2020年11月21日

旅路

私は病という旅に出た
出てしまった
出たくなんてなかった

この旅路で、私は古い友人と再会した
彼女は大量の向精神薬を飲んでおり
時々自殺未遂をした

私は心配するふりをしながら
いつもちょっとあきれていた

私は彼女の苦しみをまるで理解していなかった
自分の思い通りにならない脳の働きが
体調と感情を掻き乱す
たとえ今日が平穏であっても
明日はどうなっているのか分からない

自分の体のはずなのに
自分の心のはずなのに
振り回されるしかない理不尽

我が身に起きるまで
想像もせずに
なんとか出来ると楽観していた

彼女の旅はきっと長くて
今どうしているのか、知らない

帰りたい 早く帰りたい
健康という家に

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「ペーパーウェル」という企画が現在開催中で、今回のテーマは「旅」だそうです(概要はこちら
参加する元気がないので暗い詩を置いておきます。
明るい作品は、明るくなれたら書けば良いので。

私の病気は精神病ではないのですが、精神にも影響が出るので治療前はかなりしんどかった。
今も治療が軌道に乗った訳ではなく(薬をとっかえひっかえしているところ。もちろんお医者さんの指示通りに)これからどうなるのかな…… と不安な日々を送っています。

ああ、これは「病という旅」なんだ、と思ったら、なんとなく納得できたのでした。
来たことのない場所にいて、心細く、人の優しさがいつもよりずっと沁み入る。

私は古い友人に全然優しくしなかった。
私に優しくしてくれる人たちはすごいな。

病気になって色々気付けた、勉強になった、良かった、なんて全く思えない。
健康が一番です。本当に。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:28| 自分 | 更新情報をチェックする

2020年11月10日

病気になって

自分の弱さを噛みしめている。
いやまあ、こうなるだろうなと予想はしていたけれど。

昨年亡くなった友人、速水さんのことをよく思い出す。
速水さんよりずっとずっと軽い病気なのに、速水さんみたいに立ち向かえずにいるよ。

「ギダさん(←速水さんは私をこう呼ぶ)は大丈夫!」
と心の中の速水さんが励ましてくれている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:53| 自分 | 更新情報をチェックする

2020年11月07日

落ち込んでいるだけで

寝込んでいる訳じゃないのでご安心を。
普通に家事も出来てます。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:03| 自分 | 更新情報をチェックする

2020年10月31日

病と生活に負けて

もう全然、小説を書くどころではないなぁ。
気付いたら、私の中は空っぽになっていた。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:41| 自分 | 更新情報をチェックする

2020年10月23日

困ったもんだ

「思い詰めちゃいけない」と思い詰めている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:01| 自分 | 更新情報をチェックする

今の私にできること

 本当に有意義なことをやるのは、大変。
 意義を感じられないことをやるのも、不満が残る。

 すごく有意義という訳ではないけれど、意義がないという訳でもない、というようなことをやりながら、つらい時期が過ぎ去るのを待つ。
 今の私にできるのは、それくらいかな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:12| 自分 | 更新情報をチェックする

有意義なこと

 私、息抜きをするのが下手だな、と思う。
 有意義なことをしなくちゃ、といつも焦っていて、意義を感じられないことを少しでも長くやっていると、イライラしたり、後悔したり。
 それで結局体を壊してしまって、私には「意義のない時間」が必要だったんじゃないか?

 コロナ禍になる前は、美術館へ行くのが一番の息抜きだった。
 コロナになるのが不安で、もうずっと不要不急の外出はしていない。
 美術館で美しいものを見ると、心が遠くに行く感じがする。

 私が有意義と感じることも、他人から見たら遊びにしか見えないだろうし、意義があるかないかは自分次第で曖昧だ。
 しかしここに「体を壊した私」がいるのは歴とした事実で、私はコロナ禍の過ごし方をもう少し工夫すべきだったのだろう。

 自殺する人が増えているというニュースを聞くと、まあそうだろうよ、と思う。
 とりあえずまだ生きている、というだけで、ラッキーな方に入るのかもしれない。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:26| 自分 | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

