2017年05月30日

こうの史代「この世界の片隅に」原画展感想

 タワーレコード渋谷店で開催中の「この世界の片隅に」原画展に行ってきました〜
 最終日の前日でしたがそれほど混んではいませんでした。
 コミティア実行委員会が贈ったお花が入り口に。

 こうの史代が「この世界の片隅に」を描く時に実際に使用した画材の展示に大興奮。
 Gペン、丸ペン、筆のような漫画家さんなら誰でも使うようなものから、
 鳥の羽根、口紅、紅筆、リップライナーまで。

 私はこの漫画を何度も読み返したのだけど、気付いてないことがけっこうあった。
 第41回りんどうの秘密(20年10月)のリンさんの場面が、口紅とリップライナーで描かれていたとは!
 本では黒インクで印刷されているから黒い線。
 原画では真っ赤で、特にりんどうの妖艶さがリンさんの姿そのもので。

 漫画の中ですずさんが鳥の羽根で描いた絵は、本当に鳥の羽根を使って描いたそう。
 作中で使われた画材のタッチをなるべく忠実に再現しようとしたのだと分かった。
 真っ正直にこの作品ならではのリアルさを追求することが、同時に漫画表現の実験にもなっている。
 単なる思いつきではなく、伝えたいことを伝えるための実験。

 呉沖海空戦の時にすずが追いかける鷺は、現実なのか、すずが頭の中で作り上げた非現実なのか分からないので、鉛筆で描かれている。
 今いる呉の風景がペンで、帰りたい故郷の風景が鉛筆で描かれ、同じページに収まっている。

 この場面、漫画と映画では全く意味が違っていた。
 漫画ではリンさんの存在が大きいから、すずさんが愛と嫉妬で苦しむ修羅場。
 映画では鷺=昔好きだった男(水原さん)の方に行こうとするすずさんを、周作さんが取り戻そうとする、という気持ちの方が強く出ていた。
 私はどちらも大好きだ。

 第35回(20年7月)以降、背景が全て左手で描かれているというのも、そうだろうなとは思っていたけど、公式の場で書かれるとまた深く感じるものがある。

 会場ではコトリンゴの映画の音楽がずっとかかっていて、全部見終わったところで極めつけの「たんぽぽ」
 ひーっ 泣いちゃうだろ!!
 壁に貼られた大きな寄せ書きにはやたら上手いKUSUNOKI公が。

 展示は5月30日(火)つまり今日の18:00まで(最終入場17:30)
 間に合う方はぜひ。
 また別の会場でも開催してもらえたら良いね。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
posted by 柳屋文芸堂 at 11:42| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

「ミュシャ展」感想

 Dちゃんと一緒に国立新美術館で開催中のミュシャ展に行ってきました〜
 チェコ国外では世界初公開の「スラヴ叙事詩」がやはり見応えがあった。
 私が絵の中で表現されている物語や情感を読み取ろうとするのに対し、Dちゃんは色彩や構図に注目して見ていくのが面白かった。

 歴史を描いたリアルな絵でありながら、デザイン的なテクニックを使っているので、大昔の話というより「現代人のための神話」という印象を受ける。
 発表当時は流行からズレてしまっていたらしく、あまり評判は良くなかったらしい。
 古典的主題と商業的技法の融合って斬新だと思うんだけどな……

 日本の漫画家やイラストレーターがミュシャからの影響を強く受けているせいか、日本人には(特にアニメやゲームなどオタク文化が好きな人には)非常に親しみやすい世界だと思う。

 ミュシャの生涯を紹介する映像コーナーで、最晩年にナチスの尋問を受けたと知った。
 尋問、という言葉にどれだけの恐ろしいことが含まれているかを考え、泣いてしまった。
 ほんの十数分の映像では、ミュシャが人生を送る中で感じた希望や失望がどんなものだったか、本当のところは全然分からないのだけれど。

 悲しいことばかりじゃなかったよね?
 ミュシャの絵のように美しい瞬間も、きっといっぱいあったよね?
 受け手の反応には関係ない、描くという行為そのものから得られる喜びが。

