2015年06月11日

読まれない、という嘆きは読まれる

 数日前、同人誌即売会で小説を発表している人たちの間で、
「小説が読まれない」
 ということをテーマにした対談が話題になった(具体的には、対談へのリンクの入ったツイートがあちこちでリツイートされ、それに対する反応と思われるツイートが沢山見られた)

 面白いなー と思ったのは、その対談をした人たちの小説は読まれないのに、対談は多くの人に読まれた、という事実。
 「小説」より「『小説が読まれない』という嘆き」の方が共感を呼んだということ。

 ここに「読まれる」ことの本質がある気がする。
 小説を発表している人たちがどうしてこの対談を読んだかといえば、一言言いたくなるようなムズムズを感じたからだと思う。

「私の小説も読んでもらえないんだよね」
「私の小説は読んでもらえてるよ」
「小説を読んでもらうには〇〇した方が良い」
「読んでもらえないことを読者や環境のせいにするんじゃない」
 等々。

 簡単に言えば「自分に関係がある」と感じたから読んだのだ。
 一方で、小説ではそんなムズムズを喚起することが出来なかった。

 おそらく多くの人は、完璧な作品、美しい作品より、
「みんなでワイワイ議論出来る作品(文章)」
 を求めている。
 孤独に読書するより、議論する方が楽しいもの。

 もし多くの人に読んでもらいたいと思ったら、多くの人に(もしくは読者になりやすい人に)共感してもらえるテーマを設定し、最初の方でそれが分かるようにしたら良いと思う。
 つまり、「小説が読まれない」と嘆くアマチュア小説家を主人公にした小説……
 読みたいかなぁ、それ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:06| ネット | 更新情報をチェックする