2015年08月17日

九井諒子「ダンジョン飯 2巻」感想

 ダンジョン飯、待望の2巻ついに発売! やったー!!
 RPGに出てくるようなダンジョンで、自給自足するにはどうするか、という話。
 基本的にギャグ漫画、だと思う。

 1巻では魔物を調理することが多かったのですが、今回は普通の野菜料理やパンも出てきます。
 しかし作り方が普通じゃなくて、ゴーレムを耕すとか、よく思いつくよね……

 頑固なドワーフ、センシの、
「何かを手軽に済ませると何かが鈍る」
 という言葉が心に残った。

 九井諒子がまさに、何事も手軽に済ませない漫画家だ。
 適当なところが一つもない。
 設定が考え抜かれているし、それを表現する画力も素晴らしい。

 ファンタジーか食べ物、どちらかが好きならきっと楽しめると思います。
 ぜひどうぞ♪
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:09| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年08月06日

私が好きな広島の物語

 こうの史代の漫画「この世界の片隅に」が好きです。
 第二次世界大戦中の広島を描いた話ですが、爆心地の広島市ではなく、隣の呉市が舞台。
「広島のことを知りたいとは思うけれど、悲惨な話を読むのは辛いなぁ……」
 という人におすすめしたい。

 距離がある分、客観的で、テレビなどの原爆特集とは違う視点が得られます。
 コマの外側の小さな字も丁寧に読んでいくと、当時の生活や8月6日の状況についてかなり勉強になる。

 広島市から呉市に嫁に行った、天然ボケの「すずさん」が主人公。
 基本的に、明るく楽しい話です。
 全く悲惨じゃないかというと、うーん、ネタバレになるから書けない。

 でも、物語の始めから終わりまで、笑いと希望は絶対に忘れない。
 そして人が人を思う切なさが贅沢にちりばめられている。

 最近は「辛い」「悲しい」だけじゃない戦争の話が増えていて、良いことだなと思う。
 色んな視点があった方が、物事をより深く考えられる。
 時が経つのも悪いことばかりじゃないね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:42| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

残雪「かつて描かれたことのない境地」感想

 残雪(ツァンシュエ)は1953年生まれの中国の女性作家。
 この本は短篇集で、どれも不思議な話ばかりだ。
 他の作家にはない、彼女の作品を読んだ時にしか味わえない感触。

 残雪の小説は、夜見る夢に似ている。
「自分が見た夢について語っている」
 というのではない。
 残雪の本を読むことが、そのまま「夢を見ている」状態になる。

 夜見る夢というのは奇妙だ。
 現実とも、映画やドラマのように作られた物語とも違う。
 おばあさんがライオンになったり、全然知らない人と知り合いであるかのように延々と会話したり、明らかに何かがおかしいのに、妙に説得力がある。
 「変だな」とうすうす感じたとしても、夢を見ている間は抵抗もせずに受け入れてしまう。

 残雪が生きたこの60年、中国では文化大革命や経済の急成長など、追いつけないほどのスピードで価値観が変化した。
 大量の夢を見続けなければ、心をまともに保つことは出来なかっただろう。
 夢は逃避ではなく、無意識も含めた記憶の整理だ。

 解釈などせずに、ただ彼女とともに夢を見るように読んだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:18| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年07月12日

村上春樹 編・訳「セロニアス・モンクのいた風景」感想

 1940年〜1970年頃にジャズ・ピアニストとして活躍した、セロニアス・モンクについての文章を集めた本です。
 エッセイ集のように楽しく読めます。

 セロニアス・モンクの音楽は、不協和音やズレたテンポを多用しており、奇妙なのだけど暗くなくて、ワクワクする。
 こんな不思議な響きを作り出したのはいったいどんな人だったのか。
 彼と直接関わりのあったミュージシャンやプロデューサーなどの証言により、セロニアス・モンクがどのように特殊だったかが少しずつ分かってくる。

 まず、具体的な病名は分からないけれど、何らかの精神的な障害を持っていたと思う。
 本の中には統合失調症、Wikipediaの彼の項には躁鬱病という単語があるが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)が一番近いんじゃないか。
 ちょっとでも興味を失うと集中出来なくなって、席を立ちウロウロし始める。
 演奏中でも急にステージを降りたり、演奏をやめてピアノの前で動かなくなったりする。

 他人や世の中に合わせる、ということが一切出来ない。
 反抗心でそうしているのではなく、能力としてやれない。
 周囲の人たちも大変だったろうけれど、セロニアス・モンク自身、かなりつらかったと思う。

 彼にとって生きることは、突然ルールの分からないスポーツ競技の選手にさせられて、
「さあ、戦え!」
 と急き立てられるような感覚だったのではないか。
 こういう人が絶望して自殺してしまうことはよくある。

 セロニアス・モンクは違った。
 周囲の女たちが全力で彼を守るのだ。
 幼馴染みでそのまま奥さんになったネリーと、パトロンのニカを筆頭に、この本の中には彼を支え、彼の代わりに戦う女が沢山出てくる。