 一部分だけよく知っていた「クオ・ヴァディス」の全体を見られたのも嬉しかった。
 想像していたよりずっと妖艶だった。

 並ばずに入場出来たものの、チケット売り場とグッズ売り場の行列はすごかった。
 可能なら平日に行くことをおすすめします……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:32| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

「バベルの塔」展 感想

 上野の東京都美術館で開催中の「バベルの塔」展に行ってきました〜
 土曜日にしてはそんなに混雑してなかったです。
 メインの展示品であるピーテル・ブリューゲル1世の「バベルの塔」だけは見るために列を作り、正面で立ち止まることが禁止されていますが。
 2回並んで2度見た(そんなに時間はかからない)

 このバベルの塔、恐ろしく細密。
 塔がいかに巨大であるかを表現するために、人間や建築用のクレーンなど、塔以外のものを可能な限り小さく描いている。
 三倍に拡大した複製画も用意されていて、それを見ても細かい。
 双眼鏡を持ってきている人がけっこういた。準備良いな。

 バベルの塔をCGで立体的に再現し、すぐそばまで迫る動画が上映されているので双眼鏡がなくても大丈夫!
 資材を持ち上げる様子や、石灰をかぶって真っ白になった人々を大きな画面で見られる。
 自分自身がバベルの塔に登ったような気持ちになって楽しかった。

 一緒に行った友人は、
「建設中なんだね! 壊されているところだとばかり思っていた」
 と驚いていた。
 バベルの塔の建設は順調で、このまま完成しちゃうんじゃないかという気がした。

 ヒエロニムス・ボスの作品も来ており、パネル展示ながら「快楽の園」の解説があったのが嬉しかった(残念ながら実物は来ていない)
 村上春樹「1Q84」の文庫版の表紙に、この絵が使われているのです。
 意味ありげでどうとでも解釈出来そうな、不可思議な象徴が多く描かれていて、
「春樹の世界にぴったりだ〜!」
 と感激。
「樹木人間の胴体の中は居酒屋になっている」
 というのが意味不明で素晴らしい。

 枝葉の刺繍の画家の「聖カタリナ」の布地の描き方も美しかった。
 枝葉の刺繍の画家、というのは通称。素敵だ。
 本当の名前は残っていないが、作者もそう悪い気はしないのではないか。

 グッズ売り場の「タオルの塔」に脱力した。
 タオルがバベルの塔っぽく積み上げてあるの。
 私はバベルの塔の形のシフォンケーキを購入。
 バベルの塔の窓(よく見ると一つ一つ形が異なる)がデザインされている紙袋が可愛い。

 上野駅では野菜山盛りのラーメンやパクチー山盛りのサラダが「バベル盛り」と宣伝されており、何だか今日は色んなものがバベルだった。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:52| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

「草間彌生 わが永遠の魂」展感想

IMG_0666.jpg

 国立新美術館で開催中の草間彌生展に行ってきました〜

 館内に入ってすぐ、行列が見えた。
「平日なのに並んでる……!!」
 と驚愕したのですが、それはグッズ売り場の会計の列でした。
 展示には並ばずすっと入れてホッ。

 草間彌生本人のコメントが聞けるというので音声ガイドを借りてみた。

 最初の部屋にあった「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」と題された富士山の絵と、次の体育館みたいに大きな部屋いっぱいに飾られた連作「わが永遠の魂」を見ている間、ずーっと涙ぐんでいた。
 この人が生き抜いたことに、うわーっとなった感じ。

「幼少期から幻覚や幻聴に悩まされ、水玉や網目模様をモティーフとした絵を描き始めました」
(「ごあいさつ」の文章から引用)

 私にも幻覚の症状がある。
 私を攻撃してくるような幻ではないので治療したことはないけれど(これが治ってしまったら生きていけない)そっちの世界に意識が行ってしまうと仕事や家事がおろそかになるので、効率的に生きるためには「余分なもの」と言えるだろう。

 草間の幻覚は草間を苦しめる内容だったのだと思う。
 それを「芸術」という形にして幻覚と戦った。
 彼女が戦いに負けなかった証が、この巨大で色鮮やかな作品群だ。

「心に余分なものが湧いてくる人」
 が全員草間彌生のようになれる訳ではない。
 しかしその「余分」を別の何かにすることで、苦しみを喜びに変えていく方法があるのではないかと思うのだ(私の場合は小説です)

