2015年12月13日

「熊本あるある」感想

熊本あるある -
熊本あるある -

 今書いている小説の主人公が熊本出身という設定なので読んでみました。
 熊本方言もいっぱい紹介されていて楽しかったです。

「あくしゃうつ」
「ぎゃん」
「武者んよか」

 などなど。
 福岡に行った時に、方言を話している人がほとんどいなくて驚いたのだけど、熊本はどうなんだろう。

 この本の中に、
「九州をひとくくりにする感じが許せない」
 とありますが、ごめん、完全にひとくくり。

 特に方言の違いは全く聞き取れないと思う。
 地域ごとにタ行の使い方が微妙に変わるような。
 とう、とる、とっと、ちょん、とか。

 必死になった時にお国言葉が出たりするの、良いな〜 と思うのですが、書けそうにない。
 この子はこういう言葉で育ったんだ、とイメージしつつ、関東の言葉で物語を進めていきたいと思います。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 03:14| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

NAXOS JAPAN(作)IKE(画)「ベートーヴェン4コマ劇場 運命と呼ばないで」感想

 運命と呼ばないで: ベートーヴェン4コマ劇場 -
運命と呼ばないで: ベートーヴェン4コマ劇場 -

 ベートーヴェンの日常を描いたギャグ漫画。
 30代前半くらいの頃が中心です。
(その頃に作曲され、作中でも取り上げられているのは「月光」「英雄」「熱情」など)

 解説も多く学習漫画的ではあるのですが、おふざけがすべってなくて、ちゃんと楽しい。
 実際にあったパトロンや弟子たちとの交流や、当時の社会状況も踏まえた上での笑い。

 歴史と音楽をからめて考えたことってあまりなかったのだけど(歴史苦手で知識がないから……)
 ベートーヴェンが生きていたのは音楽家にとって大変な時代だったのね。
 フランス革命の直後で、音楽家を経済的に支えていた貴族たちは力を失いつつあった。

「これまでと違う世界で、どう生きていったら良いのだろう」
 という不安感が、物語の底にずっと流れている(ギャグ漫画なのに)

 音楽室に貼ってあった肖像画のせいで、ベートーヴェンというのは陰鬱で気難しいおじさんのように思い込んでいた。
 漫画でもそういう部分は描かれているのだけど、それより何よりパワフルなの!
 この設定には「あっ!」と目から鱗が落ちる気がした。

 あんな力強い曲を、次々に作曲して発表していったのだもの。
 暗いだけの訳ない。

 物語の語り手として登場する弟子のリース君が、けなげで真面目で可愛い。
 そのライバル、チェルニー君(あの、練習曲で有名な人)も。

 私が一番気に入ったのは、ベートーヴェンの悪友でヴァイオリニストの、シュパンツィヒ。
 ベートーヴェンから信頼されていたようで、弦楽四重奏曲や交響曲など、数多くの初演に携わったらしい。
 恰幅が良くて大らかで、気持ち良い演奏をしてくれそうな人に描かれている。

 ベートーヴェンの音楽を聞くたびに、再びこの本をパラパラして、彼の音楽を身近なものとして味わいたいな。
 クラシックと漫画が好きな方はぜひどうぞ。
 おすすめです♪

運命と呼ばないで - ベートーヴェン4コマ劇場 公式サウンドトラック「ズンドコマーチ頂上決戦」 -
運命と呼ばないで - ベートーヴェン4コマ劇場 公式サウンドトラック「ズンドコマーチ頂上決戦」 -

ベとべんべすと Beethoven-BEST<WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」スタート記念〜ベートーヴェンの生き様がわかる30曲を年代順に収録> -
ベとべんべすと Beethoven-BEST<WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」スタート記念〜ベートーヴェンの生き様がわかる30曲を年代順に収録> -

 これも欲しい……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 16:39| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

大島薫「ボクらしく。」感想

 私が書いた小説(「オカマ板前と春樹カフェ」 「邯鄲」など)に、メグちゃんというキャラが出てくる。
 体は男、心は女で、諸事情あって性転換手術をしていない。

 可愛らしい女の子の顔をしていながら、恋人に服を脱がされると男の体が出てくる。
 そこら辺の女の裸よりよほどエロティックだろうなー
 と空想していたら、現実にもそういう人がいて驚いた。
 その人の名前は、大島薫。

 顔は女(清楚な美人)、体は男で、心は女ではなく、男。
 え、じゃあ女顔なだけの男なの? と思われるかもしれないが、それは違う。
 その微妙な部分が書かれているのが彼のフォトエッセイ「ボクらしく。」

