2014年10月29日

ソラチとカフカ

 北海道の地名で「空知(そらち)」というのが素敵だなぁと前々から思っていた。
 夕張のあるあたりのことみたいですね。

 そして今日、料理の本を読んでいて、北海道礼文島(れぶんとう)に、
「香深(かふか)」
 という場所があることを発見!
 昆布の産地として有名みたいです。

 空知と香深、いつか小説の登場人物の名前で使いたいなー
 男女どっちでもいけるし、苗字にしても良い。

 二人はどんな性格なのかな…… と考えるだけでワクワクする。
 物語を作れるというのは幸せなことなのかもしれない、と思った。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:31| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年10月24日

文章力

 文章を書く時に紋切り型の表現を使うのはあまり良くないこととされているけれど、早く書き上げるためにはある程度必要だよな…… と思う。
 全ての言葉を納得のいくものにしようとしたら、ものすごく時間がかかり、勢いが削がれる。

 紋切り型を多用するのももちろん問題がある。
 凡庸になるだけでなく、言葉の流れに引っぱられて「自分の書きたかったこと」と「書かれた内容」にズレが生じるのだ。

 「文章力がある」というのは「的確な言葉を連続して即座に思いつくことが出来る」ということなのかもしれない。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:45| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年10月08日

小説書きの大変さ

 読者にきちんと伝わる風景・情景描写。
 説得力のある人物造形。
 陳腐でないストーリー展開。
 リズムを感じさせる文章。

 それを全部やったとしても「そこそこの小説」にしかならないところ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:25| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年09月09日

自分の内側への旅

 下の記事で「小説より旅行記を書く方が難しい」と書きましたが、もちろん小説書きにも大変さはあります。
 それは「あちこちで叫ぶことになる」

 福岡ポエイチの新刊だった「邯鄲」は書きたい衝動がものすごく強く、ちょっとでも細切れ時間があるとiPhoneのワープロアプリを開いて続きを書いた。
 そうすると即座に小説の世界に行ってしまって、声をかけられるたび、
「ギャーッ!」
 と叫んだ。

 あれは何なんだろう。
 こちらの世界に引き戻されるとびっくりするんだよね。
 周囲の人たちの方がよほどびっくりしただろうけど。

 小説世界と現実世界を行き来するのは疲れるので、
「あっちに行ったきりになりたい……」
 と毎回思う。
 でも実際は、現実世界で材料をきっちりそろえておかないと、小説世界は薄っぺらになっちゃうのだ。

 小説書きは旅に似ている。
 いかに生きてきたかが、そのまま旅先の風景になる。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:51| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

神は完成をお急ぎではない、けど。

 書きかけの文章を放置しておいても、自分で書かなきゃ誰も続きを書いてくれない、と気付き、ちょっとずつ書き進めている。
 この間の福岡旅行の記録。
 文学フリマ大阪に間に合うと良いなぁ。

 小説は三ヶ月近く書いてない。
 いつ終わるんだろう、あれ。
 と他人事のように思ったり。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:28| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

読者置いてきぼり

 Dちゃんに自作小説を読んでもらい、
「読者置いてきぼりで読むのがつらかった」
 と言われたことがある(この間の新作ではありません)

 自分も含めて、アマチュアの作品には読者置いてきぼりのものが多い。
 書いている人が楽しんでいるのはよーく伝わってくるのだけど、物語の中に読者が入っていけないのだ。
 趣味の創作は書き手が楽しむのが一番なので全く構わない。
 ただ、そういう作者の本は二度と買わないよね。

 私はやはり「書いて楽しい」だけでなく「読んで楽しい」文章が書きたいので、
「『読者置いてきぼり』になってないかなー」
 といつも気にしている。

 が。
 読者を置いてきぼりにする文章としない文章の差が、全然分からないのよー!

 たまたま今、小松左京の子供向け短編集「宇宙人のしゅくだい」を読んでいる。
 これは全く置いてきぼりじゃない。
 一行目で視線をガッとつかまれ、そのまま物語の最後まで連れてゆかれる(読まされる)

 子供向けだから、別に難しい言葉も変わった表現も使ってない。
 登場人物の紹介。状況の説明。ひとりごと。
 そんな何てことない描写で始まる。

 何が違うんだろう。
 アマチュアの作品だって、小説内で何が起きているかは分かるんだ。
 でも読者である自分と、登場人物のいる世界の間に壁があるのを感じてしまう。

 そう、読者置いてきぼりかどうかは、他人の文章なら判断出来る。
 当たり前だ。置いてきぼりにされちゃうんだから。
 自分の文章を読んでも置いてきぼりにされない。
 自分の頭では分かっていることだから、文章に書かれていないことを無意識におぎなってしまう。

 完全に他人として自分の文章を読めれば、自分でダメ出しが出来るのになー
 上手い作家はそういうことが出来るのかしら。

 この文章は、読者置いてきぼりですか?
posted by 柳屋文芸堂 at 22:36| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年06月13日

自分にとって本当か

 菅原一剛さんの写真教室に通っていたことがある。
 そこで繰り返し言われたのは、
「自分にとって本当か」
 ということ。

 たとえば。
 木漏れ日が綺麗だな、と思って木の写真を撮ったとする。
 デジカメの画面で確認すると、おかしいな、自分が見たのと違う。
 もちろん形は幹と葉っぱで同じだけど、キラキラ眩しい光が撮りたかったのに。
 まあいいや。

