2015年01月18日

芸術を求める理由

 現代美術を「分かる」というのはどういう状態を指すのだろう。

 たとえば緑色の線がグチャグチャっと描かれた絵があったとして、
「これは失恋の悲しみを表現したものである!」
 と言ったりするのが「分かる」だと思われているのではなかろうか。

 もし失恋の悲しみを伝えたいなら、
「〇〇さんのことが好きだったのに失恋してしまった。悲しかった」
 と言う方が手っ取り早い。

 緑色のグチャグチャが一体何を意味するのかなんて、誰にも分からないのではなかろうか。
 正確なところは作者でさえつかめないのかもしれない。
 そういう言葉に出来ない心のモヤモヤに形を与えるのが、現代美術なのではないか。

 言葉というのは便利なものだから、世の中の全てのことは文章で表現出来ると勘違いしがちだ。
 でも全然そんなことはない。
 言葉で表しきれないことは多くあるし、言葉での表現が苦手な人も少なくない。

 言葉は万能ではないし、絵や音楽も万能ではない。
 だから人間はいつも処理しきれないモヤモヤを抱えている。

 言葉や絵や音楽になった他人のモヤモヤに触れると、自分の中のモヤモヤに形が与えられ、ハッとしたりスッとしたりすることがある。
 そういう幸運に巡り合うために、私は芸術に会いに行く。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:30| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

林忠彦写真展―日本の作家109人の顔

 日比谷図書文化館で開催されていた、
「林忠彦写真展―日本の作家109人の顔」
 に行って来ました。

 小説家の写真がいっぱい。
 おそらく君もどこかで見たことがあるだろう、ゴミまみれの坂口安吾を。
 散乱した紙の中に蚊取り線香があって不安になる。

 織田作之助の写真を撮っていたら、太宰治が、
「織田作ばっかり撮ってないで俺も撮れよ!」
 と言ってきたという話が可愛かったなぁ。
 これを「可愛い」と思うか「ウザい」と思うかで太宰ファンになるかどうか決まる気がする。

 一番驚いたのは深沢七郎。
 姥捨山の話(楢山節考)を書いた人だから、社会派の学者みたいな人なんじゃないかと勝手に想像していたのだけど、全然違った。

 元はストリップ劇場で演奏していたギタリストで、異色の作家としてデビューした後、右翼に狙われるようなヤバい作品を書いて長いこと行方をくらまし、見つかった時には埼玉で農場をやっており、最終的には今川焼屋に。
 どんな人生だよ!
 メチャクチャ作品を読んでみたくなりました。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:24| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

安西水丸展

 銀座のクリエイションギャラリーG8で開催されていた安西水丸展に行って来ました。

 11/20が最終日だったので駆け込むように会場を目指したのですが、新橋駅で降りて、銀座に向かったはずが何故か築地に行ってしまい、雨が強くてざんざんだし、スカートも靴もびしょ濡れだし、クリエイションギャラリーG8は全く見つからず、もう諦めよう、いや、もうもう諦めよう、いやいや、と葛藤を繰り返し、そもそも見つかったとしてもこんな濡れネズミを中に入れてくれるのだろうか、追い返されたら悲しいけどやっぱり水丸さん(の作品)に会いたい! 絶対会いたいよ! だって死んじゃったんだもん、と無言で叫びながらどうにか辿り着きました。
 やれやれ。

 厳しいチェックもなく無事入れてホッ。
 雨なのにお客さんいっぱい!
 みんな水丸さんが大好きだったんだね。
 私も大好きだったよ。

 一番驚いたのが1991年の「中学生実力養成講座」というNHKのラジオ講座のテキスト。
 私これやってた! 持ってた!
 この表紙を描いたの、水丸さんだったんだ〜

 雑誌「ガロ」で連載していた「青の時代」という作品の原画と単行本が見られたのも良かった。
 いかにもガロらしい(つげ義春的な)雰囲気の自伝漫画。
 お嫁に行ってしまうお姉さんの思い出が甘く切ない。
 水丸さんは7人兄弟の末っ子で、お姉さんが5人もいたそう。

