2015年11月25日

フジモトマサルさん

 イラストレーターで漫画家のフジモトマサルさんが亡くなったというニュースを聞いて驚き、悲しんでいます。
 慢性骨髄性白血病で、46歳だったそうです。
 「いきもののすべて」という本と、YEBISU STYLE(恵比寿ガーデンプレイスのフリーペーパー)に連載していた「ウール100%」という作品が大好きだった。

 最近では村上春樹の期間限定サイト「村上さんのところ」でイラストを付けていた。
「水丸さんがいなくなって寂しいけど、フジモトマサルなら動物得意だし(村上春樹もかなりの動物好き)作風も合ってる!」
 と嬉しく思っていたのに。

 悲しいよとDちゃんに伝えたら、
「亡くなる前にいっぱいイラストを描けて良かったね」
 との返事。ポジティブだな!

 確かに「村上さんのところ」には贅沢に、大量に作品を提供していた。
 村上春樹のファンだったのかな? 張り切っていたんだろうなと。

 本になった「村上さんのところ」、実はまだ買ってない。
 ご本人のサイトには、
「紙の本には50点あまりの1コマ漫画、4コマ漫画を描きおろし」
 とある。
 早めに買って、大事に読むからね〜!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:36| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

村上春樹「職業としての小説家 第一回」感想

 「第一回」というのは「第一章」とほぼ同じ。
 講演形式で書かれているので「回」という単語を使ったようです。
 興味深い部分が多くあったので、章ごとに感想を書くことにする。
 まずは一部引用。

 小説家は多くの場合、自分の意識の中にあるものを「物語」というかたちに置き換えて、それを表現しようとします。もともとあったかたちと、そこから生じた新しいかたちの間の「落差」を通して、その落差のダイナミズムを梃子(てこ)のように利用して、何かを語ろうとするわけです。

 自分そっくりの主人公を出して小説を書けないのは何故なんだろう、と不思議だった。
 年下だったり、男だったり、超能力を持っていたり、年齢・性別・能力・職業などが自分と違う主人公を、つい出してしまうのだ。
「知らない人格を描いて、他人について勉強するぞ!」
 と意気込んでやるのではなく、ごく自然に。

 自分と何かをズラさないと、小説は書きにくい。
 自分と違う人間のことなんて全然分からないから、想像しなければいけないことは多いし、調べることも増えるし、大変。
 自分について書けばそんな必要ないのに、なんでこんなことをしちゃうのかな? と。

 村上春樹のこの文章を読んで、このズレ(落差)が物語を動かしていたのか! と思った。
 確かにズレがあるからこそ想像するのだし、あれこれ調べるのだ。
 自分のことを想像したって何も出てこない(自分は自分でしかない)
 他人というのはこんなだろうか、あんなだろうか、という想像がコロコロ転がって、物語は大きくなってゆく。

 場所や境遇だって同じ。
 あの場所はこんなかな? こういう立場の人はどんな気持ちかな? コロコロコロ。
 何かをあまり知り過ぎると、かえって書けなくなったりする。
 でも知らないと書けないから、その塩梅はなかなか難しい。

 登場人物たちにしても、自分とは違うのだけど、同じ部分もある。
 知っている部分と知らない部分の両方がある。
 作者はその知っている部分に乗って、知らない部分を知っていく。
 知っていく力が物語を動かす力で、知ったことの記録が物語。

 小説を書く人間が、知らないものについて書こうとしてしまうのは当たり前のことなんだ。
 間違っているんじゃないか、変なんじゃないかという不安から逃れられる日は来ないんだ。

 それでも(だからこそ)沢山想像しよう。
 出来る限り調べよう。
 正しい形に近付けられるよう努力しよう。

 書き続けよう。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:45| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

村上春樹「ノルウェイの森」感想

 すごい今さらですが、村上春樹の「ノルウェイの森」を読みましたよ。
 小学生の頃にベストセラーになり、「村上春樹」という作家がいることを知ったのでした。
 懐かしい。

