2015年03月07日

細江英公へのインタビュー

  写真家の細江英公へのインタビューを見つけた(これ
 長年一つの仕事に真剣に向き合ってきた人からにじみ出る格好良さ。

「カメラでもスマホでも何を使おうと自由です。でも、大切なのは、その機材の性格を理解して、完全に自分のものにしない限り、なにも始まらないのです」

「単に操作を覚えて慣れるだけでなく、もっと、例えばレンズの性格とか癖、味わいと言ってもいいけど、そういうところまで知り尽くすことです」


 この部分などは、プロ・アマ関係なく写真を撮る全ての人に役立つと思う。
 実際にやるのはなかなか難しいけど、
「自分のものにしよう、知り尽くそう」
 と心がけるだけでも違うんじゃないかな。

 話題の一つになっている「細江英公・人間ロダン展」は私も見に行きました(感想はこちら
 彫刻の写真なのに、生々しい肉体が写っていたのが忘れられない。
 展覧会を準備中とのことで、見に行くのが楽しみです。

 三島由紀夫を撮影した写真集「薔薇刑」は東京都写真美術館の図書室で読めるよ〜
 これも好き。

追記:記事を書いた後で調べたら、現在「薔薇刑」展開催中でした!(詳細はこちら
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:16| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

東京国立近代美術館

 下の記事の「王国」展をやっている東京国立近代美術館は、明治〜昭和に制作された日本の美術作品を数多く所蔵しています。
 横山大観「生々流転」、高村光太郎「手」を見ると、近代美術館に来たな〜 という気持ちになる。
 あ、今回の常設展には展示されてません。ちょっぴり残念でした。
(常設展も展示替えがあるのです)

 この二作品などは自分の作風を確立しているから落ち着いて鑑賞出来るのだけど、西洋絵画のまねっこ過ぎて目を合わせるのがつらい、というような作品もけっこうある。
 昔は、
「もっと自分の描きたいことを描きなさいよーっ」
 とイライラした。

 でも、たとえば大学に入りたての時なんかに、
「友だちのA子ちゃんみたいに綺麗になりたい!」
 と化粧を始めてみたものの、上手に出来ずやたらと濃くなってしまい、
「水商売の人?」
 と言われてしまった……
 なんて経験、誰でもあるんじゃないかな。

 誰かに憧れて、まねして同じことをやってみて、失敗して、そこから学んで、少しずつ自分に合った方法を覚えていく。
 そういう繰り返しが人間を作ってゆく。

 近代美術館にあるまねっこ洋画も、画家たちが西洋絵画への憧れや劣等感をどう克服していったかの軌跡と思えば、勉強になるし、自分の若い頃と重ねて共感したりも出来る。

 芸術家が作風を獲得する過程と、普通の人が自分を確立する方法は、たぶん似ている。
 美術は日常とかけ離れたものではないのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:16| 美術 | 更新情報をチェックする

「奈良原一高 王国」展 感想

 東京・竹橋の国立近代美術館で開催中の「奈良原一高 王国」展に行って来ました(公式サイトはこちら
 「王国」は1958年に発表された写真作品です。

 二部構成になっており、第一部「沈黙の園」はトラピスト修道院で生活する男性たちを追ったもの。
 トラピストと言えばバターとクッキーしか知りませんでしたが、手作業と沈黙を重んじる宗派、とのこと。
 会話が許される条件が規則で決まっていて、誰とでもペラペラしゃべっちゃいけないみたい。

 同じ志を持った人たちと生活するのは楽しそう、とちょっと思ったけど、沈黙は無理だ。
 私の人生の9割は無駄口で出来ているからな……

 第二部「壁の中」は女性刑務所の内部を写したもの。
 場所が場所なので「沈黙の園」ほど顔は出て来ない。
 女たちの背中と、生きた痕跡。

 どちらも閉ざされた空間で、でも内部には「同じ境遇の、同じ性別の人間」が沢山いる。
 これは都会と全く反対の場所なのではないかと思った。
 都会の空間は開かれている(好きな時に好きな場所に行ける)
 しかし周囲にいる人々は、故郷も考え方もバラバラだ。
 「同じ境遇で、同じ性別の人間」を大勢集めるには大変な苦労をしなければならない。

