2015年07月25日

エリック・サティとその時代展

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「エリック・サティとその時代展」に行って来ました。
 平日とはいえ「えっ?」と驚くほど空いていた。
 ピアノの生演奏のある日で、演奏開始まではまだかなり時間がある、という状態だったからかな。
 演奏前後は混雑したのかもしれない。

 展示品はサティに関係のある本の表紙・挿絵、ポスターなどが多く、どれもおしゃれ。
 夏にボーッと鑑賞して楽しむのにぴったりだった。
 約100年前の作品とは思えない。
 この頃の絵が、後の時代の作品に大きな影響を与えたからだと思う。

 「スポーツと気晴らし」の楽譜集が良かったな。
 これは21曲のピアノ小曲集で、序曲以外の20曲にシャルル・マルタンの色鮮やかな挿絵が入っている。
 この全てが展示されており、映像コーナーでは絵・譜面・譜面に書かれた言葉・音楽を一緒に楽しむことが出来た。

 サティは生涯にたった一度しか恋をせず、しかもそれは半年で終わってしまったそう。
 相当ショックを受けたというから、期間が短くても遊びじゃなかったのだ。
 切ない。

 自分の家のドアに「旋律の販売」を呼びかける看板を掲げたり、自分に手紙を書いたり、彼なりに必死で戦って生きていたみたいだ。
 何をやっても常に変なんだけど。

 「本日休演」という曲の楽譜の口絵に書かれた、サティが持つ看板の文章が素晴らしい。

「すべてを説明するという習慣を脱ぎ捨てるのはいつになるのかね?」

 これから行く人は、ピカソがデザインした馬がすごいので見逃さないように。
 あと、会場が寒いので上着を持って行くと良いよ……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 02:03| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

国立公文書館 企画展「恋する王朝」

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 今日は東京・竹橋にある国立公文書館で開催中の企画展「恋する王朝」に行き、ギャラリー・トークを聞いてきました。
 興味深い展示が色々あったのですが、全部書く時間がないのでとりあえず一つだけ。

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 これは伊勢物語の第一段「初冠(ういこうぶり)」の挿絵で、舞台は奈良の春日の里。
 左下をよく見ると……

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 鹿だっ!
 伊勢物語は平安時代に書かれ、この本は江戸時代に出版されたもの。
 少なくとも江戸時代にはすでに「奈良といえば鹿、鹿といえば奈良」ってイメージが出来ていたってことだよね。
 平安時代はどうだったんだろう。

 奈良の鹿はいったいいつからいるんだ?

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posted by 柳屋文芸堂 at 23:33| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年06月27日

大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史

 大英博物館の収蔵品から選んだ100種類の「物」によって人類の歴史を見ていこう、という趣旨の展示。
 200万年前の石器から現代のソーラーランプまで。
 3時間半かけてじっくり楽しみました。面白かったです。

 大理石で出来たミトラス神像が素晴らしかったなぁ。
 ミロのヴィーナスみたいに写実的な彫刻で、どの方向から見てもリアルで優美。
 そして残酷。

 ミトラス神は女性か少年のような姿なのに、牛を捕らえて短剣を突き立てているのだ。
 牛の足をぐっと踏みつけて押さえているのが臨場感を出している。

 ミトラス神を信仰するミトラス教というものがかつて存在し、キリスト教に敗れて消滅してしまったらしい。
 こんなに美しい像が残っているのに、どんな宗教だったのかあまり分かっていない様子。
 それって「想像の余地がある」ってことだよね。

 お地蔵さんサイズのモアイが見られたのも嬉しかった。
 小さくてもモアイ!
 石のザラッとした質感と、茫漠とした表情がたまらない。

 夜のうちに50メートルくらいさり気なく移動してそうな雰囲気。
 でも怖くない。
 
 今回一番の目的は「イフェの頭像」
 エルンスト・ゴンブリッチの「美術の物語」という本の中で紹介されていて、まさか実物に会える日が来るなんて思わなかった。

 イフェの頭像はアフリカで発見されたのに、当初、
「アフリカの人間にこんな高度な技術がある訳がない」
 と別の場所から運ばれたものだと勝手に思われていたという。
 それがアフリカのものと判明し、ヨーロッパ人がアフリカのイメージを変えるきっかけになった。

 奴隷制度に関する展示(奴隷を買うのに使う貨幣)や説明もあり、
「南米で銀を増産させたら先住民の死亡率が上がったので、アフリカから奴隷を連れてきた」
 という流れが、今の日本に似ているように感じた。
 労働環境を改善するのではなく、外国から人を連れてきてどうにかしようとするところが。

 現代に近くなると、裸の男性二人がベッドで寝ている絵(ホックニー「退屈な村で」)などもある。
 イギリスでは1960年代に自分を偽らずに生きようという運動が起き、同性愛の権利を求める活動も盛んになった。