 大人になってから私は熱狂的な村上春樹ファンになったのだけど「ノルウェイの森」だけは避けていた。
 何となく、悲しい話なんじゃないかな…… という予感がして。

 確かに予想していた通り、悲しい部分も沢山あった。
 でも思ったより笑える場面やセリフが多くて楽しく読めた。
 何度も声を出して笑ったよ。

 性描写が多いし笑えるしで、何だか春画展を思い出した。
 春画に描かれる性は、一般的なエロスに加えて、呪術的な要素もある。
 「ノルウェイの森」に出てくる性行為も、一般的なそれより意味が広い気がした。

 愛を伝えたり、性欲を満たしたりするだけでなく、
 相手とどう関わるか
 世界とどう関わるか
 人生をどうしていきたいか(=どんな風に生きたいか)
 ということも含んでいる。

 それぞれの事情や痛みを抱えた登場人物たちが言葉と性でつながろうとし、良い結果や悪い結果を受け止めながら生きていく姿は切実で、読み終えた時、彼らが私の心の住人になっているのを感じ、深く満足した。

 私が一番好きなのは突撃隊(←人名。あだな)
 元気でいると良いね……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:40| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

唐橋史「青墓」感想

 時代物のドラマや漫画を見ていて、登場人物たちが現代人そのままの会話をしていると、
「えーっ」
 ってなりませんか。
 鎧を付けたり、十二単衣を着たり、見た目が思いっきり昔風だから余計気になるのかもしれない。
 当時の人はそんな風に話さなかっただろうよ、って。

 だからと言って古典文学の単語と文法でしゃべったら、見ている人は理解出来ない。
 その時代の雰囲気を残しつつ、ちゃんと伝わる会話の文体を作るのは、本当に大変だと思う。
 一体どうやるんだろう? 私は絶対出来ない。

 唐橋史さんの「青墓」はそういう昔の言葉の処理が絶妙で、気持ち良くタイムトラベルすることが出来た。
 たとえばこんな感じ。

「よろしければ遊君(ゆうくん)ばらの鏡を磨(と)いでやってくださりませ。
 お代はお思いのままに」
※カッコ内はふりがな。

 「遊君」は遊女。「ばら」は複数人いるよということ。
 普段使う言葉ではないけれど、前後の流れでだいたい意味は分かる。
 読み方に迷いそうな漢字には全てふりがなが振ってあるし、本の始めから終わりまで読者の旅を快適にするために心が尽くされている。

 舞台となっているのは中世の遊女宿、青墓。
 タイトルは地名なんですな。
 その言葉の印象通り、死の色が濃い。

 あの世とこの世を隔てる壁が壊れてしまったような土地。
 誰が生者で誰が亡霊なのか、誰が味方で誰が敵なのか、判然としない。
 それでもみなその中で、生きていかなければいけない。

 暗い時代の暗い場所ではあるけれど、その分美しいものが光る。
 私が一番胸キュンしたのは、第二話「鏡磨(かがみとぎ)」の「犬君(いぬき)」
 ダメ男の藤六に健気に寄り添い続ける、心を持った犬。

「戸口のところから顔を出した。
 空気が冷え切っていて、鼻の先が凍えそうだった」

「ゆっくりと尻尾を左右に振っていた」


 なんてさりげない描写に、
「犬って必ず鼻から行くんだよね〜」
「こういう時は尻尾をゆっくり振るよな〜 様子が見えるな〜」
 とほんわかしまくり。

 ほんと、犬君可愛い。
 複雑で奥ゆかしい猫の愛情も悪くないが、私はやはり、痛々しいほどひたむきな犬の愛が好きだ。

 猫漫画全盛の昨今、犬小説も頑張らねば!
 私も書きたい!! と妙に鼻息荒くなりました。

 最終話「獅子吼御前(ししくごぜん)」の構成も好き。
 青墓という場所、中世という時代に永遠に閉じ込められてしまうのではないか、と酔うような感覚を覚えながら、本を閉じた。

 検索してみたら、Amazonでも買えるようです。
 中世が好きな人、犬好きな人はぜひどうぞ。

青墓 -
青墓 -
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:38| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年10月25日

