2016年09月28日

みんな知っている、全力で目をそむけている、あの「怒り」(映画「怒り」感想)

 「怒り」という単語を聞いてまず思い浮かべるのは、嫌なことがあってプンプン怒る人の姿ではないかと思う。
 映画「怒り」で描かれるのは、もっと内に籠もり、時に思いも寄らぬ方向に爆発してしまうような、名状しがたい負の感情だ。
 世間の枠の中でうまく生きていけない人々が、孤独感とともに静かに積もらせてゆく、あの気持ち。

 個人的に恨みを持っている訳でもない相手を殺してしまう、一見不可解な殺人事件が、定期的に起こる。
 テロも含めたら「毎日」と言っても良いだろう。
「何故あんな惨いことを」
 とニュースを見て一瞬思い、みなすぐ忘れる。
 被害者か加害者の家族でもなければ、どんな事件も所詮は他人事だ。

 しかし我々は、本当に事件と無関係なのだろうか。
 私はその手のニュースを聞くたび、

「虐げられた者の語ることばは、銃以外になく、
 虐げられた者が心に抱くヒューマニズムは、武装闘争以外にない。」

 という日本赤軍の声明文を思い出す。
 私の平穏な日々は、見えないところで誰かの労働を搾取することにより、成り立っているのではないか。
 直接ではなく間接的に、あるいは無自覚に、私は誰かを虐げているのではないか……

 映画「怒り」の犯人の心の動きは、一般的な推理ものの論理で考えると分かりにくい。
 けれども冷静に論理的に考えられる状態だったら、人殺しなどしないで済むだろう。
 犯人の矛盾した行動は、誰にとっても馴染みがあるはず。

 物語の中だけでも、あの怒りに向き合ってみようじゃないか。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:07| 映画・映像 | 更新情報をチェックする