心に森を育てたい

 見たいものが見たい 読みたいものが読みたい
 書きたいものを書きたい 欲しいものだけ欲しい

 見たくないものは見たくない 読みたくないものは読みたくない
 書きたくないものは書きたくない 欲しくないものはいらない

 見たくないものを見せられる 読みたくないものを読まされる
 書きたくないものを書かされる 欲しくないものを買わされそうになる

 沢山の情報の中でどう生きていけば良いのだろう。
 見たいものだけ見るなんて視野を狭めると思われそうだけれど、自分の世界はある程度、系統立てて構築したい。

 自分の心の中に「森を育てたい」と思っているのに、その森には本来いなかった外来種を次々放り込まれて、
「これが豊かな森でしょ」
 と言われるような、そんな無茶さを常々感じている。

 もともと森に住んでいた在来種(=自分が何より大切にしたかったもの)が、気付かないうちに静かに滅んでいる。
 そういう事態を避けたい。

 本当の意味で豊かな森を育てるにはどうすれば良いのだろう。
 いつもそんなことを考えている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:04| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

へそから金貨が出る病気

 私の頭の中には、沢山の架空の人物が住んでいる。
 その人たちを登場人物にして小説を書く訳だけれど、小説の材料にするために彼らを作ったのではない。
 彼らがいるから、彼らを外に出すために小説を書くのだ。

 私は彼らの世界と現実の世界、半々で生きているので、100%現実で生きている人たちに比べると、かなりぼんやりしているのではないかと思う。
 こういうのって精神病の一種だろうかと、時々不安になる。

 しかし彼らが私に害を与えたことは一度もないのだ。
 現実の人間は私を傷付けたり、悩ませたり、困惑させたり、不愉快にしたり、嫌なことを色々してくる。
 けれども架空の人物たちは、絶対私にそんなことしない。

 私が喜んでいると一緒に喜んだり、私が悲しんでいると一緒に泣いたりする。
 彼らがいるおかげでずいぶん心が楽になっている気がする。
 まあ、そっちの世界に行っちゃって家事がおろそかになったりするのは少し困るかな。

 へそから金貨が出る病気がもしあったとしたら、それを治すべきだろうか。
 確かに異常事態だ。
 でも治してしまったら、金貨が出てこなくなる。

 私のへそからは残念ながら(?)金貨は出てこない。
 しかし頭の中には次々に実在しない誰かがやって来て、何年も住み続け、お互いに知り合って社会を築いている。
 彼らを描いた小説はあんまりお金にならない(ほんと、残念ながら……)
 けれどもお金以上の何かを私にくれる。

 私はこの不思議な病気を、大切に守ろうと決めている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:23| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

分かりやすい苦労 分かってもらえない苦労

 家族の介護の話をすると、周囲の人たちはすぐに「大変だね」と同情してくれる。
 介護というのは「分かりやすい苦労」であるらしい。

 しかし私にとっては介護より「過労サラリーマンの妻」であることの方が大変だ。
 生活が不規則になって体がダルくなるし、Dちゃんが体を壊すんじゃないかと心配で気が滅入る。
(そしてたいてい、Dちゃんより私の方が先に体調を崩す)

 ダンナが忙しくて、と話しても、その本当の辛さを理解してもらえることはほとんどない。
 愛する者が虐待されているのに、自分はどうすることも出来ない、という苦しさだ。
 さらに自分まで(不規則な生活、という形で)巻き込まれる。

 ダンナの過労を嘆くのはもうやめた方が良いのかもしれない。
 理解してもらえなくて悲しい気持ちになるだけだから。

 世の中には「相手が苦労していないと気が済まない」という不思議な習性を持つ人が多くいる。
 こちらがのんきな話ばかりしていると、
「○○(←やり始めたら苦労すること)をした方が良いんじゃないか」
 と勧めて来たりするの。
 あれは何なんでしょうね?

 そういう人のために「分かりやすい苦労(私の場合、介護)」を用意しておくと便利だ。
「介護で忙しいから○○は出来ない」
 って言えるから。

「ダンナが忙しくて辛くて、○○する余裕はない」
 と言っても納得してもらえない。
 こちらの方が真実なのに。

 介護で苦労している人のフリをしつつ、過労サラリーマンの妻として苦労する。
 人生は不条理劇にそっくりだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:15| 自分 | 更新情報をチェックする