2017年05月25日

ガラスの向こう側(「怒り」二次創作)

「落ち込んでいるかと思ったのに、今までで一番幸せそう」
 アイスティーの氷をカラカラとかき混ぜながら、薫は茶化すように言った。

「優馬は堂々としてるんだ。一緒にいると、自分まで強くなった気になれる」
「病気の話はしたの?」
 直人は首を振った。
「話したら、何もかもが終わってしまう気がする」

 いたわりで、抱く手を緩められるのが嫌だった。
 最後の最後までこの心臓を高鳴らせて欲しい。

「優馬さんなら受け入れてくれるんじゃないの?」
「優馬じゃなくて俺の問題だから」
「でも、具合が悪くなった時に」
 直人は再び首を振る。

 異変を感じたら、優馬の家を出るつもりだった。
 死よりは別離の方が優馬を苦しめない。
 直人はそう信じる他なかった。

* * * * * * * * *

 吉田修一「怒り」から二カ所引用する。

「ずっと隠れて生きていくしかないと思ってたけど、今、一緒に暮らしてる優馬さんはそうじゃないって。堂々としてるんだって。一緒にいると自分まで強くなった気になれるって」

「直人は一度も病気の話をしてくれなかった。話せば、何もかもが終わってしまう気がすると言っていたそうだ」

 どちらも伝聞の形で直人の言葉が語られているのだが、矛盾というか、何か引っかかるものを感じませんか?
 優馬がそんなに堂々とした人間であるならば、何故、病気の話をしたくらいで「終わってしまう気がする」のだろう?

 実際のところ優馬は堂々とした人間などではなく、その臆病さから被害妄想に駆られてどつぼにはまっていくのがこの物語の見せ場だったりするのだけれど、果たして直人は優馬の実態をどれくらい理解していたのか。
 簡単に思い付く可能性は二つ。

1、優馬が臆病だということは知っていたが、薫には優馬の欠点を言いたくなかった
2、優馬は堂々とした人間だと本気で信じていた

 2はない気がするよね……
 1であるとしたら、そんな臆病な優馬と「一緒にいると自分まで強くなった気になれる」のは何故か?

 直人は自分の気持ちを正確に理解していなかった、という風にも考えられる。
 優馬が「堂々としているから」と認識しているが、
 本当は「臆病な優馬を支えているから」自分まで強くなれていた。

 吉田修一が〆切に追われて適当に書いた、というのが一番の正解のようにも思うが、現実の会話はまさに〆切直前の小説家のタイピングのような「とっさの一言」の積み重ねだ。
 整合性が取れている方がおかしい。

 朝井リョウは吉田修一のことを、

「論理的には矛盾しているように感じても、感覚的には正しい」物語を書く作家

 と評している(映画「怒り」パンフレットより引用)

 直人という人物が持っている不明瞭さが、私には現実の人間のようにリアルに感じられる。
 その曖昧さを表情の淡い明暗で表現した綾野剛は、一瞬で恋してしまうほど美しかった。

 優馬と直人の関係も単純じゃなくて好きだけれど、直人と薫のこともよく想像する。
 この記事の最初に書いた300字小説は、私なりの仮説。
 説としてはちょっと弱いかなと思いつつ、空白の埋め方は自由なので。

 薫は原作では名前もないのに、映画版では「直人のことを好きだった時期があった」という裏設定まであって、何しろ高畑充希だから目がくりくりしてて可愛いし、ドコモのCMでは先輩後輩だし。

 映画で薫が飲んでいるのは、アイスロイヤルミルクティーではないかと。
 直人はオレンジジュースですね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:05| ショートストーリー | 更新情報をチェックする