 これを展示?! と驚いたのが、クレジットカード。
 アラブ首長国連邦のもので、イスラムの教えに基づき利息は課さない、ということが幾何学模様によって示されている。
 利息を課さないクレジットカードってどんな仕組みなんだろう。

 他にも興味深いものがいっぱいあって、とても紹介しきれない。
 東京会場は6月28日までですが、福岡・神戸にも巡回するのでお近くの方はぜひどうぞ。
 (公式サイトはこちら

 あと、この展示の元になったラジオ番組の日本語版があり、ネットで聞くことが出来ます。
 (こちらから)

 ついでにレキシの「狩りから稲作へ」も聞くと良いよ!
 (展示品に縄文土器もあるのです)


 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:44| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

「21_21 DESIGN SIGHT」の読み方

 昨日の記事の単位展の会場である「21_21 DESIGN SIGHT」
 現代美術やデザイン寄りの展示が多くてよく行くのですが、長いこと呼び方を知らなかった。
「ミッドタウンの端っこにあるアレ」
 と覚えておけば辿り着けるし。

 ある時、美容室で美術展の話になった。
 会場を説明しようとして、
「えーっと、ほら、あそこ。『にじゅういち、にじゅういち』って書いてある……」
 笑い出す美容師さん。
「『トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト』ですね!」

 これが正式名称(公式サイトのこのページに説明がある)
 入り口には「21_21」という番地の表示みたいなプレートがかかっている(これ
 「にじゅういち、にじゅういち」で分かってくれる美容師さん、大好きだよ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:50| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

「単位展」感想

 東京ミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「単位展」に行ってきました。

 ラジオ番組で紹介されたのを聞いて興味を持ったものの、単位の勉強ばかりだったらつまらないかも……
 なんて心配する必要なかった。
 色んな方向から単位を意識させてくれて、面白かったです!

 言葉でしか知らない単位を実感したり、

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↑各単位の長さの木。尺とフィートがほぼ同じだと初めて気付いた。

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↑各単位の重さのサンドバッグのようなもの。一貫の重さに驚く。百貫デブは375kgですよ……

 DESIGN SIGHTだけあって、デザインする人が使う単位も多かった。

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↑物の角をどれだけ丸くするかを示す、R見本帖。

 私には馴染みのないものなので、へぇ〜っと感心。

 大工さんが使う「曲尺」の便利さにも打ち震えた。
 直角に曲がった定規で、一見単純に見えるけど、メモリが数学的に工夫されている。
 木の直径を測ると、そこから作れる柱の太さがすぐ分かったり。

 単位によって物事は明確になり、物を正確に作れるようにもなる。
 自分の中の単位の世界が広がった気がしました(主に、物理学からデザインの方向に)

 5月31日(日)まで。
 お客さんは多いですが、平日なら辛くなるほど混雑することもないんじゃないかな。
 興味のある方は明日か明後日のうちにどうぞ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:53| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年05月07日

エドワード・レビンソン写真展「Whisper of the Land」

 銀座の「Art Gallery M84」で開催中の、エドワード・レビンソン写真展「Whisper of the Land」に行ってきました。

 レンズを使わないピンホールカメラで撮影した写真。
 輪郭が独特のぼやけ方をするので、夢でいつか見た風景のよう。
 どこにでもありそうな岩や木々が写っているだけなのに、現実ではないみたい。

 目を開けて見る風景ではなく、目を閉じた時に見える風景。
 頭がふわ〜っとする。

 音楽がずっとかかっていて、何となく落ち着かないギャラリーだったのが少々残念。
 表現しているものが繊細なのだから、静かに集中させて欲しいなぁ。

 エドワード・レビンソンの写真はネットでも見ることが出来ます→こちら
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:57| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

細江英公「薔薇刑」展

 築地のふげん社ギャラリースペースで開催中の「薔薇刑」展に行って来ました。
 ちょっと展示作品数が少なかったかなー
 もっとまとめて見てみたい。

 簡単に言うと「薔薇刑」は三島由紀夫のヌード写真集です。
 細江英公が撮影する肉体が好きで見に行ったのだけど、一番印象に残ったのは目の写真だった。

 実を言うと三島由紀夫ってほとんど読んでない。
 「仮面の告白」はすごく好きで、でもその後に読んだ「潮騒」が全然好みじゃなくて、離れちゃったのだ。

 今日、三島の目を見ていて、何者なのか定まらない感じが良いなと思った。
 「潮騒」が合わなかったとしても、他の小説の中に私好みの三島がいるかもしれない。
 小説一つ一つにそれぞれ別の三島がいるのかもしれない。

 また読んでみようかな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:19| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