 閉ざされ、外部と切り離され、あたかも孤独になったかのように見える人々に生じるつながり。
 開かれ、誰にでも会える人々は、いったい誰に会えるのか。

 写真というのは基本的に、外に広がっていくのが得意な表現方法だと思う。
 まず自分を撮るより他人や風景を撮る方がラクだから、自分以外のものを見つめるようになる。
 面白い被写体はないかと、外に出かけたり、旅に出たり。

 「王国」はそういう写真の性質を抑え、逆向きに力をかけるようにして、内にこもるものをとらえている。
 そこが意欲的で、作品から受ける印象の強さになっていると思う。
 一度見ると忘れられない。

 作品数はそう多くなく(一部二部合わせて90枚)じっくり見てもそれほど時間はかかりません。
 金曜の夕方に行ったら割と空いてました。

 別の展示室にある同じ作者の「人間の土地」もなかなか良いので見忘れないように!
 こちらも(「王国」ほど完全にではないけれど)閉ざされた人々の写真。
 このテーマに取り憑かれていたのね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:23| 美術 | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

芸術を求める理由

 現代美術を「分かる」というのはどういう状態を指すのだろう。

 たとえば緑色の線がグチャグチャっと描かれた絵があったとして、
「これは失恋の悲しみを表現したものである!」
 と言ったりするのが「分かる」だと思われているのではなかろうか。

 もし失恋の悲しみを伝えたいなら、
「〇〇さんのことが好きだったのに失恋してしまった。悲しかった」
 と言う方が手っ取り早い。

 緑色のグチャグチャが一体何を意味するのかなんて、誰にも分からないのではなかろうか。
 正確なところは作者でさえつかめないのかもしれない。
 そういう言葉に出来ない心のモヤモヤに形を与えるのが、現代美術なのではないか。

 言葉というのは便利なものだから、世の中の全てのことは文章で表現出来ると勘違いしがちだ。
 でも全然そんなことはない。
 言葉で表しきれないことは多くあるし、言葉での表現が苦手な人も少なくない。

 言葉は万能ではないし、絵や音楽も万能ではない。
 だから人間はいつも処理しきれないモヤモヤを抱えている。

 言葉や絵や音楽になった他人のモヤモヤに触れると、自分の中のモヤモヤに形が与えられ、ハッとしたりスッとしたりすることがある。
 そういう幸運に巡り合うために、私は芸術に会いに行く。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:30| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

林忠彦写真展―日本の作家109人の顔

 日比谷図書文化館で開催されていた、
「林忠彦写真展―日本の作家109人の顔」
 に行って来ました。

 小説家の写真がいっぱい。
 おそらく君もどこかで見たことがあるだろう、ゴミまみれの坂口安吾を。
 散乱した紙の中に蚊取り線香があって不安になる。

 織田作之助の写真を撮っていたら、太宰治が、
「織田作ばっかり撮ってないで俺も撮れよ!」
 と言ってきたという話が可愛かったなぁ。
 これを「可愛い」と思うか「ウザい」と思うかで太宰ファンになるかどうか決まる気がする。

 一番驚いたのは深沢七郎。
 姥捨山の話(楢山節考)を書いた人だから、社会派の学者みたいな人なんじゃないかと勝手に想像していたのだけど、全然違った。

 元はストリップ劇場で演奏していたギタリストで、異色の作家としてデビューした後、右翼に狙われるようなヤバい作品を書いて長いこと行方をくらまし、見つかった時には埼玉で農場をやっており、最終的には今川焼屋に。
 どんな人生だよ!
 メチャクチャ作品を読んでみたくなりました。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:24| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

安西水丸展

 銀座のクリエイションギャラリーG8で開催されていた安西水丸展に行って来ました。

 11/20が最終日だったので駆け込むように会場を目指したのですが、新橋駅で降りて、銀座に向かったはずが何故か築地に行ってしまい、雨が強くてざんざんだし、スカートも靴もびしょ濡れだし、クリエイションギャラリーG8は全く見つからず、もう諦めよう、いや、もうもう諦めよう、いやいや、と葛藤を繰り返し、そもそも見つかったとしてもこんな濡れネズミを中に入れてくれるのだろうか、追い返されたら悲しいけどやっぱり水丸さん(の作品)に会いたい! 絶対会いたいよ! だって死んじゃったんだもん、と無言で叫びながらどうにか辿り着きました。
 やれやれ。

