2014年09月28日

博物館で美を味わう

 大阪旅行、何か書き忘れたことあったかな〜 とメモを見てみたら、

「芸術家が作るから芸術なんじゃない。
 誰が作ろうとそこに力さえ感じられたら芸術なんだ」

 という叫びが。
 民族学博物館でオセアニアの仮面を見た時に書いたもの。

「惹きつける力が強過ぎて展示室から出られない」

 とも。

 博物館というのは「美しいものを見る場所」というより「文化を学ぶ場所」だと思うのだけど、民族学博物館は視線の動かし方によって美術館としても十分楽しめる。
 何しろ展示品が多いから、色んな見方が出来るのだ。

 有名でもなんでもない「誰か」の作品。
 人々の暮らしと祈りの中から生まれた美。
 その魔力。

 遠い国のものなのに、自分の中にもあるような気がした。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:38| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

草月と現代美術と私

 私の母親はいけばなの先生をしていた。
 と言ってもそれで食べていた訳ではなくて、頼まれたら教えに行く、という程度。
 流派は草月。

 もちろん師範の資格を持っており、月に一回、自分が習っている先生とは別に、初代家元の勅使河原蒼風のところにも指導を受けに行っていたらしい。
 なかなか熱心だった訳です。

 当時、草月はいけばなの流派の中で最も前衛芸術に近く、
「鉄を使ったオブジェも作れるように」
 と溶接まで教わったという。
「みんなでキャーキャー言いながらやったわ!」
 何だか楽しそう。

 私はいけばな自体は習わなかったのだけど、母のいけた花や、作品集になっている草月のカレンダーを毎日見て育った。

 私が美術鑑賞をするようになったのは、母のいけばなとは何の関係もない。
 大学時代に物理の数式と小説の言葉(どちらも「記号」だ)に疲れてしまって、何となく見始めた。
 美術は記号を処理するのとは違う脳の場所を刺激してくれるんじゃないかと思ったのだ。
 それが医学的に正しいのかは分からないが、とにかく私の疲れは取れた。

 せっかくなら色んな美術作品を見たいと思い、ジャンルは決めなかった。
 絵画、彫刻、西洋美術、日本美術、古いの、新しいの……

 そして現在、どのジャンルが一番好きかというと、現代美術だ。
「読んでる人、飽きてるだろうな……」
 と申し訳なく思いつつ、ヨコハマトリエンナーレの記事を書きまくっているのはそのせい。

 現代美術というものに対して身構え、難しく解釈する人を見ると不思議な気持ちになる。
 どうして雲を見るのと同じように見ないのだろう。

 でもそれはもしかしたら、私の家に草月の作品があふれていたからそう思うのかもしれない。
 どれだけ奇抜な形状をしていても、私には「馴染み」なのだ。

「芸術について理解しなさい」
 なんてことを一言も言わずに私を芸術オタクにしてしまった母は本当にすごいと思うし、自由に生きているつもりでいて、実際は母の敷いたレールの上を進んでいるだけかもしれない自分を少々情けなく思う。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:18| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

ヨコハマトリエンナーレ2014(外・ハンマーヘッドクレーン)

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 ヨコハマトリエンナーレは外も面白い。
 新港ピアの会場を全部見て、入り口と反対側の扉を出ると、この建造物がある。
 私は最初、何だか分からず、Dちゃんに写真を見せた。

私「これが何か分かる?」
D「船から荷物を下ろすためのクレーンでしょ」

 調べてみたら、本当にそうだった。

私「Dちゃんすごいねぇ。私は展望台かと思ったよ」
D「バランス悪過ぎ!!」
私「小屋みたいなのが付いてるからさ、ここに入って『おっとっとー』とか言いながら横浜の風景を楽しむのかと」

 これは「ハンマーヘッド」と呼ばれる貴重なクレーンで、国内には3基しか残っていないらしい。
 建造してちょうど100年とのこと(この読売新聞の記事より)

 現代美術を見た後に街へ出ると、全ての物が「作品」に見える。
 いや、全ての物は元々「作品」なのだ。
 ふだんは意識しないその事実が、改めて迫ってくる。

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posted by 柳屋文芸堂 at 23:47| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

ヨコハマトリエンナーレ2014(土田ヒロミ)

 原爆被害者たちのその後を追った写真作品。

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土田ヒロミ「ヒロシマ1945-1979 / 2005」より(一部)

 1970年代に撮影した写真と、2005年に撮影した写真が並んでいる。
 写真の下には子どもの頃の原爆体験の作文と、2005年の状況や気持ちが書かれている。

 原爆の悲惨さより、それでも続いてゆく日常の方が強く浮かび上がる作品だった。
 上の写真は本当に微笑ましくて、かなり長い時間眺めていた。
 二人で商売をし、二人で歳を重ねる幸せ。