 ……ってなっちゃダメ! ってこと。
 もし木漏れ日の美しさが撮りたくて、それが画面に写っていなかったら、そのことを忘れてはいけない。
 写したいものを写すためにどうすればいいか、考えなければいけない。

 菅原一剛さんは木漏れ日を写すために、大昔の技法である「湿板写真」を試みた。
(坂本龍馬とかの写真はたぶんこのやり方)
 当然カラーではないので「緑の木」は「黒い木」になり、色の点では「本当」ではなくなる。

 しかし湿板写真は木漏れ日の眩しさをしっかりととらえる。
 現在では余分とされる光も全て受けてしまうから。
 この「眩しさ」こそが「自分にとっての本当」で、それを何よりも大事にしなければ。
(菅原一剛さんの湿板写真のエピソードはこちらで読めます)
 
 私はいつも文章を書いている時に、
「自分にとって本当か」
 と頭の中で繰り返す。
 何となく感じのよい言葉の流れを選んでしまって、本当に言いたかったことからずれていないか?

 あるいは。
「登場人物にとって本当か」
 ストーリー上、言ってくれなきゃ困るセリフ。
 この登場人物に言わせるのは不自然じゃないか?
 この登場人物に本当に相応しい言葉か?

 写真教室で文章書きの方法を教わるというのも、不思議なものだけれど。
 でも一番役に立っている。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:29| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

小説書きのどの部分が好き?

 友人のよいこぐまさん(怪談作家)と会った時、
「小説書きのどの部分が好き?」
 と尋ねられた。

 一瞬、言葉に詰まる。
「小説を書くのが好き」
 いや、それ答えになってない!

 小説書きをあまり「部分」で考えたことがなかったので、どこが好きなのか説明出来なかった。
 小説を書く時私が何をしているかというと、ひたすら言葉選びである。
 「暴虐」「横暴」どっち使おう、「しゅんとする」「しょんぼりする」どっち使おう……
 そういうのの繰り返し。

 登場人物やストーリーを考えたことは一度も無いと思う。
 登場人物は脳内に勝手に住み始める。
 登場人物が動き出せばストーリーになる。
 その登場人物やストーリーを読み手に伝えるために、最も的確な言葉や文章があるはずで、それをいつも探している。

 本を読む時、我々は目が見えないのだ。
 そこにあるのは文字の列だけで、登場人物の顔も、彼らがいる場所の風景も見えない。
 読書中、脳に画像や映像を届けているのは視覚ではなく「言葉」である。
 言葉は「見て読む」から分かりにくいが、朗読を聞いている状態を思い浮かべてみると良い。

 ならばと、全てを事細かに説明し出したら話が進まない。
 読んでいる方もうんざりする。
 言葉が足りなければ誰が何をしているのか分からなくなり、ストーリーどころではなくなる。

 今書いている小説で困っているのは、四人で会話するシーン。

 Aさんは、
「……だよ」
 と言った。Bさんは、
「……だよね」
 と言った。Cさんは、
「……です」
 と言った。Dさんは、
「……ですよ」
 と言った。

 と全部に名前を入れたら読みにくいし、入れないと誰の発言か分かりにくい。
 漫画のフキダシを使いたい……

 小説書きはこのように面倒臭いことだらけで、うーんうーんと悩み続ける、その全ての時間が好きだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:11| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

今度の恋は、職人とお嬢さま

 6月7日の福岡ポエイチに間に合うかも?! 間に合わないかも?!
 とドキドキしながら小説を書いている。
 前に紹介した長い話ではなく、短編小説。
 職人とお嬢さまの甘々ラブストーリー。
 小説を書くのは楽しいねぇ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:04| 執筆 | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

感想の受け取り方

 自分の作品の感想を聞いた時、

 傷付き過ぎてはいけない
 有頂天になってもいけない
 無感覚になってもいけない
 冷静に受け止めて参考にすること

 ……と私は思っているけど、
「作ったものを人に見せる」
 という経験を長期に渡って繰り返さないと、なかなか難しいのかもしれない。

 自費出版詐欺に遭う人は、褒められ慣れてなかったのだと思う。
 自分の作品を褒められるというのは本当に嬉しいことで、愛の告白をされた時のように、脳みそが天に向かって飛んでゆく(告白された経験なんてほとんど無いけどな、私の場合……)
 詐欺師は脳みそが留守になっている隙にお金を奪うのである。

「本当に良いと思って言ってるのかな、この人」
 などと疑う必要はない。
 称賛は素直に受け取って創作のエネルギーにするのが一番だ。
 単純に、脳みそを手放さなければ良いだけの話。

 創作する人は、自分の身を守るためにも作品を発表する機会を増やすべきなのかもしれない。
 そうすれば、

 貶されるのに慣れる
 褒められるのに慣れる
 でも何も感じない訳じゃない
 それは「私」ではなく「成長途中の私の作品」なのだから。

 自分と自分の作品を客観視する訓練、と言えるかもしれない。
 作品は作るだけでも一苦労なのに、その後もなかなか大変なのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:09| 執筆 | 更新情報をチェックする