 連作「わが永遠の魂」は一つ一つの作品を細かく見ていくのも楽しい。
 人間の描き方がコミカルで可愛らしく、
「ちびまる子ちゃんに出て来そう」
 と言っている人がいた。確かに。
「わたしは漫画家になりたい」
 というタイトルの作品もあったりする。

 部屋全体を見渡して草間世界を全身で感じると、精神が温泉に浸かるような効果がある。

 ぎゅうぎゅうではないにしろ、平日とは思えないほど来場者数は多い。
 外国からの旅行者も少なくない。
 みな草間彌生に心惹かれてやって来たのだと思うと嬉しくなる。

「あれが好き!」
 と絵を指差しながら語り合う母娘。
「楽しかった!」
 と言い合いながら部屋を出る若い男の子2人。

「これで第一部なんでしょ?」
「信じられない!」
 と感嘆している人たちが。
 うん、見ごたえすごいね。

 次の部屋では子供の頃に描いた絵など初期作品が集められている。
 黒い点々やからみ合う植物など、描こうとしているものは現在と全く変わらない。
 ただ色彩は薄暗く、本当に必要な表現方法を探している状態だったのだろう。

 音声ガイドでは草間が父母への思いを歌にして歌っていて、それが昭和歌謡っぽいメロディーで、そうだよなぁ、これだけポップな作品を作っていても母や伯母たちと同じくらい(昭和はじめの生まれ)なんだよなぁ、と微笑んだ。

 ニューヨークに渡った後の作品は一転、草間彌生らしさが消える。
 アメリカの現代アート展のようだ。
 この時(1960年代)に草間はポップ・アートやミニマル・アートの手法を取り入れたらしい。
 白地に赤の網目を描いた絵画「No.X」はどこか千代紙のような和風の趣きがある。

 細江英公(三島由紀夫の写真集「薔薇刑」を撮影した写真家)によるパフォーマンスの記録(カラースライド)も見ることが出来た。
 力強いパフォーマーというより、パフォーマンスをしないと(経済的にではなく精神的に)生きていけないか弱い少女が写っている気がした。

 日の光が注ぐ明るい展示室に、大きなかぼちゃの立体作品があった。
 音声ガイドによると、草間は実家の畑でかぼちゃに愛着を抱いた。
 悲惨でみじめな子供時代、かぼちゃが心を慰めてくれた。
 かぼちゃに描かれた水玉は、かぼちゃの表面の突起を表しているという。

 草間にとって「水玉」とは何なのだろうか。
 彼女は「水玉を描いたらおしゃれ」と考えて水玉をモティーフにした訳ではないと思う。

 おそらく当たり前のように、世界中に水玉が見えていたのだ。
 彼女が見ている世界をそのまま見ることは出来ない。
 作品=見えているもの、でもないだろう。
 具体的には分からないが、子供時代に水玉は、彼女に「恐怖を与えるもの」として現れたのではないか。

 草間のかぼちゃを形取った作品は、心から生じ心を苦しめる水玉(幻覚)と、心の外側にあり心を慰めてくれる愛らしいものが一体化したものだ。
 これは大きな救いの形であるように感じた。

 彼女は水玉を描くことで水玉と戦い、勝ち続けなければいけない。
 かぼちゃのような愛らしいものたちが、その戦いを支えている。
 水玉も気が付けば愛らしくなり、草間の味方となって戦っている。

 電飾がちりばめられている鏡張りの部屋「生命の輝きに満ちて」に入るのは本当に楽しい体験だった。
 上にも、下にも、横にも、無限に光の粒が広がっている。
 宇宙に似ているが、心の中にある宇宙の方が近い。
 難しいことは考えずに「綺麗〜」とつぶやき幸せな気持ちになる。

