2014年09月03日

草月と現代美術と私

 私の母親はいけばなの先生をしていた。
 と言ってもそれで食べていた訳ではなくて、頼まれたら教えに行く、という程度。
 流派は草月。

 もちろん師範の資格を持っており、月に一回、自分が習っている先生とは別に、初代家元の勅使河原蒼風のところにも指導を受けに行っていたらしい。
 なかなか熱心だった訳です。

 当時、草月はいけばなの流派の中で最も前衛芸術に近く、
「鉄を使ったオブジェも作れるように」
 と溶接まで教わったという。
「みんなでキャーキャー言いながらやったわ!」
 何だか楽しそう。

 私はいけばな自体は習わなかったのだけど、母のいけた花や、作品集になっている草月のカレンダーを毎日見て育った。

 私が美術鑑賞をするようになったのは、母のいけばなとは何の関係もない。
 大学時代に物理の数式と小説の言葉(どちらも「記号」だ)に疲れてしまって、何となく見始めた。
 美術は記号を処理するのとは違う脳の場所を刺激してくれるんじゃないかと思ったのだ。
 それが医学的に正しいのかは分からないが、とにかく私の疲れは取れた。

 せっかくなら色んな美術作品を見たいと思い、ジャンルは決めなかった。
 絵画、彫刻、西洋美術、日本美術、古いの、新しいの……

 そして現在、どのジャンルが一番好きかというと、現代美術だ。
「読んでる人、飽きてるだろうな……」
 と申し訳なく思いつつ、ヨコハマトリエンナーレの記事を書きまくっているのはそのせい。

 現代美術というものに対して身構え、難しく解釈する人を見ると不思議な気持ちになる。
 どうして雲を見るのと同じように見ないのだろう。

 でもそれはもしかしたら、私の家に草月の作品があふれていたからそう思うのかもしれない。
 どれだけ奇抜な形状をしていても、私には「馴染み」なのだ。

「芸術について理解しなさい」
 なんてことを一言も言わずに私を芸術オタクにしてしまった母は本当にすごいと思うし、自由に生きているつもりでいて、実際は母の敷いたレールの上を進んでいるだけかもしれない自分を少々情けなく思う。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:18| 美術 | 更新情報をチェックする