2014年08月16日

少しでもここを生きやすい場所にするために

 自殺率の低い徳島県旧海部町という街を調べてみたら、
「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」
 と考える人が多かった、という話を前に紹介しましたが(この記事
 海部町以外の場所でそういう思想を求めるのはなかなか難しいだろうなー と思う。

 日本人はもともと均質ではない。
 考え方も、生き方も、性格も、欲望も、能力も、体力も、収入も、資産も、人によって全然違う。
 にもかかわらず、
「みんな同じである」
 と信じることによって安心感を得ているのではないだろうか。

 貯金100万円の人と、貯金1000万円の人と、貯金1億円の人がいるとする。
 貯金100万円の人はお金が十分あるような顔をし、
 貯金1億円の人はお金持ちであることを隠し、
 まるで3人は同じ生活レベルで暮らしているようなふりをしておしゃべりする。

 他人との差をなるたけ隠し、
「私はあなたと同じです」
 と示し続けることが、日本人のたしなみなのかな、と思う。

 ちょっとでも「違い」が見つかってしまうと責め立てられる。
「正社員にならないの?」←若い頃よく言われた
「車は買わないの?」
「家は買わないの?」
「働かないの?」←この3つは最近よく言われる

 前にも書いたけど、痩せていることもあれこれ言われる原因になる。
 とにかく平均から外れたら周囲がざわつく。

 私は「周囲に合わせる」というのが下手なので、これまで何度も出る杭のように打たれてきた。
 生きにくい、と感じることが非常に多い。
 嫌な思いをしないで済むように、人と会うのをやめようかな、と考える時もある。
 そうするとどんどん孤独になる。
 
 「多様性」「ダイバーシティ」なんて言葉を使っても、日本には根付かないと思う。
 日本人は多様性に耐えられないのだ。
 違いが見つかったら、害虫を殺すみたいにつぶす。
 ほとんど習性と言って良い。簡単に変えられるものじゃない。

 そんな日本にも、素晴らしい言葉がある。

「よそはよそ、うちはうち!」

 親の説教として聞くと腹立たしいかもしれないが、自分の心の中でつぶやくと、けっこう元気が出る。

 どうして私は仕事と家事を両立出来ないんだろう?
 他の人は出来ているのに……
「よそはよそ、うちはうち!」

 どうして私は才能も無いのに小説を書くのを諦められないのだろう?
 他の人はとっくにやめているのに……
「よそはよそ、うちはうち!」

(あまり良い例が思い付かなくて申し訳ない……)

「よそはよそ、うちはうち!」
 という言葉で「みんな一緒圧力」と戦いたい。
 平均から外れてしまった全ての人と共に。

 生きにくいのも、孤独も、もう嫌だから。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:57| 社会 | 更新情報をチェックする