 音声ガイドの最後の詩の朗読から一部引用する。

「死が待ちかまえていても構うものか」
「死よもう私に語りかけないで」


 草間彌生は若い頃から何度も自殺未遂を繰り返した。
 老いた先にある「死」以上に、
「死にたい」
 という気持ちが彼女を脅かし続けた。

 死に追いかけられている人間が、死を振り払うために歩んだ道。
 その激しい生。
 希死と老衰という二つの死に迫られた現在の草間彌生が放つ閃光は恐ろしく眩しく、美しく、優しい。

 自分を生み出した宇宙への畏敬の念を表したいと草間は言う。
 あんなにも苦しんだのに、この宇宙や生きることを憎んではいないのだ。

 展示場を出たところにある「オブリタレーションルーム」でチケットを見せると……

IMG_0683.jpg

 シールがもらえる。
 これを好きな場所に貼って良いらしい。

IMG_0684.jpg

 こんな感じになっている。
 私は思わず床の汚れを隠すように貼ってしまって、
「主婦だ」
 と思った。

 私のように心に「余分なもの」を抱えた人たちが、この展示を見て励まされると良いなと思った。
 自分なりの変換方法(絵、音楽、言葉など)を見つけて、一緒に生き抜いてゆこうよ。
 どこかで私は、あなたの作品を見るかもしれない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:37| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

「マリメッコ展」感想

 最終日の前日に行ったのが悪いのですが、いや〜 混んでた!!
 チケット買うのに15分くらい並んだよ。

 難しいことは考えずに、ひたすら色鮮やかな布やドレスをぼんやり眺めて回りました。
 寒さのせいかここのところ気持ちが鬱いでいたので、とにかく綺麗なものが見たかった。
 どのデザインも素朴なのに洗練されていて、心楽しい。

 出口のところにもうじき始まる草間彌生展のチラシがあり、マリメッコにちょっと似ていると思った。
 強迫観念を昇華させた草間彌生の芸術と、使う人の気持ちを明るくするマリメッコのデザイン。
 人間の「心」を良い方向へ向かわせるという意味では、意外と近いものなのかもしれない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 02:36| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年02月02日

映画「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」感想



 ロンドンにある美術館「ナショナル・ギャラリー」の活動を追ったドキュメンタリー。
 一番面白かったのは、ルーベンスの絵画「サムソンとデリラ」をスパイものの一場面として説明してくれる学芸員。
 人を惹きつける情熱的な語り口で、
「その映画、絶対見に行くよ!」
 という気分になった。

 芸術作品を読み取って、その魅力を伝える作業は、もしかしたら創作そのものより創造的なんじゃないか。
 私が常々感じていたそんな思いを、あの学芸員は体現していた。

 美術好きとはいえ、美術館ではただ作品を見て帰るだけのことがほとんど。
 ギャラリートークやワークショップも利用して、もっと積極的に美術に関わってみたいと思った。

 映画の公式サイトはこちら
 
posted by 柳屋文芸堂 at 18:54| 美術 | 更新情報をチェックする

2016年05月26日

「谷崎潤一郎文学の着物を見る」感想

 小説書き仲間のみなさんと、弥生美術館で開催中の、
「耽美 華麗 悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見る〜アンティーク着物と挿絵の饗宴〜」
 という展示を見てきました(公式サイトはこちら

 Twitterでは頻繁に交流しているものの、同人誌即売会以外の場所で小説を書く方たちと会うことはほとんどないのです。
 しかも一緒に谷崎、ですよ!
 こんなチャンスめったにないよな〜 とワクワクドキドキでした。

 谷崎潤一郎は文章のリズムが好きで「細雪」「春琴抄」「卍」あたりは読んでいるのですが、全作制覇している訳ではない。
 特に今回の展示で中心になりそうな「痴人の愛」が未読で、大丈夫かな〜 と心配していたら、全く問題なかった。
 読んでいなくても「痴人の愛」の凄まじい内容がよ〜く分かるようになっていた!

