2015年11月28日

映画「氷の花火〜山口小夜子」感想

 ファッションモデル、山口小夜子のドキュメンタリー。
 小夜子さんの映像はどれも、美し過ぎて涙が出るほど美しかった。
 美人、というと顔の造りの問題のように思いやすいけれど、目鼻の形以上にその人の「振る舞い方」が重要なのではないか。
 
 歌舞伎舞踊の上手い踊り手は、着物のすそやたもとの先まで神経が通っているかのような動き方をする。
 自分が踊るのと同時に、着物(布)も踊らせるのだ。

 小夜子さんは洋服でそれをやる。
 着物と違って洋服はそれぞれ形が違うから、毎回やり方を考えていたのだろう。
 服というのは着る人の工夫によって、こんなにも活き活きしたものになるのか。
 綺麗な人が綺麗な服を着ている、というのを遥かに超えて、全身を使って服を舞わせる芸術のようだ。

 美しく振る舞える人の顔を、美しく感じるのかもしれない。
 表情というのも振る舞いの一つなのかもしれない。
 とにかく「美しく生まれたから美しい」というだけではない。
 そこには「美とは何か」という探求があり、美に近付くための努力がある。

 私にとってはただただ憧れるだけの存在である「美女」の本質を垣間見られた。
 服を着こなす大切さも。

 もっと彼女の映像が見たいなぁ……
 写真ももちろん素敵です。
 それは「振る舞い」を瞬間的に凍らせたものだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:27| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

反劇的

 この数年、ドキュメンタリー映画を見に行くことが増えた。
 事実だから、ではなく、劇的じゃないところが好きなんだよね。
 展開が地味で、坦々かつ淡々と進んでいくのを見ていると、心が落ち着く。

「人を楽しませるものはドラマチックじゃなきゃいけない」
 と思いがち。

 でも私は、
「わざわざ心を揺り動かさなくても実のある話」
 を求めている気がする。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 02:08| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

映画「ハーモニー」感想

 10代の自分が今の(30代の)私を見たら、きっとガッカリするだろうなと思う。
 若い頃の自分をガッカリさせない大人になれる人って、どれくらいいるのだろう。

 「ハーモニー」のトァンとミァハは、少女の頃の思いをそのままの形で持ち続けている大人として描かれている。
 そんな女の人、現実にはいない。
 それこそ彼女たちが企んだように、大人になる前に時を止めて(つまり死んで)しまわない限り、残酷な時の流れによって、人は必ず別の何かに変化してしまう。
 けれども現実にいないからこそ、スクリーンにだけ現れる幻影として美しかった。

 「百合っぽい」じゃなく「完全に百合」です。
 トァンの寂しさがミァハを引き寄せるようで、そうなるのは自然に感じた。

 「ハーモニー」の原作はかなり観念的な小説で、これどうやって映像化するんだろう、と思っていたら、かなり観念的な映画になっていた。
 私はすごく満足したけど、他の人はどう思うかな、あれ。
 好みが分かれるかもしれない。

 色彩が原作から受けるイメージ通りだったのが嬉しかった。
 都市全体が病院になってしまったような世界。

 主題歌の「Ghost of a smile」も好き。
 女の人の声で歌われる「僕」という歌詞が、少女の時間を思わせる。

 ミァハと同じように紙の本を愛する私は、
「映画で興味を持って原作を読む人が増えますように」
 と祈っています。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:39| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年10月23日

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」感想

 生前には作品を発表せず、死後注目されることとなった「ヴィヴィアン・マイヤー」という女性写真家の生涯に迫るドキュメンタリー。

 写真って本当に面白い。
 一目見ただけで、撮影者が世界から何を見つけ出そうとしているか、すぐに分かるから。

 ヴィヴィアン・マイヤーが見つけたかったのは、人間の本性だと思う。
 人々の隙を狙って写真を撮ることで、表面には滅多に浮き上がってこない「何か」を暴き出そうとした。
 そのことに取り憑かれていたように感じる。

 これほど強い欲望を持ちながら「普通の人」として生きるのはさぞ大変だったろうな…… と泣けた。
 ずっと乳母として働いていたらしい。
 こんな変人に子供を預けちゃうなんて、アメリカ人、ちょっと雑なんじゃないか。

 ヴィヴィアン・マイヤーの写真展もやって欲しいなぁ。
 プリントしたものをじっくり鑑賞したい。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 02:59| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

