2017年02月10日

オカワダアキナ「晩年のままごと」感想

 この小説のメインの舞台は東京都足立区花畑。

「川の向こうにはひよこまんじゅうの工場と、やくざの組事務所が並んでいます。その奥では火葬場が煙突を屹立させて、まいにち煙を吐いています」

 私、この火葬場に行ったことがあるのです。
 死体がガンガン焼かれているすぐ横でひよこがどんどん焼かれていて、悲しみに浸り切れない、泣くつもりだったのにうっかりちょっと笑ってしまう、そんな奇妙な場所。

 この小説で最も特徴的なのは語り口だ。
 たとえばこんな。

「いつも人ごみのなかでキリエの姿を求めた。街角、どこにいたってキリエを探していた。というのはさすがに大げさです。ときどき思い出したくらいです」

 主人公のカタリナがキリエに会いたいと思っているのは真実なのだけれど、
「どこにいたってキリエを探していた」
 と言ってしまった後で、
「本当にそうだろうか。これは単なる言葉の勢いで、実際の気持ちとはズレているのではないか」
 と「ときどき思い出したくらい」に修正する。

 この迷いを積極的に残した文体によって、カタリナの盛り上がり切れない、満たされない気持ちが、ごまかしなしに伝わってくる。

 カタリナが誰かと対立し、苦悩し、何かを解決する、なんてことは不可能だ。
 対立し切れないし、苦悩し切れないし、解決し切れない。
 物語はドラマチックであることを放棄する。
 しかし物語的でない物語こそが、本当の人生なのではないか。

 言葉には「よくある流れ」があり、物語には「よくある展開」があるので、ややもすれば言葉や物語は登場人物の感情そっちのけで勝手に進んでいってしまう。
 それを避けていくのは書き手にとって大変なことだ。
 この物語は一見ゴチャッとして奇妙だけれど、人の心の動きを描くことに対して非常に誠実だと感じた。

 何かを言い切ってしまうことの不誠実さを思う。
 言い切るたびに少しずつ嘘をついていることに気付く。
 それでも何かを言わないと、前に進めないのもまた本当、だ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 11:54| 読書 | 更新情報をチェックする