 自分で育て上げた少女「ナオミ」がすっかり小悪魔になってしまい、最初は腹を立てていたものの、最終的には喜んで奴隷になった譲治のお話。
 まず、ナオミが着ていた大胆な着物の再現が楽しい。
 ただ派手なのではなく、狂乱を感じさせる艶やかさ。
 衣装と肉体と精神はほぼイコールでつながっているんじゃないかと思った。

 そして一番素晴らしかったのは、譲治に馬乗りになるナオミを描いた挿絵。
 「痴人の愛」には実際にそういう場面があるのです。
 絵柄がリアルな上に、カラー。

 ちゃんと原作を読んでいるSさんは、
「譲治が格好良すぎる気がするけど、これはこれであり!」
 もっと情けない男が美少女にハマるイメージらしい。

 Sさんの谷崎イチオシは「鍵」で、私は一緒に紹介されていた「瘋癲(ふうてん)老人日記」を読んでみたいと思った。
 どちらも老人の性を扱った作品。
 息子のお嫁さんにかまってもらいたくて泣き出す爺さんとか、痛々しいのか可笑しいのか。

 特別な事件ではなく卑近な日常を描くことで、人間というのがどんなものなのか浮かび上がらせる谷崎の手法。
 知らず知らず影響を受けていたのかも、なんてことも思った。

 着物の布や柄についての文章もかなり細かく、だからこそ今回の展示のような着物の再現が出来た。
 私も登場人物の衣装をきちんと描けるようになりたいなー
 何度も書き直されて真っ黒になっている生原稿にも心を打たれました。

 気に入った文章を一つ引用。
「恋というものは一つの芝居なんだから、筋を考えなければ駄目よ」
 (「黒白」より)

 谷崎潤一郎や着物が好きな人はもちろん、人間の本性に興味のある方ならきっと楽しめるはず。

 弥生美術館は根津駅から徒歩7分。
 この展示は6月26日まで。
 秋には山岸凉子展をやるみたいよ……!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:38| 美術 | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」感想

 武蔵野市立吉祥寺美術館で開催中の、
「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」
 に行ってきました(公式サイトはこちら

 それほど大きな展示スペースではないので、だいたい1時間くらいで全部見られました。
 (マニアな方は3時間眺めても足りないかもしれないけど……)
 閉館間際だったせいか混雑しておらず、ガラガラでもなく、ちょうど良い人の入り。

 大好きな「11人いる!」「銀の三角」「マージナル」等の原画に大興奮!
 文庫本ではモノクロ印刷になってしまっているカラーページに、
「こんな色だったのか〜」
 と感動したり。「スター・レッド」の赤も鮮やかでした。

 初期から現在まで、約40年間の作品が並んでいるので、時代に合わせて画風を変化させていったのがよく分かる。
 私は初期の優美な線が好きなのだけど、それをそのまま書き続けていたら時代遅れになってしまっただろう。
 「過去の名作の作者」ではなく「今、活躍している漫画家」でい続ける努力を思うと心が震える。

 その証拠に、一番美しいと思ったのは最近の作品である、
「世界の中心であるわたし」
 の扉絵だった。色んな方向を向いて手を上にかざす少年少女?たち。
 (ストーリーを知らないのでごめんなさい。「バルバラ異界」に入っているらしい。読まねば!)

 可愛くて、神秘的で、ずっと眺めていたかった。

 展示室を出ると、萩尾望都とヤマザキマリ(テルマエ・ロマエの作者)の対談映像が流れていた。
 ヤマザキマリがやたら暑苦しく「21エモン」について語っていて、読みたくなったよ。
 何で自作でも萩尾望都の作品でもなく藤子不二雄の話なの……

 萩尾望都の話し方は恥ずかしがり屋の少女のようで、その愛らしさに「はう、はう」と変な声が出ました。
 時間のある人は対談を全部見るとお得ですね(私は終盤しか見られなかった)

 5月29日まで開催。
 5月6日から一部展示替えがあるそうです。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:59| 美術 | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

「魔女の秘密展」感想

 ラフォーレミュージアム原宿で開催中の「魔女の秘密展」に行ってきました!
 平日の昼間だったのでそれほど混雑しておらず、かと言ってガラガラでもなく、のんびり見るのにちょうど良い感じ。
 お客さんが濃い目だったような気がするな(自分も含めて)

