2015年03月21日

素晴らしくても完璧ではない

 宗教の教えというのは、長く人々の心の支えになってきたものなのだから、きっと素晴らしい点が沢山あるのだと思う。
 けれども「素晴らしい」=「完璧」ではない。
 全ての人間を幸福に出来るわけではない、下手したら一部の人を不幸にしてしまう教えだって、混ざっていることもあるのではなかろうか。

 神様が関わる物事は「素晴らしい」では済まされず、「完璧」であるという前提で進んでゆく。
 不完全な教えではなく、不幸になった人間の方が踏みつぶされ、もみ消される。
 このあたりの恐ろしさを、宗教関係者の人たちはどう考えているのだろう。

 神様が完璧である必要なんてないと思うのだけど。
 時々状況に合わせて修正が入ったって構わない、というかそういう修正を許す懐の深さがあった方が、神様らしいと感じる。

 宗教以外でも、人間は何かと完璧を求める。
 例えば「愛」 愛には確かに大きな力がある。
 例えば「金」 金には確かに大きな力がある。

 でも愛も金も、全てを解決出来るわけじゃない。
 それぞれ得意な分野・不得意な分野がある。
 それなのに、そんなことお構いなしに愛に走ったり金に走ったりする人たちがいる。

「完璧な何かがあって、それが自分を救ってくれる」
 という考え方はよほど魅惑的なのだろう。
 何だかハサミだけを使ってボタン付けをするような感じだ。
 目的ごとに、ハサミや針や糸をうまく組み合わせて使ったって良いだろうに。

 人間は完璧な何かを求めることで、人間の小賢しさから逃げ出したいのかもしれない。
 素晴らしくても完璧ではないこの世界から。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:32| 考え | 更新情報をチェックする