2015年04月05日

第百四十三回 松永会

 私が習っている長唄松永流の演奏会である「松永会」に行って来ました。
 ラストの「船弁慶」がメチャクチャ格好良かった〜!

 勇壮な旋律をたたみかけていく激しい演奏で、聞いているうちに頭がふわ〜っとした。
 後で調べてみたら、平家の亡霊が出て来て、それを弁慶が祈って倒す場面だった。
 RPGの魔法使いの戦いみたいな感じ?

 「船弁慶」は能バージョンを見たことがあるのに、ストーリーを完全に忘れていた。
 長唄にはもちろん唄もあるけど、歌詞を完全に聞き取れる訳じゃない。
 それでも「何らかの危機があり、それと懸命に戦っている」というのが、言葉より音色で伝わってくる。
 音楽はあらすじではなく、その場面の空気を表現しているんだなー と思った。

 いつか歌舞伎バージョンも見てみたい。
 またすぐにストーリーを忘れるんだろうな、私は……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:16| 音楽 | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

矢野顕子「Girlfriends Forever」



 今日、友だちと一緒に食事をする予定だったのだけど、事情があって会えなくなってしまった。
 学生時代には周囲にあふれ返っていた女友だち。
 家族が出来て、いくつも責任を負うようになり、ただ会って話すことがこんなに難しくなってしまうとは。

 矢野顕子の「Girlfriends Forever」 最初に聴いた時には、
「そこまで女友だちを大事には思わないなぁ」
 と思ったのだけど(ごめん。ちなみに20代前半でした)
 今ならこの、恋人と友人の貴重さが逆転してしまう感覚、よく分かる。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:35| 音楽 | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

女流名家長唄大会

 「女流名家長唄大会」を検索してうちのブログに来る方がいるようですが、その記事に載っているのは一昨年の開催日です。
 今年は、

 2015年1月30日(金)
 東京・日本橋 三越劇場

 なのでお間違いなく!!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:58| 音楽 | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

音楽ジャンルという方言

 三味線も習い始めて10年近く経ち、譜面通り弾くだけでなく、
「長唄三味線らしく弾く」
 ことを求められるようになってきた。

 音の詰め方、間の取り方、アクセントのつけ方など、西洋の音楽と違う特徴が多くある。
 お手本である先生の演奏を聞いていると、
「音楽のジャンルというのは、一つの方言のようだな」
 と思う。

 簡単に真似出来ないのだ。
 先生の演奏を何度も聞き、その通り弾いて、直してもらって……
 の繰り返し。
 語学を習うのに似ている。

大阪人「なんやねん!」
東京人「なんやねん!」
大阪人「(アクセントおかしい……)なんやねん!」
東京人「なんやねん!」

 みたいな感じ。

 オーケストラが日本の民謡を演奏すると、いつも微妙な違和感があって不思議だったのだけど、あれは、
「東京人が使う大阪弁」
 のようなものなんだろうな。

 譜面通り演奏しても表現し切れない、民謡独自のクセがあって、それをオーケストラの指揮者は(意図的にか無意識にかは分からないが)無視する。

 全ての音楽ジャンルが西洋的な方向に向かえば、クセがなくなって誰でも味わいやすくなるのかもしれない。
 しかしそれは、各地に残る方言を一つ一つ消していくのと同じこと。

 「長唄三味線」という音楽の世界における一つの方言を、守る人間になりたい。
 なかなかネイティブのように演奏出来ないけれども。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:52| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年11月23日

邦楽夜会

 さてさて、昨日の記事で書いた邦楽夜会の話。
 案内役は長唄の唄方(唄う人)である杵屋三七郎さん。

 三七郎さんの声は本当に美しい。
 邦楽界では異質に感じるほど澄んでいて、天までぽーんと飛んでいくんじゃないかと思うような、どこまでもはっきりと伸びる声。

 かと言ってクラシックの声楽的な歌い方では全くない。
 あくまで邦楽なのだけど、一節聴けば、どの音楽ジャンルが好きかに関係なく、
「この人、すげぇ!!」
 ってことが即座に分かるはず。

 そんな三七郎さんと、芸達者な三味線方(三味線を弾く人)、囃子方(太鼓などを打つ人)のみなさんが、邦楽の面白さを伝えてくれる。
 楽しい上に勉強になる会でした。

 一番心に残ったのが、下座音楽の実演。
 下座音楽は歌舞伎のBGMで、その場面の様子を音やメロディで表現します。

 一番想像しやすいのは、お笑い番組のコントのお化け。
「ひゅ〜 ドロドロドロ……」
 っていうのが必ず流れるでしょう。
 ああいうのが、様々な場面ごとに決まっているのです。

「シャラリシャラリシャン♪」
 というメロディが聞こえたら、
「登場人物たちは川のそばにいるんだな〜」
「シャンシャンシャンシャン……♪」
 というメロディが聞こえたら、
「吉原が舞台か……」

