2017年10月21日

今回の衆院選で私が望むこと

 国会議員は、
「今の日本で起きている問題を、言葉を使って明確化出来る人」
 になって欲しい。

 国会では、
「感情的でない、冷静で論理的な議論」
 をして欲しい。

 今回、というよりいつも望んでいること。
「包丁を使える人がいる寿司屋に行きたい」
 くらいの希望なんですけどね……

 何故、言葉を使って問題を明確化出来る国会議員が少ないか。
 日本には「物事を曖昧にすることで、対立を避ける文化」があるからです。

 日常生活ではそれもある程度、意味のあることなのかもしれない。
 しかしそれを政治の世界に持ち込むと、何が問題なのかもはっきりしないまま、国民は静かに不幸にさせられてゆく。
 自分の不幸が何のせいなのかも分からずに、イライラと日々を送り、周囲の人の元気まで奪う。

 私は諦めていた。
 日本人は弁の立つ人に抵抗感を持ち、選挙でも選ばない。
「政治家を口下手にするシステム」なんて記事を書いたこともあります)
 マスコミは本質的でない揚げ足取りに夢中で、議員たちも「揚げ足を取られないための言葉遣い」だけ上達させる。

 しかし今回、政局のドタバタから枝野幸男が立憲民主党を立ち上げ、各地で支持を集めているのを見て、
「ああ、日本人が弁の立つ人を愛することもあるんだ」
 と、ほんの少し希望のようなものを持った。

 もちろん枝野さんが支持されたのは色んな要素の絡まり合いだろう。
 しかし、彼の人気急上昇っぷりを見て、他の国会議員も言葉の使い方を変えてゆくかもしれない。
 ちゃんと、良いところをまねして欲しいなと思う。
 まねし始めたら巧くなるのが早いのも、日本人の特徴だ。

 私は日本人なのに、まるで見知らぬ国に派遣された文化人類学者のように、日本人に驚いてばかりいる。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 11:11| 社会 | 更新情報をチェックする