2015年01月18日

芸術を求める理由

 現代美術を「分かる」というのはどういう状態を指すのだろう。

 たとえば緑色の線がグチャグチャっと描かれた絵があったとして、
「これは失恋の悲しみを表現したものである!」
 と言ったりするのが「分かる」だと思われているのではなかろうか。

 もし失恋の悲しみを伝えたいなら、
「〇〇さんのことが好きだったのに失恋してしまった。悲しかった」
 と言う方が手っ取り早い。

 緑色のグチャグチャが一体何を意味するのかなんて、誰にも分からないのではなかろうか。
 正確なところは作者でさえつかめないのかもしれない。
 そういう言葉に出来ない心のモヤモヤに形を与えるのが、現代美術なのではないか。

 言葉というのは便利なものだから、世の中の全てのことは文章で表現出来ると勘違いしがちだ。
 でも全然そんなことはない。
 言葉で表しきれないことは多くあるし、言葉での表現が苦手な人も少なくない。

 言葉は万能ではないし、絵や音楽も万能ではない。
 だから人間はいつも処理しきれないモヤモヤを抱えている。

 言葉や絵や音楽になった他人のモヤモヤに触れると、自分の中のモヤモヤに形が与えられ、ハッとしたりスッとしたりすることがある。
 そういう幸運に巡り合うために、私は芸術に会いに行く。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:30| 美術 | 更新情報をチェックする