 ボクらしく。 (マイウェイムック) -
ボクらしく。 (マイウェイムック) -

 性別、という概念は考えれば考えるほど難しい。
 心の一番傷付きやすい部分と結び付いているようで、この話になるとみな冷静さを失う。
 クマノミの生態を説明するように客観的に語れたら良いのだけど、そんなことが出来る人は滅多にいない。

 人間は基本的に、自分の性別を正確に理解して欲しいという欲求と、相手の性別を即座に判別したいという欲求を持つ。
 もともとは繁殖のための機能だと思うが、繁殖と関係ない場面でもこの欲求は消えない。
 大多数がこの欲求を簡単に満たせるシステムとして「男と女」という単純なジャンル分けが生まれたのではないか。

 実際には、この二つだけでは説明出来ないことが沢山ある。
 男・女以外にも、男が考える女・女が考える男・LGBTなど様々あり、もっと言えば人間の数だけ、空想の数だけ性別はあると考えた方が、色んなことが腑に落ちる。

 空想上の性別に「ふたなり」というものがある。
 男性器と女性器の両方を持った両性具有のことで、「男が考える女」のジャンルの一つと言って良いと思う。
(「女が考える男」にも両性具有はあるが、ふたなりとは別の表現になる)

 大島薫は同人イラストの「ふたなり」に興味を持ち、その流れでニューハーフに憧れる。
 しかしその世界が期待と違っていたため、女になりたいと一度も思ったことがないにもかかわらず、自分で女装を始める。
 そして高校時代に美術部で培った観察力や美的感覚を駆使し、AV「女優」として働けるまでの美しさを手に入れる。

 男性でもなく、女性でもなく、ゲイでも、ニューハーフでもない、大島薫という生き方。

 と彼は言う。

 本一冊書かなければ表現しきれない性別。
 これは大島薫だけの話なのだろうか。
 かなり多くの人が、一言では説明出来ない性別を持ちながら、男と女という枠組みの中で窮屈な思いをしているのではないか。

 我々人類が、性別という身近で複雑な問題を、完全に解明・解決する日は来るんでしょうかね?

 性別の不思議にハマったことのある人が読めば、きっと何かしらの発見がある本だと思います。
 それとは別に、世知辛い世の中をしたたかに生き抜く若者の話として読んでも面白い。
 芸大進学を諦めたり、うっかりブラック企業に就職してしまったり、バイトを転々としたり、私も若い頃は全然暮らしが落ち着かなかったので、他人事と思えず切なかった。

 大島薫は現在AVから引退し、タレントとして活動中とのこと。
 ドラマや映画の世界で活躍してくれたら嬉しいな。
 物語には性別が曖昧な人たちが、当たり前のように数多く登場するのだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:44| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

水木しげる

 水木しげるが亡くなった、というニュースを聞いても、思ったほどショックを受けなかった。
 高齢だったせいもあるが(93歳)同じように「大好きなおじいちゃん」であったまど・みちおが104歳で亡くなった時には、巨木が倒れたような衝撃を感じたのだが。

 「失った」というより「いるべき場所に帰っていった」ような気がしたからかもしれない。
 水木しげるというのは、全く人間社会に向いてない人だったように思う。

 戦地に行け、死ね、殺せと理不尽な命令をしてくるし、平和な時代であっても「他の人に合わせろ」と叱られる。
 水木しげるは最初から最後まで、人間に合わせて自分を変えたりしなかった。
 画力で、漫画の力で、社会の方を変えてしまった。
 妖怪世界を築くことで、自分の生きられる場所を作った。

 水木しげるの描く妖怪たちがみな愛おしいのは、人間社会の中で窮屈な思いをしながら、自分のささやかな能力を使って、必死に生きていこうとする姿に共感するからではないか。
 水木しげるも妖怪だったし、私たちも妖怪なのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:34| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

フジモトマサルさん

 イラストレーターで漫画家のフジモトマサルさんが亡くなったというニュースを聞いて驚き、悲しんでいます。
 慢性骨髄性白血病で、46歳だったそうです。
 「いきもののすべて」という本と、YEBISU STYLE(恵比寿ガーデンプレイスのフリーペーパー)に連載していた「ウール100%」という作品が大好きだった。

 最近では村上春樹の期間限定サイト「村上さんのところ」でイラストを付けていた。
「水丸さんがいなくなって寂しいけど、フジモトマサルなら動物得意だし(村上春樹もかなりの動物好き)作風も合ってる!」
 と嬉しく思っていたのに。

 悲しいよとDちゃんに伝えたら、
「亡くなる前にいっぱいイラストを描けて良かったね」
 との返事。ポジティブだな!