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土田ヒロミ「ヒロシマ1945-1979 / 2005」より(一部)

 写真の下には、
「かろうじて生き残った私たちの使命は、亡くなられた多くの方々の分も生き続けなければならないのだと考えています」
 という言葉。
 全力で人生を楽しみ、心と身体を大切にしているのが両方の写真から伝わってくる。

 人だけではなく、1979年・1993年・2009年に撮影した広島の木の写真もあった。
 ブロッコリー型の普通の木が、でかくなり、葉が増えてもっさもさになる。

 つい人は「大事件のあった一点」だけに注目し、それ以外を忘れてしまう。
 しかし人生は次々に変化していく「線」であり、そちらの方が断然大きいのだ。

 彼らの昨日やおとといが、私の明日やあさってを指し示す。
 力付けられる展示だった。 

※こちらに載せたのは写真を撮影した写真です。歪みやてかりが入ってしまっています。お許しを。

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2014年08月27日

ヨコハマトリエンナーレ2014(キム・ヨンイク)

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キム・ヨンイク「無題:「若手作家」展(1981年)に捧ぐ」

 当時、キム・ヨンイクの作品は高い評価を得たが、その評価がブランド化につながるのに抗い、作品を封印した。
 この箱に。

 作家の真意とは無関係に、広々とした所にダンボール箱が重ねて置いてあると、同人誌即売会が始まる前みたいでワクワクする。
 終わった後の切ない満足感、の方が近いか。

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posted by 柳屋文芸堂 at 01:19| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

ヨコハマトリエンナーレ2014(出品作家のエスキース)

 ヨコハマトリエンナーレを隅々まで食い尽くすつもりでいる。
 8月に入って4度目の横浜。
 はるばる埼玉から通っております。

 今日行って来たのはメイン会場ではなくて、横浜島屋7階の美術画廊。
 連携プログラムとして開催されている、
「'ヨコトリ'ノーツ ヨコハマトリエンナーレ2014出品作家のエスキース」
 エスキースとは「作品制作過程の下絵やデッサンのこと」だそうです。
(公式サイトの紹介文はこちら 画廊のブログはこちら

 タイトルだけ見ても何が展示されているのか分からず、
「メイン会場の展示の企画書みたいなのが並んでいるのかな?」
 と思っていたら、全然違った。
「ヨコハマトリエンナーレ2014に参加している作家の、販売可能な作品」
 という説明が一番近いかな……(非売品もあり)

 いつも美術館で美術を見ているので、作品に値段がついていると不思議な感じがする。
 作品のそばに表示はなく、冊子を見ると価格が分かる仕組みでしたが。

 坂上チユキの作品も買えちゃうんだよね。
 数十万でも数百万でもなく、数万円で。
 「ついカッとなって」クレジットカードを出しそうになったけど、我慢した。
 うー でも欲しいなー

 夢の中で深い海にもぐり目をつぶったら、まぶたの裏にチカチカと浮かんできそうな図形。
 見飽きない美しさ。ほっとする優しい色彩。

 誰か私の代わりに買って。
 絶対値上がりすると思う(保証はしません)

 美術館も購入金額をでかでかと表示してピカソ展でもやってみたらどうかしら。
 集中力が増すかもしれない。
 価格しか見なくなるかもしれない。

 売り場の女性と話しているうちについ情熱がほとばしり、現代美術について演説をぶってしまった。
 本当に自分の暑苦しさをどうにかしたい。
 数万円の作品も買えないくせにっ

 さんざんおしゃべりした挙句、
「お金持ちになったらまた来ます!」
 とその場を後にしたのであった。
 下の食品売り場で夕飯の材料を買って帰ったので許してください。

 ここの展示は短くて、8月26日(火)まで。
 入場無料。最終日は午後4時閉場。
 ヨコハマトリエンナーレの雰囲気を感じたい方はぜひどうぞ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:44| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

ヨコハマトリエンナーレ2014(しりあがり寿)

 今日はヨコハマトリエンナーレのもう一つの会場である新港ピアに行ってきました。
 そっちの作品の話は長くなるので後にして……

 新港ピアに行くために、横浜美術館から無料バスに乗りました。
 その時に再びマイケル・ランディ「アート・ビン」(芸術のゴミ箱)を見たのですが、

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 わーっ! しりあがり寿の絵が!!

