2016年03月18日

認知症の人との会話

 私は認知症の人と話すのが大好き。
 頼りにしていた人が認知症になってしまったら悲しい気持ちになると思うけど(Dちゃんが先にそうなったら辛いだろうなと思う。一つ前の記事にも書いたように、それは死や別れとは別の種類の喪失だから)
 そうでない場合は、ものすごく真に迫った不条理劇を見せてもらうような、贅沢な気分になる。

 昨日行った施設では可愛いトレーナーを着たおじいちゃんが、誰かれ構わず自己紹介していた。
 仮にその人が田中さんだとすると、
「私はね、そこ(と言って自分の部屋を指差す)にいる田中っていうんだけど!」
 彼らの相手をするプロであるヘルパーさんの答えもイカしてる。
「知ってるよぉ〜! 長い付き合いだからね!」

 不安なのか、あちこちの部屋を見に行ってしまうおばあちゃんがいた。
 別のおばあちゃんはその人に「そんなことしなくても大丈夫だよ!」と声をかけてから、
「あの人は少しここ(と言って自分のこめかみを人差し指でトントン叩き)がおかしいんですよ」
 と私に教えてくれた。

 ならばその人は正常かというと、
「家にいると、何をやるにしてもお金がかかるでしょう? お弁当を取ったり、ねぇ。
 でもこちら(←施設のこと)では洗濯も食事も、ぜーんぶタダでやってもらえるんですよ!
 良いところですよ〜」

 その施設の利用は無料ではなく、介護保険の規則に則って料金がかかる。
(複雑で素人にはよく分からない。伯母の場合は1日につき観光用ホテルの半額くらいだったと思う)
 おそらく家族の方が支払いをしていて、目に見えるお金のやり取りがない=タダ、と勘違いしている様子。

 芸術家は自分の理性の膜を取り払い、心の奥底にある真実を表現するために苦心する。
 しかし彼らはそんな手続きを踏まずに、ぽーんと「人間の中身」を見せてくれるのだ。

 これから2週間、伯母や彼らに会いに行けるのが楽しみです。
(毎日ではなく、家事に支障を来たさない程度に面会する予定。
 施設はちょっと不便な場所にあるので)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 11:00| 健康・美容 | 更新情報をチェックする