2017年08月10日

「ジャコメッティ展」感想

 乃木坂の国立新美術館で開催されている「ジャコメッティ展」に行ってきました!
 始まる何ヶ月も前から楽しみにしていて、「歩く男T」の写真が印刷されているチラシを台所の横に貼り毎日見ていたのに、気付けば最終日まで一ヶ月を切っていた。
 おおお、見られなかったら相当がっかりするぞ、と37℃の炎天下出かけることに。

 会場に着いてみると、意外と空いていてびっくり。
 暑いから? 平日だから? ジャコメッティあんまり人気ない?!
 夏の美術館ではよくあることながら、作品保護のための空調で寒く、37℃に合わせて薄着にしなくて本当に良かったと思った(それでも最後は持ってきていたマフラーを巻いた)

 ジャコメッティといえば細長いブロンズ像が有名だが、初期作品のコーナーでは「細長くないジャコメッティ」が見られる。
 キュビスム・シュルレアリスム・アフリカ美術等から影響を受けつつ、自分の作るべきものを模索していた時代。

 16歳の頃の作品「シモン・ベラールの頭部」は写実的な像だ。
 しかし不満そうな、思案するような顔で、そこに「何かがある」のを感じ、離れられない。
 伝統的な技法では表現しきれない「何か」をジャコメッティはすでに抱えていて、それを形に出来ないもどかしさが、像に宿っているのかもしれない。

 その後、像はどんどん小さくなり(45歳頃の作品には3.3×1×1.1センチなんてサイズのものもある)大きくしなければ、と1メートルの像に挑戦したら、今度は細くなった。
 小さくしよう・細くしようと思ってやったのではなく、現実を見てとらえたものを形にしようとした時に、何故か小さく・細くなってゆく。
 これにはいったいどんな意味があるのだろう?

 私は若い頃に行った展示(ブリヂストン美術館だったかな?)でジャコメッティの作品を目にし、一瞬で心を奪われた。
「何でこんなに細いんだよ!」
 とツッコミを入れる楽しさもあったが、その像の姿から、一途さや真剣みを感じ取ったような気がする。
 確かに奇妙な形だ。でもこの人はふざけている訳じゃない。

 ジャコメッティの細長さは、草間彌生の水玉のように切実なものなのだ。

「ひとつの彫刻はひとつのオブジェではない。
 それはひとつの問いかけであり、質問であり、答えである。
 それは完成されることもあり得ず、完全でもあり得ない。」
 (展示室の壁に書かれていた文章を引用)

 彫像は正面からだけではなく、周囲360°あるいはしゃがんで下から見上げることも出来る。
 複数体が並ぶ群像は、特に角度によって見え方がかなり変わる。
 私を含めみんな像の周りをぐーるぐる。
 ジャコメッティ、前から見るか? 横から見るか?

 この展示を見ても、ジャコメッティの細さの秘密が分かる訳ではない。
 ただ彼がそのやり方でしか表現し得なかった「何か」は確実にそこに存在し、私は分からないまま芸術と心の不思議を持ち帰った。

IMG_0727 (2).JPG
↑歩く男Tは自由に写真を撮ることが出来る! 最近は撮影可能な展示が多いから、使い慣れたカメラを持っていくようにしないとな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 16:43| 美術 | 更新情報をチェックする