 厳しいチェックもなく無事入れてホッ。
 雨なのにお客さんいっぱい!
 みんな水丸さんが大好きだったんだね。
 私も大好きだったよ。

 一番驚いたのが1991年の「中学生実力養成講座」というNHKのラジオ講座のテキスト。
 私これやってた! 持ってた!
 この表紙を描いたの、水丸さんだったんだ〜

 雑誌「ガロ」で連載していた「青の時代」という作品の原画と単行本が見られたのも良かった。
 いかにもガロらしい(つげ義春的な)雰囲気の自伝漫画。
 お嫁に行ってしまうお姉さんの思い出が甘く切ない。
 水丸さんは7人兄弟の末っ子で、お姉さんが5人もいたそう。

 「青の時代」を検索したら水丸さんのインタビュー記事が出て来た(これ
 私も下手なの気にせずに自分の小説の表紙くらい描いてみようかな。
 本文だって下手なんだし。
 「その子にしか描けない」もの、私にもありますように。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:05| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

「安西水丸 地球の細道」展

 「安西水丸 地球の細道」展、最終日(11/3)に駆け込んで来ました〜
 原画はさすがに印刷で見るより鮮やかで、行って良かったです。
 眼鏡や筆記具などの愛用品にもじ〜ん。

 スノードームのコレクションは水丸さんが作った訳じゃないのに、やっぱり水丸さんの世界。
 エッフェル塔の下で恋人たちが肩を寄せ合っていたり。
 水丸さんが選び、愛していたもの。

 会場で流れていたキュメンタリー映像も、勉強になったな〜
 アメリカ南部に行って三人のフォークアートの画家と会い、話を聞き、一緒に絵を描く。
 フォークアートというのは市井の人々が作る素朴な作品のこと。

 貧しい日々の中でも決して描くのを諦めなかった人たち。
 描くことで厳しい日々を乗り切った、と言った方が正確かもしれない。
 彼らの力強い線に怖気づき、挑み、共に楽しむ水丸さん。

「達者になってしまい、初心を忘れてしまうこと」
 を何より恐れ、それを避けるためにひたすら心を砕いていた。

 水丸さんに教えてもらった心意気を、私も大切にしようと思う。
 フォークアートの画家のように、日々の暮らしの中で文章を書き続けよう。
 上手いかどうかじゃなく、本当かどうかなんだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:40| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月04日

感謝

 ヨコハマトリエンナーレのラストショー、無事終わったようですね。
(公式サイトのこの記事より)
 見たかったなぁ〜

 森村さん。アーティストのみなさん。関係者のみなさん。
 素晴らしい展示をありがとうございました!!
posted by 柳屋文芸堂 at 01:28| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

ヨコハマトリエンナーレ2014

 楽しかったヨコハマトリエンナーレももう終わり……
 私は行けないのですが、最後に森村さんのパフォーマンスがあるそうですよ。

11/3開催 消滅のためのラストショー「Moe Nai Ko To Baを燃やす」 

「世界でただ1冊の本として制作された『Moe Nai Ko To Ba』(もえないことば)は、誰もが手に触れることができる作品として、ヨコハマトリエンナーレ2014に出展されました。この本を、小説『華氏451度』にちなみ、炎上される試みを実施いたします。
これは表現の自由を奪う焚書行為に対する抗議であり、また失われていくものすべてに対するレクイエムでもあります。
11月3日夕景に放たれる、ヨコトリ2014のラストをかざる炎のパフォーマンス。皆さまの最後のご来場、心よりお待ちしています。――森村泰昌」

日時:11月3日(月・祝)
第一部「最後の朗読」17:00〜18:00 横浜美術館 第3話展示室
第二部「消滅の海へ」18:30〜19:00 グランモール公園、美術の広場(横浜美術館前)

※第一部には展覧会チケットが必要です。
※当日『Moe Nai Ko To Ba』の閲覧は17:00までとなります。
※展覧会最終日は18:00まで開場します(入場は17:30まで)


(森村さんの公式サイトより引用)

 焚書に対する抗議なのに、何故燃やすのか。
 言葉は燃やしても燃えないからです。
 人々がちゃんと忘れずにいれば、何度だって言葉は組み立てられる。
 逆に忘れてしまったら、どれだけ本を大切に取っておいても、その内容は消えたのと同じこと。