 中世(5〜15世紀)の頃から、人々は悪いことが起きると魔女のせいにしていた。
 近世になると、魔女は激しい憎悪の対象になった。

 当時はちょうど小氷期と呼ばれる世界的に気温が低くなった時代。
 凶作が続き、物乞いが増加した。
 都市では人口過密による衛生状態の悪さからペストが流行。

 ルターが始めた宗教改革によりキリスト教内部で対立が起こり(プロテスタントとカトリック)
 ドイツは30年戦争に突入。人口は3分の1に。

 ひどい時代だった訳です。
 人々はその不安と恐怖を「魔女のせい」にした。

 事態を悪化させたのは、まず知識人の行動。
 ルターは魔女の火刑に賛成し、神学者の書いた「魔女に与える鉄槌」という本が魔女裁判の教科書となった。
(魔女の見分け方などが書いてある)

 意外だったのは、道路の整備や印刷機の普及が悪い方向に働いたこと。
 これによりセンセーショナルな魔女の話題が広まり、魔女を告発しやすくなった。

 確かに私もインターネットの普及で頭が良くなったりしなかったもんなぁ。
 逆に多過ぎる情報を処理し切れず、混乱することが増えた。
 近世のヨーロッパの人々も同じだったのかもしれない。

 魔女裁判で迫害された人の多くは、物乞い。
 どれだけ不当な理由であっても、お金がないから弁護士を雇えない。
 人々は罪を弱者に押し付けて、不安を解消しようとした。

 展示では、拷問と処刑の紹介が妙に充実している。
 怖いから私はざっとしか見なかったけど、拷問具に興味がある人は目が輝くかも……

 科学が進歩し、自然現象を魔女のせいにせず科学的に説明出来るようになったことや、拷問が廃止され、裁判で客観的な証拠が重視されるようになったこと等により、魔女狩りは終息する。
 犠牲者はドイツが25000人で、突出している。
 悲しい歴史の多い国だ。

 家畜の奇形も魔女のせいにされたということで、双頭の仔牛の剥製が展示されていた。
 18世紀に使用されたという「万病に効く飲むお札」というのがあり、とげぬき地蔵みたいだと驚いた。
(巣鴨のとげぬき地蔵では、お地蔵さんが印刷されている小さい紙が売られている。子供の頃よく飲まされた)

 魔女の絵や話にたびたび出てくる「飛行用軟膏」というのが気になった。
 ほうきじゃなく軟膏の力で飛んでいたんだ……
 ならばほうきは何なんだろう?
 自転車のハンドルみたいなものだったのかな??

 一番印象に残ったのは、書物の恐ろしさ。
 人々がぼんやりと持っていた「魔女のイメージ」を言葉の力で明確化し、魔女(実態は弱者)の迫害にお墨付きを与えてしまった。
 魔女狩りをしていた人たちは「良いことをしている」と信じていたんだろうな。

 一方で、科学の可能性を感じられたのは嬉しかった。
 最近は戦争・原発・薬害・公害等々、科学によって苦しめられる場面を見ることの方が多いから。
 使い方次第なんだよね、何だって。

 会場では、ほうきにまたがって写真が撮れます。

image.jpg

 図録が充実しているので、ファンタジー小説や漫画を書く人は持っていると便利そう。
 グッズ売り場にあった「魔女カレー」というのが妙に気になり、何でだろうと思ったら、私、このタイトルで掌編小説を書いていましたね(これ
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:52| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

女性がポルノを見ないのは

 ネット上で春画展についての記事を読み、
「女性客が多い」
 という記述の多さにあきれている。

 私は20年近く頻繁に美術展通いをしているけれど、常に客の8割くらいは女性なのだ。
 それに比べると今回の春画展は、女性の割合が少ない。
「ふだん美術館にあまり来ない、おじさん・おじいさんの姿が目立つ」
 ということの方を特筆すべきだと思う。

「女性客が多い」というのは他の美術展と比較してではなく「ポルノに比べて」なのだろう。
 女性がポルノを見ないのは性的なものを嫌うせいではなく、男性本位だからだ。

 女性は性的なことを嫌う→無理やりするしかない
 みたいな考えを持たれたら困る。
 女性にも性欲はありますので、もしやりたいと思ったら、まずその人に好かれてくださいね……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:47| 美術 | 更新情報をチェックする