
 この登場人物に本当に相応しい言葉か?

 写真教室で文章書きの方法を教わるというのも、不思議なものだけれど。
 でも一番役に立っている。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:29| 執筆 | 更新情報をチェックする