 確かに「村上さんのところ」には贅沢に、大量に作品を提供していた。
 村上春樹のファンだったのかな? 張り切っていたんだろうなと。

 本になった「村上さんのところ」、実はまだ買ってない。
 ご本人のサイトには、
「紙の本には50点あまりの1コマ漫画、4コマ漫画を描きおろし」
 とある。
 早めに買って、大事に読むからね〜!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:36| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

村上春樹「職業としての小説家 第一回」感想

 「第一回」というのは「第一章」とほぼ同じ。
 講演形式で書かれているので「回」という単語を使ったようです。
 興味深い部分が多くあったので、章ごとに感想を書くことにする。
 まずは一部引用。

 小説家は多くの場合、自分の意識の中にあるものを「物語」というかたちに置き換えて、それを表現しようとします。もともとあったかたちと、そこから生じた新しいかたちの間の「落差」を通して、その落差のダイナミズムを梃子(てこ)のように利用して、何かを語ろうとするわけです。

 自分そっくりの主人公を出して小説を書けないのは何故なんだろう、と不思議だった。
 年下だったり、男だったり、超能力を持っていたり、年齢・性別・能力・職業などが自分と違う主人公を、つい出してしまうのだ。
「知らない人格を描いて、他人について勉強するぞ!」
 と意気込んでやるのではなく、ごく自然に。

 自分と何かをズラさないと、小説は書きにくい。
 自分と違う人間のことなんて全然分からないから、想像しなければいけないことは多いし、調べることも増えるし、大変。
 自分について書けばそんな必要ないのに、なんでこんなことをしちゃうのかな? と。

 村上春樹のこの文章を読んで、このズレ(落差)が物語を動かしていたのか! と思った。
 確かにズレがあるからこそ想像するのだし、あれこれ調べるのだ。
 自分のことを想像したって何も出てこない(自分は自分でしかない)
 他人というのはこんなだろうか、あんなだろうか、という想像がコロコロ転がって、物語は大きくなってゆく。

 場所や境遇だって同じ。
 あの場所はこんなかな? こういう立場の人はどんな気持ちかな? コロコロコロ。
 何かをあまり知り過ぎると、かえって書けなくなったりする。
 でも知らないと書けないから、その塩梅はなかなか難しい。

 登場人物たちにしても、自分とは違うのだけど、同じ部分もある。
 知っている部分と知らない部分の両方がある。
 作者はその知っている部分に乗って、知らない部分を知っていく。
 知っていく力が物語を動かす力で、知ったことの記録が物語。

 小説を書く人間が、知らないものについて書こうとしてしまうのは当たり前のことなんだ。
 間違っているんじゃないか、変なんじゃないかという不安から逃れられる日は来ないんだ。

 それでも(だからこそ)沢山想像しよう。
 出来る限り調べよう。
 正しい形に近付けられるよう努力しよう。

 書き続けよう。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:45| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

村上春樹「ノルウェイの森」感想

 すごい今さらですが、村上春樹の「ノルウェイの森」を読みましたよ。
 小学生の頃にベストセラーになり、「村上春樹」という作家がいることを知ったのでした。
 懐かしい。

 大人になってから私は熱狂的な村上春樹ファンになったのだけど「ノルウェイの森」だけは避けていた。
 何となく、悲しい話なんじゃないかな…… という予感がして。

 確かに予想していた通り、悲しい部分も沢山あった。
 でも思ったより笑える場面やセリフが多くて楽しく読めた。
 何度も声を出して笑ったよ。

 性描写が多いし笑えるしで、何だか春画展を思い出した。
 春画に描かれる性は、一般的なエロスに加えて、呪術的な要素もある。
 「ノルウェイの森」に出てくる性行為も、一般的なそれより意味が広い気がした。

 愛を伝えたり、性欲を満たしたりするだけでなく、
 相手とどう関わるか
 世界とどう関わるか
 人生をどうしていきたいか(=どんな風に生きたいか)
 ということも含んでいる。

 それぞれの事情や痛みを抱えた登場人物たちが言葉と性でつながろうとし、良い結果や悪い結果を受け止めながら生きていく姿は切実で、読み終えた時、彼らが私の心の住人になっているのを感じ、深く満足した。

 私が一番好きなのは突撃隊(←人名。あだな)
 元気でいると良いね……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:40| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

唐橋史「青墓」感想

 時代物のドラマや漫画を見ていて、登場人物たちが現代人そのままの会話をしていると、
「えーっ」
 ってなりませんか。
 鎧を付けたり、十二単衣を着たり、見た目が思いっきり昔風だから余計気になるのかもしれない。
 当時の人はそんな風に話さなかっただろうよ、って。

 だからと言って古典文学の単語と文法でしゃべったら、見ている人は理解出来ない。
 その時代の雰囲気を残しつつ、ちゃんと伝わる会話の文体を作るのは、本当に大変だと思う。
 一体どうやるんだろう? 私は絶対出来ない。