男の子たちがイチャイチャすれば喜ぶと思うなよ

 腐女子(男と男の恋愛物語を好む女)というものが存在する、ということが世の中に知られるようになってから、妙に男と男がイチャイチャする話が増えた気がする。
 いや、昔からそういうのはあるのだけど(「トーマの心臓」「風と木の詩」がすぐに思い浮かぶ)どうしても描きたかったから、ではなく、売れるために男と男の恋愛要素を入れたんじゃないの? って疑いたくなるようなのが。

 他の腐女子のみなさんはそういうのも楽しんでいるんですかね?
 私は、
「何か違う〜」
 って感じちゃうのだけど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:57| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

映画「屍者の帝国」感想

 見てきましたよ〜

 死者が労働者として働いている様子がリアルに映像化されているのは、斬新で良かった。
 都会でも田舎でも、土気色の顔の死体たちがヨレヨレとした動きで労働を担っている。
 死者の兵隊どうしが戦う戦争とか、機械対機械になっていくであろう今後の戦争のことも思わせて、その不毛さがよく出ていた。

 そういう細部は面白かったんだけど、物語がなー
 クライマックスに近付けば近付くほど、
「どこかで見たよね、こういう場面」
 っていうのが増えていってしまって……

 まあ、美少年が酷い目に遭うのは興奮するよね!
 でも、それも含めて「何回目だろう」って気がしちゃってなぁ。

 すれっからしオタクおばさんが見る映画ではないのかもしれない。
 中学生の女の子が、
「意味分かんないけどドキドキする!」
 っていうのが一番正しい楽しみ方、かな?
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:07| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

「フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように」裏ヴァージョン

 少し前に感想を書いた「フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように」という映画。
 メキシコが舞台なのだけど、食事をする場面がほとんどなかった。
「石内さん、何食べたのかな?」
 と思っていたら、ほぼ日刊イトイ新聞のインタビュー記事(これ)の中に書いてあった!

 私、もうね、すっごく気に入っちゃって、
 毎日毎日、飽きずに食べてたの。

 トルティーヤでも、タコスでも、
 きゅうりのジュースでも、
 「モーレ」とかっていうソースのかかった
 鶏肉料理でも、お米のスープでも、
 なんでもかんでも、本当においしくって。


 疲れも見せずに撮影されていたのはそういうわけか、と。
「石内都とメキシコ料理」
 に注目して編集したら、全然違う映画になったんでしょうね。
 それはそれで楽しそうだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:34| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年08月18日

映画「フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように」感想

 メキシコの画家「フリーダ・カーロ」の遺品を、
 日本の写真家「石内都」が撮影する様子を追ったドキュメンタリー。
 私はどちらも大好きなので、ワクワクして行ってきました!

 石内都さんはもともとそんなにフリーダ・カーロに興味があったわけではないそうで、フリーダ・カーロ財団の依頼を受けたから撮りに行っただけ。
 そのクールさが根底にあるため、非常に静かで落ち着いた雰囲気の映画になっています。

 しかしそれで起伏がなくて退屈かというと、全くそんなことはない。
 フリーダ・カーロは若い頃に大怪我をしたり、恋愛沙汰を繰り返したり、画風も人生そのままに過激だったりと、とにかく何かと過剰な人。
 それゆえファンも熱狂的で、彼らのフリーダへの思いが熱い読点のようにあちこちに打たれている。

 一方で石内都さんはそんなファンや遺品を管理している博物館の人たちに影響を受けることもなく、坦々と遺品を撮影し、彼女だけのフリーダ・カーロ像を見つけてゆく。
 「波瀾万丈な女性画家」という分かりやすい枠を取っ払い、不自由な体をコルセットや靴やドレスで補いながら、日々を丁寧に生きていたであろう、ごく普通の女性としてのフリーダを。

 もう一つ、突然の夕立のような展開があります。
 これはネタバレになるので言えない。

 フリーダ・カーロが愛したテワナという民族衣装についても、かなり時間を割いている。
 地元の女性たちが細かい花の刺繍をする様子や、テワナを着て踊る場面なども。

 フリーダ・カーロだけでなく、幼い頃から針一本で生きてきた無名のおばちゃんだって、十分波瀾万丈なのだ。
 女という弱い立場に置かれた無数の人間たちの、力強い生命。

 「ひろしま―石内都・遺されたものたち」という映画を見た時にも思ったけれど、石内さんは色眼鏡(先入観にとらわれた物の見方)というものを、根本的かつ徹底的に嫌悪しているんじゃないかと思う。
 自分の目(レンズ)で見て、自分で感じて、自分で決める。
 彼女の行動や作品から、我々の世界にはどれほど色眼鏡があふれ返っているかを思い知る。