 「青の時代」を検索したら水丸さんのインタビュー記事が出て来た(これ
 私も下手なの気にせずに自分の小説の表紙くらい描いてみようかな。
 本文だって下手なんだし。
 「その子にしか描けない」もの、私にもありますように。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:05| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

「安西水丸 地球の細道」展

 「安西水丸 地球の細道」展、最終日(11/3)に駆け込んで来ました〜
 原画はさすがに印刷で見るより鮮やかで、行って良かったです。
 眼鏡や筆記具などの愛用品にもじ〜ん。

 スノードームのコレクションは水丸さんが作った訳じゃないのに、やっぱり水丸さんの世界。
 エッフェル塔の下で恋人たちが肩を寄せ合っていたり。
 水丸さんが選び、愛していたもの。

 会場で流れていたキュメンタリー映像も、勉強になったな〜
 アメリカ南部に行って三人のフォークアートの画家と会い、話を聞き、一緒に絵を描く。
 フォークアートというのは市井の人々が作る素朴な作品のこと。

 貧しい日々の中でも決して描くのを諦めなかった人たち。
 描くことで厳しい日々を乗り切った、と言った方が正確かもしれない。
 彼らの力強い線に怖気づき、挑み、共に楽しむ水丸さん。

「達者になってしまい、初心を忘れてしまうこと」
 を何より恐れ、それを避けるためにひたすら心を砕いていた。

 水丸さんに教えてもらった心意気を、私も大切にしようと思う。
 フォークアートの画家のように、日々の暮らしの中で文章を書き続けよう。
 上手いかどうかじゃなく、本当かどうかなんだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:40| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月04日

感謝

 ヨコハマトリエンナーレのラストショー、無事終わったようですね。
(公式サイトのこの記事より)
 見たかったなぁ〜

 森村さん。アーティストのみなさん。関係者のみなさん。
 素晴らしい展示をありがとうございました!!
posted by 柳屋文芸堂 at 01:28| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

ヨコハマトリエンナーレ2014

 楽しかったヨコハマトリエンナーレももう終わり……
 私は行けないのですが、最後に森村さんのパフォーマンスがあるそうですよ。

11/3開催 消滅のためのラストショー「Moe Nai Ko To Baを燃やす」 

「世界でただ1冊の本として制作された『Moe Nai Ko To Ba』(もえないことば)は、誰もが手に触れることができる作品として、ヨコハマトリエンナーレ2014に出展されました。この本を、小説『華氏451度』にちなみ、炎上される試みを実施いたします。
これは表現の自由を奪う焚書行為に対する抗議であり、また失われていくものすべてに対するレクイエムでもあります。
11月3日夕景に放たれる、ヨコトリ2014のラストをかざる炎のパフォーマンス。皆さまの最後のご来場、心よりお待ちしています。――森村泰昌」

日時:11月3日(月・祝)
第一部「最後の朗読」17:00〜18:00 横浜美術館 第3話展示室
第二部「消滅の海へ」18:30〜19:00 グランモール公園、美術の広場(横浜美術館前)

※第一部には展覧会チケットが必要です。
※当日『Moe Nai Ko To Ba』の閲覧は17:00までとなります。
※展覧会最終日は18:00まで開場します(入場は17:30まで)


(森村さんの公式サイトより引用)

 焚書に対する抗議なのに、何故燃やすのか。
 言葉は燃やしても燃えないからです。
 人々がちゃんと忘れずにいれば、何度だって言葉は組み立てられる。
 逆に忘れてしまったら、どれだけ本を大切に取っておいても、その内容は消えたのと同じこと。

 大好きな森村さんがディレクターを務めていた上に、「忘却」というテーマに強く共感して、今までで一番思い出深いヨコハマトリエンナーレになりました。
 関係者の皆様に深く感謝します。

 何度もしつこく記事を書きましたが、書き足りないことがまだあるので、ちょっとメモを残す。

☆メルヴィン・モティ「No Show」

 1940年代。
 戦争が始まると、エルミタージュ美術館は美術品を疎開させ、空っぽの額縁だらけになった。
 美術館員のグプチェフスキーは、片付けを手伝ってくれた兵士たちを連れて、館内を巡る。
 「そこに無い絵」を情熱的に紹介しながら。

