2016年08月13日

直人は優馬を愛していたのか(吉田修一「怒り」の話)

「……この役は、果てしないです」
 一瞬、意味が分からなかった。
「果てしない?」
「はい。……なんというか、どこまで追いかけても捕まえられないというか……」


 映画「怒り」で綾野剛が演じることになる直人は、謎の男として登場する。
 一応物語の最後で素性が明らかになるのだけど、恋人のように暮らしていた優馬や、親しかった女性による「外側からの描写」だけに終始するので、直人の内面は誰も知ることが出来ない。

 その不可解さゆえに優馬は「直人は逃亡中の殺人犯なのではないか」と疑い始めるのだが、正直私にはそんなのどうでも良いことに思える。
 それよりずっと気になるのは、
「直人は優馬を愛していたのか」
 ということだ。

 直人は優馬に「愛している」とは言わないし、
「直人は優馬さんを愛していましたよ」
 と教えてくれる人もいない。

 優馬は直人に惚れきっていて、それは読者に伝わるように書いてあるし、その感情を直接吐露する場面もある。
 けれども直人の本心を推察するための描写は少ない。

「俺さえいれば幸せみたいな、そんな風に見えたんだよ」
 という優馬の記憶。
「優馬さんと一緒にいると、なんだか自分にも自信が湧くんだって」
 という女性の話。そして、
「前に、一緒に墓入るかって、俺に訊いたろ? 一緒は無理でも、隣でもいいよな」
 という直人のセリフ。

(ついでに書くと、セックスは日常的にしている。
 細かい描写はないが、その分食事のように「当たり前のこと」だったのが分かる)

 優馬への思いはとりあえず置いておいて、一つはっきりしているのは、
「直人は上辺だけではない、本質的な優しさを持った人間だった」
 ということだ。

 入院中の優馬のお母さんのところに(たぶん毎日のように)通うし、お母さんが亡くなった後、優馬は直人に冷たくするのに、直人は自分のことなどまるで気にしない様子で優馬に寄り添う。
 過酷な運命の中で生きてきた人間が、せめて自分は世界に対して優しくありたい、と願うような、切実で深い愛情が彼にはある。

 直人は優馬と永遠に一緒にいることが出来ないのを知っていた。
 そんな身の上で、優馬を愛することと愛さないこと、どちらが優しさになるのか、判断つきかねていたのではないだろうか。
 そしてもしそんな風に悩んでいたとすれば、それはもう「愛していた」ということになるのではないか。

 直人は正月に優馬と近所の寺に行き、真剣に手を合わせて何かを祈る。
 直人の願いが何であったか、小説の中では明かされない。

 私には何となく、
「優馬が幸せになりますように」
 であったような気がする。

 直人が自分の何かを願うようには思えない。
 優馬が幸せになりますように。
 自分がいなくなった後も、ずっと。

 これは私の勝手な直人像だ。
 残された謎が多い分、直人は無限通りに解釈出来る。
 正解がはっきりしないから、難しい。良く言えば「自由に演じられる」
 綾野剛は、どんな直人を見せてくれるのだろう。

 綾野さんの声もまた、どこまで追いかけても捕まえられないように聞こえる。
 綾野さんはまるで、自分の声をずっと追いかけているような話し方をする。



※黄色い文字の部分は『小説「怒り」と映画「怒り」吉田修一の世界』に収録されている「エッセイ 映画撮影現場を訪ねて 東京篇」から、緑色の文字の部分は原作の『怒り』から引用しました。

小説怒りと映画怒り - 吉田修一の世界 -
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怒り(上) (中公文庫) -
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posted by 柳屋文芸堂 at 11:03| 読書 | 更新情報をチェックする