2014年08月09日

ささやかな、戦争の話

 目の見えない人が空襲の中どう生き延びたか、ご存知でしょうか。

 ここにも何度か書いた気がするけど、私は戦争の話があまり好きじゃない。
 毎年八月になって、「戦争を語り継ごう」みたいな番組がラジオで流れると、
「はー またこの季節か。やれやれ」
 とスイッチを切る。

 私を育てた母、伯母(小)、伯母(大)は、東京大空襲の時に家を焼け出された。
 幼かった母(当時8歳)は特にショックが大きかったようで、私は毎日のように空襲の話を聞かされて育った。
 私の心の中にある街は、燃えているのが基本だ。
 にょきにょき高く伸びたビルも、すたすた歩く人々も、全て「かりそめ」という感じがする。

 戦争の話はお腹いっぱい。
 あ、でも、変わった視点から戦争をとらえ直す作品は割と好き。
(水木しげる「昭和史」、こうの史代「この世界の片隅に」、 近藤ようこ「戦争と一人の女」とか。
 って漫画ばっかりだな……)

 平凡な戦争体験談は母から十分聞いたのでもう結構です。
 「語り継ごう」なんて気持ちも全くない。
 ほんと、特別なところなんて何もない、ありふれた悲劇なんだもの。

 ……と思っていたのだけど、一つだけ珍しい点があることに気付いた。
 母は焼夷弾の降り注ぐ中、全盲の伯母(大)の手を引いて逃げたのだ。

 伯母(大)は必ず誰かに手を引いてもらわないと移動出来ない、という訳じゃない。
 戦争が激化する前は浅草で働いており、
「道が綺麗で、とっても歩きやすかった。あの頃は車も今みたいに走ってなかったし」
 とのこと。杖一本だけでやっていけたのだろう。

 空襲となったらそうはいかない。
 母は伯母(大・当時19歳)の手を引き、布団を背負った伯父(当時10歳)と3人で逃げた。
(どうでも良いが、この時伯母(小)が何をしていたのか全然知らない。
 家族全員一緒ではなかったようだ)

 伯母(大)は一応大人ということで、沢山の荷物を持たされていた。
「でも全部逃げてる途中で放り出しちゃったのよ!
 ハァハァしてたから、苦しくて持っていられなくなったのね」

 目の問題ではなく、単に体力がなかった。
 まあ荷物に気を取られて死んじゃったら元も子もない。
 無事で何より。

 母たちの話より、伯母(大)が友人から聞いた体験談の方が興味深い。
 その人も全盲で、やはり兄弟か親戚か、手を引いてもらって逃げていた。
 しかし何かの拍子に転んでしまい、その手を離してしまった。

 都市の人間がいっせいに走って逃げているのである。
 二人は再び手をつなぐことは叶わず、そのままはぐれてしまった。
 全盲の友人はそれでも何とか逃げ切ったが、手を引いていた人とはその後、二度と会えなかった。

 目の見えない、転んだ人が助かり、
 目の見える、転ばなかった人が死んでしまう。

 教訓話のようだが、単なる実話である。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:55| 家族 | 更新情報をチェックする