 大好きな森村さんがディレクターを務めていた上に、「忘却」というテーマに強く共感して、今までで一番思い出深いヨコハマトリエンナーレになりました。
 関係者の皆様に深く感謝します。

 何度もしつこく記事を書きましたが、書き足りないことがまだあるので、ちょっとメモを残す。

☆メルヴィン・モティ「No Show」

 1940年代。
 戦争が始まると、エルミタージュ美術館は美術品を疎開させ、空っぽの額縁だらけになった。
 美術館員のグプチェフスキーは、片付けを手伝ってくれた兵士たちを連れて、館内を巡る。
 「そこに無い絵」を情熱的に紹介しながら。

 実話を元にした映像作品。
 と言ってもスクリーンで何かが動く訳ではないので、「音声だけの作品」と言った方が印象に近い。
 戦争によって消えた(疎開しただけなので失われた訳じゃないけれど)美術作品を、言葉の力によって人々に「見せる」という試み。

☆ジョゼフ・コーネル

 箱の中に、ビー玉、小さいグラス、木のビーズ、などが詰まっている。
 大人の心に住んでいる子どもが、ついつい集めてしまうもの。
 とにかく可愛い。
 この人の展覧会があったら絶対に行きたい。

☆奈良原一高

 修道院と刑務所の写真。
 この人の作品ももっとまとめて見てみたい。
 あと私は何故か「奈良高」と覚えていた。
 そんな妙な略し方しちゃダメだ……

☆釜ヶ崎芸術大学

 講義の一つとして紹介されていた「感情」という教科に興味を持った。
 メンズサポートルームの方が講師で、
「男性が家庭内で暴力(ドメスティックバイオレンス(DV))を振るわないで暮らす方法を学びます。
 自分の気持ちの豊かさに気づくこと、自分や相手を大切に思う感情の回復を目的にしています」

 とのこと。
公式サイトより引用)

 感情を、暴力ではない方法で発露すること。
 「表現」の現実的な効能。必要性。

 今回のヨコハマトリエンナーレで最も魅力を感じたのは、釜ヶ崎芸術大学だ。
「釜ヶ崎のおっちゃん的なものを、決して忘れてはいけない」
 と何度も心の中でつぶやいている。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:07| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

「ザハ・ハディド」展

 東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「ザハ・ハディド」展に行って来ました。
 工費や景観の問題でたびたびニュースでも取り上げられる、新国立競技場の設計者です。

 どんなにお金がかかっても、例えばタージ・マハル並みの観光資源になるならば、建てたって構わないと思う。
(タージ・マハルはインドの建築物で、世界遺産。
 Wikipediaによると、年間400万人の観光客が訪れるとのこと)

「その建物がどれだけ美しいか」
 がかなり重要なはずなのだ。
 それなのに、そういう話題はほとんど聞こえてこない。
 賛成・反対の態度を決める前に、ザハ・ハディドがどんなものを作る人なのか知っておきたかった。

 展示は、ちょっと不親切。
 説明文を細かく付けて欲しかったな〜
 原案と、実際の建築にどれくらい差が出たか、とか。
 新国立競技場の問題を考えるために重要でしょう。

 ドローイングや模型は数・種類ともに豊富で、彼女の美意識はしっかりと伝わってきました。
 曲線の使い方が絶妙。
 手塚治虫が描いた未来の世界みたい。

 全体が透明(たぶんガラス)のテーブルが、グロテスクで綺麗だったなぁ。
 板の厚みが不均等だから、光を通すと床に複雑な模様が映る。
 森の奥で出会ったら「ラスボス女王きのこ」って感じ。

 ザハ・ハディドの作品は確かに美しい。
 けれどもタージ・マハルになれるかは分からない。
 建てるのが大変そうだし、家具や内装、小さな建物くらいにしておくのが無難なのではないか。
 非常に垢抜けた印象があるので、服飾ブランドのビルなどには向いていると思う。

 借金まみれの国が税金投じて作るべきものかなぁ……
 ケチって中途半端にやるのが一番損する気がする。
 全力で美しくするか、地味で質素な案に変えるか。

 オリンピックまであと6年。
 心の中にあるものを現実世界に出現させようとすると、いかにダサくなるかをまざまざと見せられる予感。
 うーむ。
posted by 柳屋文芸堂 at 03:03| 美術 | 更新情報をチェックする