 実話を元にした映像作品。
 と言ってもスクリーンで何かが動く訳ではないので、「音声だけの作品」と言った方が印象に近い。
 戦争によって消えた(疎開しただけなので失われた訳じゃないけれど)美術作品を、言葉の力によって人々に「見せる」という試み。

☆ジョゼフ・コーネル

 箱の中に、ビー玉、小さいグラス、木のビーズ、などが詰まっている。
 大人の心に住んでいる子どもが、ついつい集めてしまうもの。
 とにかく可愛い。
 この人の展覧会があったら絶対に行きたい。

☆奈良原一高

 修道院と刑務所の写真。
 この人の作品ももっとまとめて見てみたい。
 あと私は何故か「奈良高」と覚えていた。
 そんな妙な略し方しちゃダメだ……

☆釜ヶ崎芸術大学

 講義の一つとして紹介されていた「感情」という教科に興味を持った。
 メンズサポートルームの方が講師で、
「男性が家庭内で暴力(ドメスティックバイオレンス(DV))を振るわないで暮らす方法を学びます。
 自分の気持ちの豊かさに気づくこと、自分や相手を大切に思う感情の回復を目的にしています」

 とのこと。
公式サイトより引用)

 感情を、暴力ではない方法で発露すること。
 「表現」の現実的な効能。必要性。

 今回のヨコハマトリエンナーレで最も魅力を感じたのは、釜ヶ崎芸術大学だ。
「釜ヶ崎のおっちゃん的なものを、決して忘れてはいけない」
 と何度も心の中でつぶやいている。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:07| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

「ザハ・ハディド」展

 東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「ザハ・ハディド」展に行って来ました。
 工費や景観の問題でたびたびニュースでも取り上げられる、新国立競技場の設計者です。

 どんなにお金がかかっても、例えばタージ・マハル並みの観光資源になるならば、建てたって構わないと思う。
(タージ・マハルはインドの建築物で、世界遺産。
 Wikipediaによると、年間400万人の観光客が訪れるとのこと)

「その建物がどれだけ美しいか」
 がかなり重要なはずなのだ。
 それなのに、そういう話題はほとんど聞こえてこない。
 賛成・反対の態度を決める前に、ザハ・ハディドがどんなものを作る人なのか知っておきたかった。

 展示は、ちょっと不親切。
 説明文を細かく付けて欲しかったな〜
 原案と、実際の建築にどれくらい差が出たか、とか。
 新国立競技場の問題を考えるために重要でしょう。

 ドローイングや模型は数・種類ともに豊富で、彼女の美意識はしっかりと伝わってきました。
 曲線の使い方が絶妙。
 手塚治虫が描いた未来の世界みたい。

 全体が透明(たぶんガラス)のテーブルが、グロテスクで綺麗だったなぁ。
 板の厚みが不均等だから、光を通すと床に複雑な模様が映る。
 森の奥で出会ったら「ラスボス女王きのこ」って感じ。

 ザハ・ハディドの作品は確かに美しい。
 けれどもタージ・マハルになれるかは分からない。
 建てるのが大変そうだし、家具や内装、小さな建物くらいにしておくのが無難なのではないか。
 非常に垢抜けた印象があるので、服飾ブランドのビルなどには向いていると思う。

 借金まみれの国が税金投じて作るべきものかなぁ……
 ケチって中途半端にやるのが一番損する気がする。
 全力で美しくするか、地味で質素な案に変えるか。

 オリンピックまであと6年。
 心の中にあるものを現実世界に出現させようとすると、いかにダサくなるかをまざまざと見せられる予感。
 うーむ。
posted by 柳屋文芸堂 at 03:03| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年10月11日

石内都「絹の夢」

 石内都の作品が出展されているというので、BankART Studio NYKで開催中の「東アジアの夢」という展示に行って来た…… が!
 石内都は無料で見られる屋外展示だった。