石井あゆみ「信長協奏曲1巻」感想

 行きつけの美容室の美容師さんにおすすめされたので読んでみました。

 戦国時代にタイムスリップした高校生サブローが、織田信長として生きることになる、という歴史漫画。
 ありがちな設定だけど、サブローのマイペースで素っ頓狂な性格が面白さを出している。
 現代に戻ろうと必死になったりしないし、戦国時代にも染まらない。
 現代でも戦国時代でも浮いていて、どっちにいてもサブローはサブローとして生きる。

 だからと言って変な奴という訳でもない。
 兄弟からご近所さんまで敵だらけが当たり前の戦国時代に、
「まったく物騒な世の中ですよ」
 と常識的なことをつぶやく可笑しさ。

 戦国時代の話って何度聞いても全部忘れるんだけど、この漫画を読めば少しは頭に入るかな。

D「本能寺の変で織田信長が死んだ後に……」
私「えっ 本能寺の変って成功したの?!」
D「そうだよ」
私「本能寺の変で死んだのは明智光秀のような気がしてた〜」
D「ごめんね、ネタバレして」
私「ネタバレっていうより日本人の常識だよね、きっと」

 本能寺の変の話なんて、歴史の授業やアニメや小説で100回くらい聞いたり見たり読んだりしたはずなのに、100回全部忘れるんだよね。
 毎回、新鮮な気持ちで楽しめて良いのかも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:53| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

星新一の現代性

 我々は星新一が描いた未来に生きている。
 SNSはもちろんインターネットさえ影も形もない時代に、SNS(にそっくりのサービス)にハマる人々を描いた「ナンバー・クラブ」なんて、今読むとゾッとする。
 人間の欲望と科学技術を深く理解することで、星新一は予言者になった。

 小説の内容だけではなく形式も、未来に合わせていたのではないか。
「星新一さんの書く話は短くて読みやすいですから、ふだん本を読まない人もぜひ読んでみてください!」
 と若い男が呼びかけるのを聞いて、私はじっとラジオを見つめてしまった。

 大量の情報を取捨選択するのに忙しく、重たい長編小説になぞ付き合っちゃいられない現代人でも、星新一のショートショートなら読めるのだ。
 活字離れについての作品も書いていたし、長文を読む余裕のある人が激減するのを予測していたのかもしれない。

 世間では、軽い読み物を書く作家のように思われているのだろうか。
 私は星新一を、誰よりも恐ろしい男のように感じているのだが。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 03:37| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

野村哲也「イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地」感想

 モアイで有名なイースター島を紹介する本、つまりノンフィクションなのだけど、読んでいる間ずっと、ファンタジー小説の世界にいるような気持ちだった。

 島内のあらゆる場所で大切にされている「マナ(霊力)」
 他の部族のマナを奪うために行われたという「モアイ倒し戦争」
 「地球のへそ」と呼ばれる石のRPGっぽさ(触ったら絶対MP回復する)

 紐パン一丁でモアイの横を駆け抜ける、筋肉ムキムキの男たち。
 貝殻で作った衣装を着た女たちの、健康的で力強いエロス。

 現地の言葉「ラパ・ヌイ語」の可愛らしい響き。
「マウルル、マウルル(ありがとう、ありがとう)」
 写真でさえ圧倒される美しい大自然。

 今年の夏は私もDちゃんも忙しくて旅行に行かれなかったけど、この本を開くたびイースター島で冒険することが出来た。
 実在する、幻想の島。

 税込み1080円の旅。
 本って素晴らしい!
 新書って素晴らしい!!