 男性としての魅力を感じてではなく、全員母性全開。
「この子をどうにか生き延びさせないと、世界は大切なものを失ってしまう」
 という使命感に駆り立てられているのが強く伝わってくる。

 そのおかげで、セロニアス・モンクは60代まで生きた。
 録音も数多く残し、現在でも簡単にCDで聴くことが出来る。
「モンクも、女の人たちも、みんなよく頑張ったねぇ」
 と握手してまわりたいくらいだ。

 不可解な世界で、女たちのあふれる愛の海に漂っていたことを考えると、セロニアス・モンクの音楽はとても自然なものに感じられる。
 あのような形でしか表現し得なかった苦しみと愛情。
 世界への不平と讃美。

 Melodious Thunk[旋律の美しい役立たず――セロニアス・モンクのもじり]

 大きな子どもの音楽を、世界中の大人の中の子どもが聴いている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 02:01| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

伊勢物語と源氏物語

 昨日の公文書館の展示、「恋する王朝」というから源氏物語が中心なのかな? と思っていたら、伊勢物語がメインだったのですごく嬉しかった。

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↑伊勢物語 第九段「東下り」の挿絵。隅田川を下るところ(パネル展示)

 私は源氏物語の面白さがよく分からない。
 解説書を何冊か読んでみたけれど、ピンと来なくて。

 伊勢物語は角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックスで読み、即座に胸がきゅーんとした。
 断然こっちの方が好み。

 何が違うのかな、と考えてみると、伊勢物語が純粋に「恋愛」の物語であるのに対し、源氏物語は恋愛をめぐる「女たち」の物語であるように感じる。
 同じように恋愛を題材にしていても、どこに重点を置いているかで印象はずいぶん変わる。

 展示では、私が伊勢物語の中で一番好きな話、第六十九段「狩の使」も紹介されていた。
 未婚でいなければいけない斎宮という立場にありながら、夜中に男のもとへかけつけてしまった女が、翌朝男に届ける和歌が良いんだ。

 君や来し我や行きけむおもほへず 夢か現(うつつ)か寝てかさめてか
(貴方が来て下さったのか、私のほうから逢いに行ったのかもよくわかりません。
 昨日の出来事は夢だったのか現実だったか、眠っていたのか目覚めていたのか……)


 しっかりしろよ!
 でもこの、恋の熱に浮かされて頭がふわ〜っとし、自分で自分をコントロール出来なくなる感じ、よく分かる。
 自分で行ってしまったのか、相手に引っぱられてしまったのか……
 私にとってはこういう感覚こそが「恋愛」

 源氏物語の方がドロドロしていてドラマチックだよね。
 源氏物語が好きな人は、伊勢物語は単純で物足りないと思うのかもしれない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:21| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

杉浦日向子「百日紅」のこと

 いつの間にか杉浦日向子の漫画「百日紅(さるすべり)」がアニメ化されていてびっくり。
 公式サイトを見に行ったら(これ)う〜ん、お栄ちゃんってこんなにまゆ毛太かったっけ?

 葛飾北斎の娘、お栄の物語。
 北斎だけでなく、渓斎英泉や歌川国直など浮世絵師が沢山出てきます。
 基本的に史実を元にしているのだと思うけれど、怪奇現象が日常茶飯事として描かれるのが面白い。
 電気もなく、今より解明されていることも少ない江戸では、闇や謎を幻想で埋めながら暮らすのが普通だったのかもしれない。

 このアニメがきっかけになって原作を読む人が増えると良いな。
 これで絵師の名前を覚えると、浮世絵展が楽しくなるよ。
「あっ、善ちゃん(渓斎英泉)の絵だ! テツゾー(葛飾北斎)はやっぱ違うな〜」
 と友だちが描いた作品みたいに感じる。

 絵師ではないキャラの中では大汐太夫が好き。
 惚れた男に裏切られても、なお愛し続けて男を手に入れてしまう強さ。
 どの登場人物も、心の中に生きているように感じるのがすごいなぁ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:25| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

大友良英「学校で教えてくれない音楽」感想

 「あまちゃん」の音楽を担当していた大友良英さんの本です。
 私は「あまちゃん」を見ていないのですが、ラジオで時々聞く大友さんの話が好きだったので読んでみました。
 書き言葉ではなく話し言葉で書かれており、怒りとユーモアを含んだ彼の声が聞こえてくるよう。

 大友さんは学校の音楽の授業が大嫌いだったという。
 実は私も苦手だった。
 「音楽をやっている」というより「音符の問題集を解かされている」ような気がしませんでしたか?