 入場料を払って、小冊子になっているパスポートをもらい、それを読んでから気付いた。
 遅いよ!
 まあBankART内の展示も見たかったから良いんだけどさ。

 旧帝蚕倉庫という横浜らしい古い建物のところに、大きな写真が10枚。
 「絹の夢」というタイトルで、糸や布や機械が写っている。

 この人の作品、ほんと好き。
 物なのに、物じゃないみたい。
 でも生々しかったりグロテスクだったりする訳じゃない。

 満足のゆく人生を送り、小さく微笑んで横たわる美しい女性の死体のような雰囲気。
 とても静か。
「成仏している」
 という言葉が浮かぶ。

 女性を思い浮かべたのは、染められてない生糸の写真があったからかもしれない。
 つやつや輝いて上品な、空想上の白髪。
 繭は指先のよう。

 場所はみなとみらい線の馬車道駅を出てすぐ。
 無料なので、ぜひ多くの人に見てもらいたいです。
 このあたりは建築物を眺めてまわるだけでも楽しいよね〜♪
posted by 柳屋文芸堂 at 00:30| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年10月03日

イメージメーカー展

(10:25頃に加筆しました)

 東京ミッドタウンの敷地内にある「21_21 DESIGN SIGHT」で開催中の「イメージメーカー展」に行って来ました(10月5日まで)

 一番の目的は、レディ・ガガも愛用しているという「ヒールレスシューズ」を制作している舘鼻則孝の展示を見ること。
 大学で日本の伝統的なファッション(着物や下駄など)のことを学んでから、西洋のファッションに進んだというのに興味を持ったのです。
「これ、履けるの?」
 と聞きたくなるような靴や高下駄がいっぱいあって面白かった。

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↑螺鈿。こんなシャープな使い方も出来るのね。

 会場に来るまで全く知らなかったのに、夢中になってしまったのが、ジャン=ポール・グード。
 フランスで広告デザインなど多彩な活躍をされている方で、日本で言うなら佐藤雅彦みたいな感じ?
 (全く方向性が違うけど)

 パリの地下鉄の駅構内を映し出し、広告ポスターが貼られた空間を見せる動画作品など、
「洒落てるなぁ〜!」
 と引き込まれるように見ていったら、特別に力のある作品が。

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 彼女の他に、全然違うタイプの女性がもう二人並んでいて、それぞれにドローイングが付いている。
このページの二番目の写真に写ってます)
 粋とか格好良いとか、そういう感触を含みつつ、それを超えるものがある。

 これはいったい何だ、と思ったら、全員ジャン=ポール・グードの奥さん(恋人?)だった人らしい。
 中国嫁日記みたいなものですな。
 愛する人を表現すると、強い。

 しかし、三人並べちゃって良いんだ……
 女性側がどう思っているかは不明だけど、ジャン=ポール・グード自身は「全員大好き!」って感じ。

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 これは今の奥さんの写真の下に展示されているドローイング。
 可愛い〜

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 これは立体作品。ずっと動いてます。
 人形がくるくる回ったり、大人のための遊園地といった風情です。

 ジャン=ポール・グード展があればぜひ行ってみたい。
 彼を知ることが出来て良かった。

 ヒールレスシューズの体験コーナーがあったのに、勇気が出なくて履けなかったのが心残り。
 私でもちゃんと歩けるのかな……
posted by 柳屋文芸堂 at 02:22| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

博物館で美を味わう

 大阪旅行、何か書き忘れたことあったかな〜 とメモを見てみたら、

「芸術家が作るから芸術なんじゃない。
 誰が作ろうとそこに力さえ感じられたら芸術なんだ」

 という叫びが。
 民族学博物館でオセアニアの仮面を見た時に書いたもの。

「惹きつける力が強過ぎて展示室から出られない」

 とも。

 博物館というのは「美しいものを見る場所」というより「文化を学ぶ場所」だと思うのだけど、民族学博物館は視線の動かし方によって美術館としても十分楽しめる。
 何しろ展示品が多いから、色んな見方が出来るのだ。

 有名でもなんでもない「誰か」の作品。
 人々の暮らしと祈りの中から生まれた美。
 その魔力。

 遠い国のものなのに、自分の中にもあるような気がした。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:38| 美術 | 更新情報をチェックする