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↑このコマが好き。コマじゃないか。

 他には……

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 誰だよ、これ捨てたの。
 紙飛行機が散りばめられて良い雰囲気です。

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posted by 柳屋文芸堂 at 23:55| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月12日

ヨコハマトリエンナーレ2014(上田假奈代と森村泰昌の対談)

 横浜美術館で開催された対談イベントに行ってきました。
 上田假奈代さんは詩人で、釜ヶ崎芸術大学を始めた人。
(釜ヶ崎芸術大学の展示に対する私の感想記事はこちら
 森村泰昌さんは美術家で、ヨコハマトリエンナーレ2014のディレクターです。

 「釜ヶ崎」と聞いて「?」となる人も(私もそうでした)
 「あいりん地区」と言えば「ああ」とうなずくと思う。
 この二つの言葉はほぼ同じ地域を指すらしい。

 百戦錬磨の手ごわいおっちゃんたちと一緒に活動する大変さと、面白さ。
 森村泰昌さんは釜ヶ崎の人たちに協力してもらって制作した映像作品を、釜ヶ崎で上映したことがあるそうなのですが、上映直後、
「わけのわからん芸術よりイモ掘り」
 と話題を転換されたとのこと。

 遠慮や分かったふりなんてしないのだ。
 そんな彼らが、例えば創作狂言を演じたりすると、芸術の本質が見えてくる。

 アルコール中毒で死にかけて禁酒させられている人が、舞台の上で酒を飲む演技をする。
「普段やってはいけないことをフィクションの中で行う」
 ということ。

 そうすることで現実の方が変わってゆく。
 その人は禁酒を続け(舞台では架空の酒を飲み)音信不通だった家族と連絡を取り始めた。

 芸術は人を変える。
 芸術はおっちゃんを変えるし、おっちゃんは芸術家を変える。

 芸術をプロの芸術家だけのものにしないで、多くの人が利用出来るものにした方が良いのだろう。
 芸術にとっても、プロの芸術家にとっても、その他全ての人にとっても、その方が幸福なのだ。

 芸術とは何か、と尋ねた質問者に対して、上田假奈代さんは、
「『問い』です」
 と答えていた。

 私は問うより答えてしまうことが多いなぁ、と反省しました。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:48| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

ヨコハマトリエンナーレ2014(大谷芳久コレクション)

 ヨコハマトリエンナーレは美術展ですが、文学館のような展示もありました。
 第二次世界大戦中さかんに出版され、その後「なかったこと」にされた、日本讃美・戦争讃美の詩や文章です。
 高村光太郎や北原白秋など、相当有名な人たちの作品がそろってます。
 現代美術画廊「かんらん舎」のオーナー、大谷芳久の書籍コレクション。

 「日本(自国)讃美」と「戦争讃美」は深く結びついている。
 自分の国はすごい! 他の国はダメだ!
 自分の国は強い! どこと戦っても勝てる!
 戦争しよう! ……ってなるから。

 単純化し過ぎだろ、って思うかもしれないけど、人間はけっこう簡単に根拠のない自己愛に酔ってしまうものだ。
 あなたはすごい! と言われたら嬉しくなるのと同じように、
 日本はすごい! と言われたら日本人は嬉しくなる。
 日本はすごい! 日本はすごい! と日本人同士が言い合う内に自己愛は強化され、少数の冷静な人たちには止められないほど大きな力になる。

 作家たちがどんな事情で日本を讃美することになったのかは分からない。
 強制されたのかもしれない。
 それ以外出版出来なかったのかもしれない。
 心の底から日本はすごいと思っていたのかもしれない。

 ただ、確実に言えることがある。
 文章を書くのは孤独な作業で、読者の反応なしに続けるのはなかなかキツい。
 作家は時に、自分の書きたいことより「読者が喜んでくれること」を優先してしまう。

 頭の良い、物知りな作家先生が褒めているのだから、日本は本当にすごいのだろう。
 大衆が喜んでくれるから、もっともっと日本を褒めよう。
 作家先生が褒めているのだから……
 大衆が喜んでくれるから……

 日本を褒めるな、と言いたい訳じゃない。
 「根拠のない自己愛」が恐ろしいのだ。
 日本文化を深く理解し、日本の良い所も悪い所も客観的に見て欲しい。

 一つの文化を本当に理解することが出来たら、他の文化をむやみに貶したり出来なくなるはず。
 それぞれ形は違っていても、全ての文化に人間の営みがつまっているのだから。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:39| 美術 | 更新情報をチェックする

2014年08月08日

ヨコハマトリエンナーレ2014(飛ばねばよかった)

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福岡道雄「飛ばねばよかった」

 タイトルが良いよね〜
「〇〇しなければよかった」
 って毎日のように使う。
 でもやっぱりやらなくてもいいことをやっちゃって、
「△△しなければよかった」
 とつぶやくのであった。

 余計なことなんてやらなければ良いのに。
 しかし「余計じゃないこと」って何だろう。
 我々は「余計なこと」と「余計じゃないこと」の区別もつけられないまま、色んな余計をやらかし続ける。

 懲りずに何度でも飛ぶのだ。
「飛ばねばよかった」
 と後悔しながら。

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posted by 柳屋文芸堂 at 03:00| 美術 | 更新情報をチェックする