2015年01月28日

「想像上の○○」と「実在の○○」

 何個か前の記事で「男性作家が描く女性への違和感」について書いたけど、物語の中で描かれる「片親の子」もけっこう変な感じがする。自分が片親育ちなので。

 とにかく、親を探しに行く奴が多過ぎる!!
 父なし子は父を、母なし子は母を求めて旅に出る。
 これは両親のいる人の発想なんじゃないかなぁ。

 彼らにとっては「母と父がいること」が当然で、そのどちらかが欠けていたら、
「足りない! 探さなきゃ!」
 となると思うのだろうけど、最初から片親の人は親一人が当然で、わざわざもう片方を見つけ出そうとは考えない、はず。
 面倒だもの。

 まあもちろん、
「私は親を探したい!」
 と言う片親の人もいるかもしれないし、全否定するつもりはないのですが。
 それ(親探し)ばっかりかよ、片親で困ることはもっといっぱいあるよ、とは思う。

 考えてみれば、すべての物事に「想像上の○○」と「実在の○○」が存在するんですね。
 日本人は「想像上のアメリカ人」を憎んで「実在のアメリカ人」を奇襲し、
 アメリカ人は「想像上の日本人」を恐れて「実在の日本人」に爆弾を落とした。

 「想像上の○○」というのは物事を効率よく考えるために生み出された便利な道具なのだろうけど、目の前のものをちゃんと見た方が良いんじゃない? という場面がずいぶん多いよな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:02| 考え | 更新情報をチェックする