 同じ遊郭でも江戸と上方では違うメロディを使うと決まっていたり。
 江戸は歯切れ良く、上方ははんなり。

 文字だと音程が表現出来なくて申し訳ない。
 時代劇で使われることもあるそうなので、聴いたらすぐに、
「あーっ、これね!」
 とうなずく人も多いのかもしれない。

 寺の場面で演奏される「木魚の合方」なんてのもある。
(合方は、楽器のみで演奏するメロディのこと)
「これが流れた後はたいてい良いことは起こらないですね!」
 というコメントが可笑しかった。

 「雪」を表す音楽もある。
 しんしんと降り積もる、本当は音のない、白い世界。
 その「無音」をあえて音で表現する。

 音楽の部の後に落語とお芝居もあったのだけど、そこでこの「雪の音」が大活躍。
 落語は立川志の春さんの「宿屋の仇討」
 普通落語にBGMを付けることは無いそうなのですが、今回は特別に前半の演奏者のみなさんが陰で演奏して、歌舞伎風の演出になっていました。

 印象的な雪の場面があり、雪の音が心に刻まれた。
 雪の中の殺人。血で真っ赤に染まる夜の底。

 他にも俗曲や小唄なども聴けて、邦楽の世界の広さ、深さを改めて感じることが出来ました。
 私は歌舞伎を見に行くと役者を見るより音楽を聴くことに集中してしまうのですが、
「そういうのって邪道なのかな〜」
 とちょっと悩んでいた。
 他の歌舞伎ファンが役者の話で盛り上がっていても入れないしね。

 でも、やっぱり歌舞伎の音楽はすごいよ! 魅力的だよ!!
 BGMだけでもこれだけ豊かなんだもの。
 それ以外にメインの音楽である長唄・義太夫・常磐津・清元なんかもあってさ。

 私は囃子だけの音楽で能のような雰囲気になった後、三味線が入って明るくくだける瞬間が好き。
 ジェットコースターで下降する時のフワッとした気持ちに似てる。
 あれを味わうために劇場に行っていると言っても良い。

 今回の下座音楽講座によって、
「今後も邪道な歌舞伎鑑賞を続けよう!」
 と力づけられました。
 ああ早く、劇の中で雪の音を確かめたい。

 邦楽というのは習わないとなかなか馴染めない世界かもしれませんが、テレビで歌舞伎を見る機会があったら「音楽番組」として「聴いて」みると良いかもしれない。
 きっと歌舞伎という文化が持っている厚みを知ることが出来るはず。

 杵屋三七郎さんのホームページはこちらです。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:58| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

長唄の会

 今日は私の先生の先生である、松永鉄九郎師匠の長唄の会に行って来ました。
 演奏曲の順番が良かったな〜
 牛若丸と弁慶の出会いを描いた「五條橋」という勇ましい曲の直後に、おちゃらけた雰囲気の「まかしょ」
 三味線の音も唄の声質もガラッと変わって、歌舞伎の引き抜きの場面を見るような爽快感!

image.jpg

 鉄九郎師匠は落語の世界とも関係が深く、トークが完全に落語家……
 先生の先生が落語家化したということは、先生もいつか落語家化し、母が生け花を習いに行って熔接をやる羽目になったように、私も長唄三味線を習っていたはずが落語を一席、ということになるのだろうか。

 人の作った話は覚えられないので、自作の新作落語をやりたい。←やる気かよ
posted by 柳屋文芸堂 at 02:36| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年10月31日

映画音楽の不思議

 映画のBGMを不自然に感じないのって不思議だなー と思う。
 恋人たちの場面で甘いメロディが流れたり。
 大自然が映った途端、重厚な交響曲的音楽が鳴り始めたり。

 あんなこと現実では絶対起きないよね?
 でも特に違和感もなく見続けちゃう。

 無音の映画、というのを想像してみる。
 そちらの方が真実に近いのに、何故か異様だ。
 その場面で登場人物の心に生じた感情を、音楽が伝えてくれている、ということなのだろうか。

 音楽らしい音楽というのは天然には存在しない。
 音楽を作り出すのも、聞いて何かを感じ取るのも、人間。
 人間の感情=音楽、ということなのかなぁ……
posted by 柳屋文芸堂 at 02:35| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年10月28日

helen merrill

 「helen merrill」というアルバムが好きです(これ

 昼間のうちは絶対にかけない。
 ジャズは全般的にそうなのだけど、このCDは特に。
 夜の大人の音楽。

 年齢さえ重ねれば大人になれるのだと思っていた。
 今の私は、子どもの頃に考えていた大人とはずいぶん違う。

 考えても仕方ないことを考え続けるようなトランペットの旋律。
 心の中でだけ、私は夢見た通りの大人になる。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:46| 音楽 | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