細江英公へのインタビュー

  写真家の細江英公へのインタビューを見つけた(これ
 長年一つの仕事に真剣に向き合ってきた人からにじみ出る格好良さ。

「カメラでもスマホでも何を使おうと自由です。でも、大切なのは、その機材の性格を理解して、完全に自分のものにしない限り、なにも始まらないのです」

「単に操作を覚えて慣れるだけでなく、もっと、例えばレンズの性格とか癖、味わいと言ってもいいけど、そういうところまで知り尽くすことです」


 この部分などは、プロ・アマ関係なく写真を撮る全ての人に役立つと思う。
 実際にやるのはなかなか難しいけど、
「自分のものにしよう、知り尽くそう」
 と心がけるだけでも違うんじゃないかな。

 話題の一つになっている「細江英公・人間ロダン展」は私も見に行きました(感想はこちら
 彫刻の写真なのに、生々しい肉体が写っていたのが忘れられない。
 展覧会を準備中とのことで、見に行くのが楽しみです。

 三島由紀夫を撮影した写真集「薔薇刑」は東京都写真美術館の図書室で読めるよ〜
 これも好き。

追記:記事を書いた後で調べたら、現在「薔薇刑」展開催中でした!(詳細はこちら
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:16| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

東京国立近代美術館

 下の記事の「王国」展をやっている東京国立近代美術館は、明治〜昭和に制作された日本の美術作品を数多く所蔵しています。
 横山大観「生々流転」、高村光太郎「手」を見ると、近代美術館に来たな〜 という気持ちになる。
 あ、今回の常設展には展示されてません。ちょっぴり残念でした。
(常設展も展示替えがあるのです)

 この二作品などは自分の作風を確立しているから落ち着いて鑑賞出来るのだけど、西洋絵画のまねっこ過ぎて目を合わせるのがつらい、というような作品もけっこうある。
 昔は、
「もっと自分の描きたいことを描きなさいよーっ」
 とイライラした。

 でも、たとえば大学に入りたての時なんかに、
「友だちのA子ちゃんみたいに綺麗になりたい!」
 と化粧を始めてみたものの、上手に出来ずやたらと濃くなってしまい、
「水商売の人?」
 と言われてしまった……
 なんて経験、誰でもあるんじゃないかな。

 誰かに憧れて、まねして同じことをやってみて、失敗して、そこから学んで、少しずつ自分に合った方法を覚えていく。
 そういう繰り返しが人間を作ってゆく。

 近代美術館にあるまねっこ洋画も、画家たちが西洋絵画への憧れや劣等感をどう克服していったかの軌跡と思えば、勉強になるし、自分の若い頃と重ねて共感したりも出来る。

 芸術家が作風を獲得する過程と、普通の人が自分を確立する方法は、たぶん似ている。
 美術は日常とかけ離れたものではないのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:16| 美術 | 更新情報をチェックする

「奈良原一高 王国」展 感想

 東京・竹橋の国立近代美術館で開催中の「奈良原一高 王国」展に行って来ました(公式サイトはこちら
 「王国」は1958年に発表された写真作品です。

 二部構成になっており、第一部「沈黙の園」はトラピスト修道院で生活する男性たちを追ったもの。
 トラピストと言えばバターとクッキーしか知りませんでしたが、手作業と沈黙を重んじる宗派、とのこと。
 会話が許される条件が規則で決まっていて、誰とでもペラペラしゃべっちゃいけないみたい。

 同じ志を持った人たちと生活するのは楽しそう、とちょっと思ったけど、沈黙は無理だ。
 私の人生の9割は無駄口で出来ているからな……

 第二部「壁の中」は女性刑務所の内部を写したもの。
 場所が場所なので「沈黙の園」ほど顔は出て来ない。
 女たちの背中と、生きた痕跡。

 どちらも閉ざされた空間で、でも内部には「同じ境遇の、同じ性別の人間」が沢山いる。
 これは都会と全く反対の場所なのではないかと思った。
 都会の空間は開かれている(好きな時に好きな場所に行ける)
 しかし周囲にいる人々は、故郷も考え方もバラバラだ。
 「同じ境遇で、同じ性別の人間」を大勢集めるには大変な苦労をしなければならない。

 閉ざされ、外部と切り離され、あたかも孤独になったかのように見える人々に生じるつながり。
 開かれ、誰にでも会える人々は、いったい誰に会えるのか。

 写真というのは基本的に、外に広がっていくのが得意な表現方法だと思う。
 まず自分を撮るより他人や風景を撮る方がラクだから、自分以外のものを見つめるようになる。
 面白い被写体はないかと、外に出かけたり、旅に出たり。

 「王国」はそういう写真の性質を抑え、逆向きに力をかけるようにして、内にこもるものをとらえている。
 そこが意欲的で、作品から受ける印象の強さになっていると思う。
 一度見ると忘れられない。

 作品数はそう多くなく(一部二部合わせて90枚)じっくり見てもそれほど時間はかかりません。
 金曜の夕方に行ったら割と空いてました。

 別の展示室にある同じ作者の「人間の土地」もなかなか良いので見忘れないように!
 こちらも(「王国」ほど完全にではないけれど)閉ざされた人々の写真。
 このテーマに取り憑かれていたのね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:23| 美術 | 更新情報をチェックする