 そう、大きな写真集ではなく、文庫よりちょっと縦長なだけの新書サイズで、それにもかかわらずカラー写真が贅沢に使われているのが、良いのよ〜
 どこにでも持っていける。

「お金はないけど遠くまで旅行したい!」
 という人はぜひどうぞ。

カラー版 イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地 (中公新書) -
カラー版 イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地 (中公新書) -
posted by 柳屋文芸堂 at 10:29| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年08月29日

文月悠光「だれに呼ばれて」

 「フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように」のパンフレットに載っていた、文月悠光(ふづきゆみ)さんの「だれに呼ばれて」という詩がとても良かった。特に、

 母になりたかったが、
 産み落とす前に生きねばならなかった。


 という部分。フリーダが子供を望みつつ産めなかったことをふまえての2行だと思うのだけれど、それとは全く関係なく、
「ああ、私もそうだったなぁ!」
 って強く思った。

 若い頃はとにかく、
「まともに文章を書けるようになりたい」
 というのが自分の中にある最大の欲望だった。

 それは別に小説家になりたかったからではなく、自分の内側や外側にあふれるモヤモヤに言葉を与えて少しでも世界の見通しを良くしないと、とてもじゃないけど生きていけないくらい苦しかったからだ。

 母親になることへの憧れがなかったわけじゃない。
 でもそれどころじゃなかった。
 まず自分の正気を保てるか、毎日がギリギリの戦いだった。

 私は顔の造り(表情?)がのんきに見えるらしく、あまりそういう綱渡りのような生き方をしているとは思われないらしくて…… 悩んでいるのとも違うしねぇ。
「アル中の母親に悩んでいる」
 とかだったら逆に分かりやすかったのだと思う。

 でも別に、日本酒の匂いがいつもする母親のことは大好きだったし。
 どんな時でも味方でいてくれたし。

 私が混乱するのは「普通の人々」と「普通に」接する必要がある時だった。
 何だか不条理劇に放り込まれたような気分になるから。

 小学生の頃、
「お前は常識がない」
 と言ってきた男子を思いっきり平手打ちしてやったっけねぇ。
 彼はなかなか鋭かったな(滅茶苦茶ムカついたけどな!)

「〇〇について悩んでいます」
 とはっきり言うことさえ出来ない「モヤモヤ」と格闘していた日々。
 それをたった2行で言い表すなんて、すごいなぁ。

 そう、そういう力が欲しくて、結局まだ手に入れられてない。
 昔よりはずいぶんラクになったけれども。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:56| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

九井諒子「ダンジョン飯 2巻」感想

 ダンジョン飯、待望の2巻ついに発売! やったー!!
 RPGに出てくるようなダンジョンで、自給自足するにはどうするか、という話。
 基本的にギャグ漫画、だと思う。

 1巻では魔物を調理することが多かったのですが、今回は普通の野菜料理やパンも出てきます。
 しかし作り方が普通じゃなくて、ゴーレムを耕すとか、よく思いつくよね……

 頑固なドワーフ、センシの、
「何かを手軽に済ませると何かが鈍る」
 という言葉が心に残った。

 九井諒子がまさに、何事も手軽に済ませない漫画家だ。
 適当なところが一つもない。
 設定が考え抜かれているし、それを表現する画力も素晴らしい。

 ファンタジーか食べ物、どちらかが好きならきっと楽しめると思います。
 ぜひどうぞ♪
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:09| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年08月06日

私が好きな広島の物語

 こうの史代の漫画「この世界の片隅に」が好きです。
 第二次世界大戦中の広島を描いた話ですが、爆心地の広島市ではなく、隣の呉市が舞台。
「広島のことを知りたいとは思うけれど、悲惨な話を読むのは辛いなぁ……」
 という人におすすめしたい。

 距離がある分、客観的で、テレビなどの原爆特集とは違う視点が得られます。
 コマの外側の小さな字も丁寧に読んでいくと、当時の生活や8月6日の状況についてかなり勉強になる。

 広島市から呉市に嫁に行った、天然ボケの「すずさん」が主人公。
 基本的に、明るく楽しい話です。
 全く悲惨じゃないかというと、うーん、ネタバレになるから書けない。

 でも、物語の始めから終わりまで、笑いと希望は絶対に忘れない。
 そして人が人を思う切なさが贅沢にちりばめられている。

 最近は「辛い」「悲しい」だけじゃない戦争の話が増えていて、良いことだなと思う。
 色んな視点があった方が、物事をより深く考えられる。
 時が経つのも悪いことばかりじゃないね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:42| 読書 | 更新情報をチェックする