2016年10月09日

オカワダアキナ「水ギョーザとの交接」感想

 読み始めてから読み終わるまでの間ずっと、すごーく幸せな気持ちだった。
 綾野剛風に言うならば「愛おしい時間でした」

 感想を書くとなると、この幸せの理由を言葉に変換しなければいけない。
 言葉にする、というのは感覚の記号化で単純化で、そこからは絶対に大切な何かがこぼれ落ちてしまう。
「良い本だったよ」
 とだけ言うのがたぶん一番正確で、連ねる単語が長くなればなるほど、私は間違った紹介をすることになる。

 それでも感想文を書こうとするのは、
「創作文芸同人誌には、こんな素敵なものもあるんだよ」
 って自慢したいから。

 宇都宮を舞台に、家庭や学校での悩みを抱えた中学生の青葉くんが、叔父さんやその恋人たちと触れ合い、大切な夏の思い出を作るお話、なんて書くとありふれた映画のあらすじのようですね。
 でもこの話は映倫的にも表現されている雰囲気においても、映像化は絶対に不可能だと思う。
 青葉くんはごく自然に叔父さんとセックスするから。

 もっと年上の子が中学生のふりをして青葉くんを演じたら興ざめだし、性行為をきちんと見せなかったらこの物語の本質が消えてしまうし、実際に中学生男子とおじさんが裸で抱き合う様子が画面に映ったら倒錯的になり過ぎる。

 青葉くんと叔父さんのセックスはほのぼのとして切ない。
 この関係は小説の世界でしか成立しないものだと思う。
 文章にはこんなすげーことが出来るんだぞザマーミロ!

 叔父さんは死にかけていて、冷蔵庫は壊れていて(夏なのに大変!)、妖精のパックがあちこちに現れて、こんな状況なら青葉くんは叔父さんを抱いてしまうよな、と納得してしまう。
 当然のことをしたまでです。

 読んでいる間ずっと、30代のうちに死んだ従兄弟のことを思い出していた。
 私は彼を抱いたり出来なかった。
 歳が離れ過ぎていたし、親戚だったし、現実の人間関係は壁だらけだ。

 壁なんてすいっと通り抜けられて全然気にしなくて良い、この本の中にだけ存在する特別な空間にいられるのが本当に幸せだった。
 青葉くんは体と心を使って、弱虫な叔父さんをちゃんと慰めてあげられる。
 物語の中でなら、私たちは遠い他者とつながることが出来る。

 文章そのものに明るさがあって、内容の重たさを一切感じさせないのも素晴らしかった。
「おれ、山田倫太郎ね。略してリンダって言うんだ」
 というセリフに笑ったり(略してないだろそれ!)
「なんでもかんでも夏のせいにしている気がする」
 というのも、ほんと夏ってそうなるよねって。

 この本の良さを少しでも伝えられただろうか。
 私の感想は全然正しくない。
 ページを開いて、文字を読み進めて、脳内に立ち上がる世界だけが本物だ。

 今晩の夕飯は水ギョーザです。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 19:57| 読書 | 更新情報をチェックする