2016年05月14日

並木陽「青い幻燈」感想

 舞台は19世紀のパリ。
 「永遠の詩的霊感」を求める詩人と、
 「今この瞬間」を愛する画家のもとに、
 愛らしい少女が現れる。

 冒頭(前口上)の文章が音楽のようにリズムが良くて、ああ、この伴奏は何だろう。
 ピアノのように打つ音じゃない。
 アコーディオンのような空気が鳴らす音……

 そう考えながらページをめくると、手回し式オルガンが降誕祭の祝歌を奏でる場面に。
 ああ、オルガンだったのか!
 かすかに哀愁を含んだ音色に誘われて、気付けば素敵な物語世界に入り込んでいた。

 作者の並木陽さんは「物語」というものを大きくとらえている印象がある。
 現代の物語(小説・漫画・映画など)の大半は、ストーリーの起伏とリアリティを重視して作られている。
 けれども昔話や伝説には謎が投げ出されるだけのものも多くあるし、
 演劇では舞台を華やかにするためにリアリティを犠牲にすることも少なくない。

 そういう古今東西の無数の物語の中から、自分の表現したいものに最も合った形を選んでいるのではないか。

 この「青い幻燈」にはお芝居の雰囲気がある。
 登場人物たちの行動やセリフは、現実よりも少しキザだ。
 私はキザ普及推進委員会委員長(自称)なので、読みながらニコニコしてしまう。
 ゲーテの臨終の言葉をさりげなく冗談のようにつぶやいたりするのが、いかにも19世紀の学生街という感じがする。

 自分の知識や能力に限りがあることに苦しむ詩人。
 自分の人生や与えられた世界に満足している画家。
 どちらの気持ちも痛いほど分かる。

 この物語は不思議な終わり方をする。
 結末が幻なのか?
 それまでの日々の方が幻だったのか?
 失われていく我々の生は全て幻のようなものなのか?

 そんなつまらない質問をしようとすれば、少女はあなたの唇に人差し指を押し当てるだろう。
 唇にはラムの風味が残り、少女の面影とともにその香りは永遠に消えない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:17| 読書 | 更新情報をチェックする