ヒトラーが現代によみがえったら、というコメディ映画。
途中「これ演技なの? え? え?」となるところがあって、後で調べてみたらドキュメンタリーの手法を取り入れていたことが分かった。
ヒトラー役の人がヒトラーの格好・人格のままで、街の人々や政治活動をしている人たちと会って話す。
その部分はおおむねアドリブであるらしい。
現代人というのは、独裁者だろうと噴火してる火山だろうと、とりあえずスマホを向けるんですね。
危険かどうか考える前に、いつもと違う特別なものがあったら撮らずにはいられない。
みな口々に移民への不満を述べ、ヒトラーを大歓迎しちゃう人もけっこういて、これ演技じゃないんだ、と思うとニュースの向こう側が見えたようでゾッとした。
何百万人死んでいようと、他人の死は痛くも苦しくもない。
他人の死に共感出来るのは、余裕のある人が良心的な想像をした時だけだ。
そして今、世界には、余裕のない人々があふれ返っている。
自分が言えないことを言ってくれて、やれないことをやってくれる人を切実に求めている。
余裕のない人を増やさないよう社会を変えてゆくのは簡単ではなく、何かやっても効果が見えにくい。
勇ましいことを言ったり、そういう人を支持したりする方がラクだ。
それでも、どんなにささやかであっても、自分で出来ることを探さなければいけないのだと思う。
さもなければ、ヒトラーは何度でもよみがえる。
2016年12月27日
映画「帰ってきたヒトラー」感想
posted by 柳屋文芸堂 at 16:30| 映画・映像
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