2015年01月28日

小説の書き方の学び方

 他の人たちはどうやって小説の書き方を学んでいるのだろう。

 私は小説の書き方についての本を読んだり、好きな作家のエッセイに出てくる創作についての話を参考にしたり、映画や美術や短歌の本から小説と似た部分を見つけ出したり、読んだことのある小説を思い出したり、色々しながら書いているけれど、総合してみれば結局のところ、
「見よう見まね」
 である。

 たとえば楽器の演奏の学び方が「見よう見まね」だけであったら、世の中の音楽のレベルはずいぶん低かったのではないか。
 まあ楽器を習う時も「まね」はするのだけど、

 先生の演奏を聴く・見る→自分でまねて演奏→問題のあるところを指摘してもらう→もう一度演奏

 というようなことを繰り返す。

 小説の書き方は「問題のあるところを指摘してもらう」機会がほとんどないのだ。
 文学部の文芸学科に行けばやってもらえるのかなぁ。

 小説のどんな部分を「問題のあるところ」とするか、というのもなかなか難しい。
 どうしても指導する先生の個性が出てしまう。
 たとえば村上春樹に指導してもらって、村上春樹そっくりの文章を書けるようになったとしても、村上春樹は二人もいらない。

 「問題のあるところを指摘してもらう」ことで到達出来るのは、「他人が読んで分かる文章を書けるようになる」ところまでなのかもしれない。
 文章というのは独りよがりになりがちなものなので、これだけでもやれるようになったら立派なことだ。

 しかしおそらく、小説で最も大切なのはそこじゃない。
 非常に分かりやすい、どこかで読んだような話、なんて誰も読みたがらない。

 魅力のある小説とは何か。
 それをどんな言葉の連なりで表現すれば良いか。
 自分で考え、自分で選ぶことに意味がある。
 読者が求めているのは、唯一無二の人間が書いた、唯一無二の物語なのだから。

 それでも「見よう見まね」は不安だ。
 もうちょっと確かな方法がありそうなものなのに。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| 執筆 | 更新情報をチェックする