三味線の勉強会

 三味線の勉強会が終わりました。

 「吉原雀」がねー
「そこで間違えるの?!」
 と自分でもびっくりしちゃうような場所で間違えた。

 練習ではちゃんと弾けていて、全然気にしなかったようなところ。
 緊張していたのかなー
 それとも、そういう普段さらっとやっていたことの方がいざとなると危ない、ということなんだろうか。

 練習と本番で体の力の入れ具合が変わってしまった。
 何となく体がどしっと落ち着かないまま弾いた感じ。
 どんな時でもどしっとなれるようにしたいものです。

 「都鳥」と「梅の栄」は一緒に演奏する人数が多かったので、その人たちに迷惑をかけないことを一番の目標にしました。
 曲が盛り上がってくると、つい、
「俺の三味線を聴けぇぇ!」
 みたいな激しい弾き方になっちゃうんだよね。

 いけない、いけない。出っ張らないように……
 と気をつけたのだけど、ちゃんとやれてたかな。

 私はもともと和太鼓・トロンボーン・コントラバスと「縁の下の力持ち」系の楽器をやってきた人間で、目立つ旋律より地味なベースラインを断然愛している。
 なのに三味線で「チリリンチンチンチリ♪」と派手な音を鳴らした途端、ロックバンドのギタリスト気分になってしまうのは何故なんだ。

 楽器によって引き出される別の自分、がいるのかもしれない。
 和太鼓を打つ私と、トロンボーンを吹く私と、コントラバスを弾く私と、三味線を弾く私は、微妙に「違う人間」なのだろう。
 まあ、全員音感が悪いのは同じ訳ですが。

 さて。実はこの三曲以外に、先生へのサプライズプレゼントとして木村カエラの「バタフライ」も演奏しました。
 三味線仲間が譜面を作ってくれて、先生に気付かれないように事前に集まって練習したのです。

 演奏後、みんなでクラッカーを鳴らし、
「ご結婚おめでとうございます!」
 と叫んだんだけど……

 先生は「バタフライ」を知らなかった……
 やはり「てんとう虫のサンバ」にしておくべきだったか。

 最近は「誰もが知っている曲」というのが分かりにくい。
 「バタフライ」はCMにも使われていたのに、その場にいる人の半分くらいしか知っている人がいなくて、テレビの影響力が昔より弱まっているのを実感した。
(まあ、邦楽好き、という特殊な集団だからかもしれないけれども)

 先生には後で「バタフライ」の歌詞を読んでもらって、お祝いの気持ちが伝われば良いなと。
 メロディも、蝶の羽と花びらが次々開いていく印象をそのまま音にした感じで、美しいよね。

 3曲+1曲を練習しまくる夏は大変だったけど楽しかった。
 これからは「吉原雀」に全力を注ぐぞーっ

 本日お世話になったみなさま、ありがとうございました。
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2014年09月05日

相対音感

 私はこれまでに色んな楽器を経験してきた。

 和太鼓(小学校〜中学校時代に習っていた)
 トロンボーン(中学校の吹奏楽部で)
 コントラバス(高校の吹奏楽部で)
 現在は三味線のお稽古に通っている(始めて8年経ってた……)

 こんなにやっているのに、どれもそんなに上手くない。
 特に音階のある楽器が酷い(和太鼓はまだマシだった)

 最近になって、その理由が分かってきた。
 私には相対音感が無いのである。
 絶対音感もないが、楽器を演奏するためには相対音感の方が大事かもしれない。

 相対音感が無い、というのは具体的にどういうことかというと、
「ドレミファソラシド〜♪」
 を正確に歌えない。

 歌えないということは、楽器で鳴らすことも出来ない。
 ドレミファソラシドがダメということは、当然「ドミソ」も「レファラ」も鳴らせない。
 どこを押せばどの音が出る、ということは分かるので、だいたいの音は出せるが、正確じゃない。

 何となくそうじゃないかな、とは思っていたのだけど、ああ、と気付いたのは、
「私、『オーバー・ザ・レインボー』を頭の中で歌わないと、一オクターブ上の音を出せないんだよね」
 とDちゃんに言った時。
「……もしかして、普通そんなことしない?」
「聞いたことない」

 「オーバー・ザ・レインボー」の冒頭が「ド〜(オクターブ上の→)ド〜」だということは何故か覚えていて、三味線も「オーバー・ザ・レインボー」で調弦する。
 曲の中の「ド〜ド〜」は思い浮かべることが出来るのに、音階としての「ドードー」を心の中で鳴らすことは出来ない。
 この感覚、伝わるだろうか……
 私の音程には、文脈が必要なのだ。

 もしかしたら「『ドレ』が入るメロディ」「『ミファ』が入るメロディ」「『ドミソ』が入るメロディ」とあらゆる音程を曲名で覚えていったら、私も相対音感を身に付けられるのかもしれない。
 面倒臭い耳だなぁ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:35| 音楽 | 更新情報をチェックする