 唐橋史さんの「青墓」はそういう昔の言葉の処理が絶妙で、気持ち良くタイムトラベルすることが出来た。
 たとえばこんな感じ。

「よろしければ遊君(ゆうくん)ばらの鏡を磨(と)いでやってくださりませ。
 お代はお思いのままに」
※カッコ内はふりがな。

 「遊君」は遊女。「ばら」は複数人いるよということ。
 普段使う言葉ではないけれど、前後の流れでだいたい意味は分かる。
 読み方に迷いそうな漢字には全てふりがなが振ってあるし、本の始めから終わりまで読者の旅を快適にするために心が尽くされている。

 舞台となっているのは中世の遊女宿、青墓。
 タイトルは地名なんですな。
 その言葉の印象通り、死の色が濃い。

 あの世とこの世を隔てる壁が壊れてしまったような土地。
 誰が生者で誰が亡霊なのか、誰が味方で誰が敵なのか、判然としない。
 それでもみなその中で、生きていかなければいけない。

 暗い時代の暗い場所ではあるけれど、その分美しいものが光る。
 私が一番胸キュンしたのは、第二話「鏡磨(かがみとぎ)」の「犬君(いぬき)」
 ダメ男の藤六に健気に寄り添い続ける、心を持った犬。

「戸口のところから顔を出した。
 空気が冷え切っていて、鼻の先が凍えそうだった」

「ゆっくりと尻尾を左右に振っていた」


 なんてさりげない描写に、
「犬って必ず鼻から行くんだよね〜」
「こういう時は尻尾をゆっくり振るよな〜 様子が見えるな〜」
 とほんわかしまくり。

 ほんと、犬君可愛い。
 複雑で奥ゆかしい猫の愛情も悪くないが、私はやはり、痛々しいほどひたむきな犬の愛が好きだ。

 猫漫画全盛の昨今、犬小説も頑張らねば!
 私も書きたい!! と妙に鼻息荒くなりました。

 最終話「獅子吼御前(ししくごぜん)」の構成も好き。
 青墓という場所、中世という時代に永遠に閉じ込められてしまうのではないか、と酔うような感覚を覚えながら、本を閉じた。

 検索してみたら、Amazonでも買えるようです。
 中世が好きな人、犬好きな人はぜひどうぞ。

青墓 -
青墓 -
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:38| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年10月25日

石井あゆみ「信長協奏曲1巻」感想

 行きつけの美容室の美容師さんにおすすめされたので読んでみました。

 戦国時代にタイムスリップした高校生サブローが、織田信長として生きることになる、という歴史漫画。
 ありがちな設定だけど、サブローのマイペースで素っ頓狂な性格が面白さを出している。
 現代に戻ろうと必死になったりしないし、戦国時代にも染まらない。
 現代でも戦国時代でも浮いていて、どっちにいてもサブローはサブローとして生きる。

 だからと言って変な奴という訳でもない。
 兄弟からご近所さんまで敵だらけが当たり前の戦国時代に、
「まったく物騒な世の中ですよ」
 と常識的なことをつぶやく可笑しさ。

 戦国時代の話って何度聞いても全部忘れるんだけど、この漫画を読めば少しは頭に入るかな。

D「本能寺の変で織田信長が死んだ後に……」
私「えっ 本能寺の変って成功したの?!」
D「そうだよ」
私「本能寺の変で死んだのは明智光秀のような気がしてた〜」
D「ごめんね、ネタバレして」
私「ネタバレっていうより日本人の常識だよね、きっと」

 本能寺の変の話なんて、歴史の授業やアニメや小説で100回くらい聞いたり見たり読んだりしたはずなのに、100回全部忘れるんだよね。
 毎回、新鮮な気持ちで楽しめて良いのかも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:53| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

星新一の現代性

 我々は星新一が描いた未来に生きている。
 SNSはもちろんインターネットさえ影も形もない時代に、SNS(にそっくりのサービス)にハマる人々を描いた「ナンバー・クラブ」なんて、今読むとゾッとする。
 人間の欲望と科学技術を深く理解することで、星新一は予言者になった。

 小説の内容だけではなく形式も、未来に合わせていたのではないか。
「星新一さんの書く話は短くて読みやすいですから、ふだん本を読まない人もぜひ読んでみてください!」
 と若い男が呼びかけるのを聞いて、私はじっとラジオを見つめてしまった。

 大量の情報を取捨選択するのに忙しく、重たい長編小説になぞ付き合っちゃいられない現代人でも、星新一のショートショートなら読めるのだ。
 活字離れについての作品も書いていたし、長文を読む余裕のある人が激減するのを予測していたのかもしれない。

 世間では、軽い読み物を書く作家のように思われているのだろうか。
 私は星新一を、誰よりも恐ろしい男のように感じているのだが。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 03:37| 読書 | 更新情報をチェックする