2015年02月22日

定型文の便利さと不便さ

 ネットが普及し、ブログをやる人が急増した頃(2005年くらいだっけ?)
「みんなそんなに文章を書くのが好きだったっけ……?」
 と不思議な気持ちになった。

 ただ話すのと違い、文章は「始める」のと「終わらせる」のにけっこう骨が折れる。
 唐突な感じに書き始め、脈絡のないまま終わらせたって構わないのだけど、何となく落ち着かないはず。
 だから誰もが書く可能性のある「手紙」には、始まりと終わりの定型文が沢山用意されているのだ。
(拝啓、取り急ぎ用件のみ申し上げます、敬具、ご自愛ください等々)

 このまま一億総文筆家状態になるのか?!
 とワクワクしていたら、すぐにTwitterが普及し、あっという間にブログ利用者は激減した。
 持っていても更新回数が減ったり。

 ブログには他人の日記を盗み見るような楽しさがあったので、これにはがっかりした。
 でも、仕方ないよなとも思う。
 どう考えてもTwitterの方がラクだし、自然だもの。

 しかし短文とはいえTwitterだって「書き言葉」
 面倒であることに変わりはないよな……
 と思っていたら、Twitter用の定型文が次々現れてびっくりした。

「きこえますか… 今… あなたの…心に…直接… 呼びかけています…」
 とか(元ネタは「聖☆おにいさん」)
「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!」
 とか(これの元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」らしい)

 必要は発明の母というか、コピー&ペーストの便利さも手伝って、
「Twitterで言いたいことを簡単に言う方法」
 がほとんど意識もされずに広まっていくのがすごいと思った。

 定型文は本当に便利だ。気持ちを乗せる舟みたい。
 でも、舟の積み荷に重量制限があるように、定型文で表現出来ることは定型文ごとにある程度決まってしまう。

 定型文で語り始め、定型文で語り終えるとしても、自分がどうしても吐き出したい心の奥の淀みを言葉にするには、形から全部自分で作らなければいけない。
 そうしないと「よく似た別の何か」しか伝えられず、どれだけ言葉を重ねても欲求不満になってしまう。

 自分のための形を見つけるまでの苛立ちに耐えましょう。
 私は色んな人の「本当」を読むことを楽しみにしています。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:25| ネット | 更新情報をチェックする