 全国で公開されるそうなので、美術・写真・メキシコ・民族衣装あたりに興味のある方はぜひどうぞ。
 公式サイトはこちらです。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:08| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」感想

 昨日満員で入れなかった映画はこれです。
 午前中開始の回に行ったら席を確保出来て、ホッとしました。

 キューバのミュージシャンたちの音楽と人生を追ったドキュメンタリー。
 1999年に公開されたもののリバイバル上映。
 私は今回初めて見ました。

 最初からずっと泣きっぱなしで、最後は号泣。
 悲しい話ではないのだけど、音楽とミュージシャンたちのたたずまいが素晴らしくて、極度に感動した状態が最初から最後まで続いたのだと思う。
 もう、心をぐわんぐわん打たれた。

 音楽に込める感情(愛情やユーモア)
 それを表現するための技術
 力強い演奏をするための体
 そんな心・技・体を、全員が恐ろしく高いレベルで持っていて、息がピタリと合っている。
 複雑なリズムのやり取りを、まるで日常会話のようにすいすい交わしてゆく。

 中でも最も気に入ったのは、ボーカルのイブライム・フェレール。
 会話の最中、すごく自然に歌を歌い出す。
 まるで体に歌が詰まっていて、フタを開けた途端、ふわっとあふれてしまうみたいに。
 こういう人こそが本物の歌手だ。

 後半、彼らは「忘れ去られていた老ミュージシャン」だったと紹介され、エッとなった。
 こんなすさまじい音楽家たちを忘れてしまうってどういうことだろう。
 社会のせい? 貧しさのせい?
 それより何より、彼らは「老ミュージシャン」なのか?

 確かに「俺は5歳の頃に葉巻を始めて、85年吸い続けている(=つまり90歳)」なんて人が出てくるし、よく見ると、顔はみんなおじいちゃんである。
 しかしあまりにも演奏がパワフルで、彼らが「老ミュージシャン」とは全く思えない。
 疲れないのかな? 仲間とリラックスして楽しくやるから平気なのかな?
 ムダな力が一切入ってないのかな?

 とにかく奇跡のような演奏風景だった。

 映画に行く前に家で予告編を見ていたら、Dちゃんが、
「あっ、タラバガニの曲だ!」
 と言う。

 メインで使われている曲(Chan Chan)の歌詞の一部が、
「……タラバガニ〜♪」
 と聴こえるのだ。
 そのせいで「タラバガニ〜♪」って脳内で叫びながら号泣したよ……

 音楽好きな方にはたまらない映画だと思うので、機会があればぜひどうぞ。
 リバイバル上映は渋谷Bunkamura内のル・シネマで8/14(金)まで。
 DVDも出ています。

 映画館で見られると感動もひとしおなので、またリバイバル上映があると良いですね!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:44| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

タラちゃんとイクラちゃん

 子供の頃、アニメ「サザエさん」に出てくるタラちゃんが嫌いだった。
 聞き分けが良くて、
「こんなの大人の妄想の中の子供だよ。ケッ」
 と(「妄想」なんて言葉は知らなかっただろうが、概念としてこんなようなことを)思っていた。

 その点、イクラは良い。
 「チャーン」「ハーイ」「バブー」で会話してしまうところが妙だが(幼児が自分の意思を大人に理解してもらうのはそれほど簡単ではない)基本的に自分のわがままを押し通すので、ある程度、合格。

 しかし大人になってみて思うに、
「イクラちゃんの描き方はリアルで、タラちゃんはリアルでない」
 という訳ではなく、単に、
「私がイクラちゃんみたいな子供だった」
 というだけの話ではないか。

 もしかしたら、タラちゃんみたいな苦労性の子供もいるのかもしれない。
 自分が違うタイプなので、全く想像出来ないのだけれども。

 生後半年の私に、現在(38歳)の言語能力を与えたい。
 自分の気持ちを言葉にして伝えられないのは、恐ろしく不愉快だ。
 自分と世界の間に膜があって、その膜の中に閉じ込められているような気持ち。
 そりゃあ、泣きわめいて暴れるほかないよ。

 ここまで来るまで本当に辛かった。
 実は今でも辛い。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:43| 映画・映像 | 更新情報をチェックする