 リコーダーで一曲吹き、ちゃんと出来たら○をもらって次の曲。
 学期末までに教本の曲を全部やれなかったら居残り、とかアホかと。
 そんな漢字ドリルみたいなことをしていたら、音楽の本質からどんどん離れていってしまう。

 音楽とは、もともとどんなものなのだろう。
 どんな作用を持っているのだろう。
 音楽の本質に近付くにはどうすれば良いのだろう。
 この本では、ワークショップ等を通してそれらの疑問を考えてゆく。

 言葉を話せない子が、ピアノの音で人とやり取りしたり、
 不良の子が、合奏の中で自分の役割を見つけたり、
 音痴コンプレックスを持つ人が、音程など気にせずに自分用の音楽を作ったり。

 我々が「音楽」と思っていることは、実は狭過ぎるのかもしれない。
 音楽はもっと広く豊かなもので、もしかしたら毎日の会話さえも音楽なのかもしれない。

 音楽の不思議さについて考えたことのある人なら、楽しめると思います。
 ぜひ、ドレミファソラシドの外側にある音楽を感じてみてください。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:51| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

特効薬を求める人々

 積ん読本がすごいので、しばらく本屋へ行くのを我慢していたのだけど、三味線のお稽古の帰り、ついフラフラと立ち寄ってしまった。
 が。見たいと思っていた本はことごとく無いし、自己啓発本が大量にあるしで疲れはて、何も買わずに出てきてしまった。

 自己啓発本って、タイトルが視界のはしに入るだけでヘトヘトになりませんか?(私だけ?)
 どの本も、押しの強い単語が大きな字で並んでいる。

 小説やエッセイがご飯だとしたら、自己啓発本はサプリメントか薬みたい。
 効き目がはっきりしているものを求めている人が多いんだな…… と感じる。

 私はご飯だけで生きていきます。
 しかし、ああいう本屋ばかりなら、積ん読本が増えなくてありがたい、かも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:35| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

読むのがつらかった小説

 同人作家さんの小説を読んでいたら、予想通りの展開が次々続き、げんなりしたことが何度かある。

「予想通りだから安心して読める」
「自分の予想が毎回当たって嬉しい」
 という風にはならないのが不思議。

 物語には多少なりとも意外性がないと、読むのがつらくなるんですな。
 読み進める意義が感じられなくなってゆくというか。

 よく覚えているのは二作品で、どちらもファンタジー小説だった。
 確かにストーリーの型が分かりやすいジャンルだ。
「ファンタジー小説で最もありがちな展開」
 を正確になぞることが(自覚なしに)作者の最終目標になっているように見えた。

 文章はプロ並みに上手くて、読みやすい。
 きっと努力したのだろう。
 ファンタジー小説に限らず、長く書き続けていると型にはまって、妙に完成度が高くなったりする。

 意外性を失った完成は、本当に完成なんだろうか。

 偉そうに批判したけれど、予想を良い意味で裏切り続けるために何をするべきか、私も全く知らない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:45| 読書 | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

シャーリイ・ジャクスン「丘の屋敷」感想

 風邪はまだ治っていませんが、昨日よりはラクかな。
 節々は痛まないけど、動くのはおっくう、という程度。
 皿洗いくらいしたいなぁ。

 家事を全くしないと、精神的に参っちゃうんだ……
 ワーカホリックなのかしら。
 病気ってイヤね。

 でも、今回は良かったことが一つある。
 シャーリイ・ジャクスンの「丘の屋敷」が手元にあった!
 全身がピシピシ痛んだり、重く怠〜くなったりしている状態で、最初から最後まで読めた!

 病気の時に読むために、積読されていたのかも。
 いつ買ったのか全然覚えてない。
 内容が内容だけに、怖いな。

 幽霊屋敷に滞在して、怪奇現象を体験する、というお話。
 夜中にドアがノックされたり、部屋が血まみれになったり、まあ「いかにも」な事件が次々起こるのだけど、たぶんこの小説の肝はそこじゃない。
 出てくる登場人物が、全員おかしいのだ。

 主人公は長年母親の介護をしていて外の世界を知らず、30代なのに空想好きの少女のよう。
 学校長だというアーサーの、自分の学校の説明は支離滅裂。
 食事の用意をしてくれるダドリー夫人は、ロボットのように同じセリフを繰り返す。

 読めば読むほど、
「お化けより人間の方がよっぽど怖い」
 という気持ちが膨らむ仕掛け。

 ……仕掛けなのかな?
 シャーリイ・ジャクスンの小説って、いつもこんなだったような気も。

 家中のあらゆる角度が微妙にずらされて設計されているという幽霊屋敷(=丘の屋敷)と同じように、この小説では登場人物たちの精神が「微妙にずらされて」描かれている。
 この本を読む行為自体が「丘の屋敷への滞在」と同じ効果を生み出す。

 主人公は最終的に丘の屋敷にすっかり同調し、幸福感に包まれる。
 読んでいる私も同じだった。

 ああ、ありがとう。
 弱った心と体には、あなたたちのとち狂った会話が何より素晴らしい滋養になった。
 まともな人たちの、まともな会話なんて疲れるだけ。

 どこまでもずれて、ずれて、見知らぬ風景にたどり着く。
 そこだけが私の「怖くない場所」
 本を開き、文字を追って、ようやく私はそこに帰ることが出来る。

 冒頭が美しいので引用しておこう。

「この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい。
 ヒバリやキリギリスにしたって、夢は見るというのだから」

 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:01| 読書 | 更新情報をチェックする