2017年11月14日

心に森を育てたい

 見たいものが見たい 読みたいものが読みたい
 書きたいものを書きたい 欲しいものだけ欲しい

 見たくないものは見たくない 読みたくないものは読みたくない
 書きたくないものは書きたくない 欲しくないものはいらない

 見たくないものを見せられる 読みたくないものを読まされる
 書きたくないものを書かされる 欲しくないものを買わされそうになる

 沢山の情報の中でどう生きていけば良いのだろう。
 見たいものだけ見るなんて視野を狭めると思われそうだけれど、自分の世界はある程度、系統立てて構築したい。

 自分の心の中に「森を育てたい」と思っているのに、その森には本来いなかった外来種を次々放り込まれて、
「これが豊かな森でしょ」
 と言われるような、そんな無茶さを常々感じている。

 もともと森に住んでいた在来種(=自分が何より大切にしたかったもの)が、気付かないうちに静かに滅んでいる。
 そういう事態を避けたい。

 本当の意味で豊かな森を育てるにはどうすれば良いのだろう。
 いつもそんなことを考えている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:04| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

へそから金貨が出る病気

 私の頭の中には、沢山の架空の人物が住んでいる。
 その人たちを登場人物にして小説を書く訳だけれど、小説の材料にするために彼らを作ったのではない。
 彼らがいるから、彼らを外に出すために小説を書くのだ。

 私は彼らの世界と現実の世界、半々で生きているので、100%現実で生きている人たちに比べると、かなりぼんやりしているのではないかと思う。
 こういうのって精神病の一種だろうかと、時々不安になる。

 しかし彼らが私に害を与えたことは一度もないのだ。
 現実の人間は私を傷付けたり、悩ませたり、困惑させたり、不愉快にしたり、嫌なことを色々してくる。
 けれども架空の人物たちは、絶対私にそんなことしない。

 私が喜んでいると一緒に喜んだり、私が悲しんでいると一緒に泣いたりする。
 彼らがいるおかげでずいぶん心が楽になっている気がする。
 まあ、そっちの世界に行っちゃって家事がおろそかになったりするのは少し困るかな。

 へそから金貨が出る病気がもしあったとしたら、それを治すべきだろうか。
 確かに異常事態だ。
 でも治してしまったら、金貨が出てこなくなる。

 私のへそからは残念ながら(?)金貨は出てこない。
 しかし頭の中には次々に実在しない誰かがやって来て、何年も住み続け、お互いに知り合って社会を築いている。
 彼らを描いた小説はあんまりお金にならない(ほんと、残念ながら……)
 けれどもお金以上の何かを私にくれる。

 私はこの不思議な病気を、大切に守ろうと決めている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:23| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

分かりやすい苦労 分かってもらえない苦労

 家族の介護の話をすると、周囲の人たちはすぐに「大変だね」と同情してくれる。
 介護というのは「分かりやすい苦労」であるらしい。

 しかし私にとっては介護より「過労サラリーマンの妻」であることの方が大変だ。
 生活が不規則になって体がダルくなるし、Dちゃんが体を壊すんじゃないかと心配で気が滅入る。
(そしてたいてい、Dちゃんより私の方が先に体調を崩す)

 ダンナが忙しくて、と話しても、その本当の辛さを理解してもらえることはほとんどない。
 愛する者が虐待されているのに、自分はどうすることも出来ない、という苦しさだ。
 さらに自分まで(不規則な生活、という形で)巻き込まれる。

 ダンナの過労を嘆くのはもうやめた方が良いのかもしれない。
 理解してもらえなくて悲しい気持ちになるだけだから。

 世の中には「相手が苦労していないと気が済まない」という不思議な習性を持つ人が多くいる。
 こちらがのんきな話ばかりしていると、
「○○(←やり始めたら苦労すること)をした方が良いんじゃないか」
 と勧めて来たりするの。
 あれは何なんでしょうね?

 そういう人のために「分かりやすい苦労(私の場合、介護)」を用意しておくと便利だ。
「介護で忙しいから○○は出来ない」
 って言えるから。

「ダンナが忙しくて辛くて、○○する余裕はない」
 と言っても納得してもらえない。
 こちらの方が真実なのに。

 介護で苦労している人のフリをしつつ、過労サラリーマンの妻として苦労する。
 人生は不条理劇にそっくりだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:15| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年10月24日

どうせあと数十年

 最近は、
「人間でいるのも、女でいるのも、日本人でいるのも、どうせあと数十年のことなんだ」
 と思って、その日にやる事を決めるようにしている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:49| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

柳田のり子を讃えるうた

生前は無名のまま過ごし
死後も永遠に無名だった

無名、とは言え
彼女には「のり子」という名前があった

それはあまりにも平凡過ぎ
小学校の通学班では十人のうち三人が
「のりこ」で
混乱を来すほどだったが

彼女が生涯愛した男は
朝な夕な数限りなく
のり、と
甘やかに呼び続け

それはまるで
世界に一つしかない鈴の音のように
美しく響いた

有名になれ!
名を轟かせよ
無名なものに価値などない
という
世間の合唱

耳を澄まして
どうか聞き取って欲しい

世界中で
美しい鈴が鳴り響いていることを
 
posted by 柳屋文芸堂 at 01:50| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

すごく良い人生

 一週間以上前に引いた風邪、まだ尾を引いております。
 のどの炎症が完治しないんだよね。
 それでも毎日暑くて汗をかくので風呂に入らない訳にもいかず、出てきたらやっぱりちょっと悪化していた。
 粘膜が腫れているのか、息苦しい。

私「朝起きた時に、窒息して死んじゃっていたとしても、私の人生はすごく良い人生だったから」
D「いきなりこれまでのことを振り返らないで……」

 Dちゃん、困惑。
 今朝はちゃんと生きたまま目覚めることが出来てホッとしました(死んだまま目覚めたら大変だ)
 でも夜中じゅう、ずーっとうなり声を上げていたそうです。
 苦しかったんだな。うるさくしてごめんよ、Dちゃん……

 昨日は何となく言葉の流れで「良い人生」と言ったけど、改めて考えてみると、本当に私の人生は良い人生だった。
 好きなことが出来たし、好きな人に好きになってもらえたし。
 いつ死ぬかに関係なく「良い人生」と思えるよう、これからも自分の行動をこまめにチェックしていこう。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:56| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

嫉妬から得られたもの

 若い頃はずいぶん色んな人に嫉妬した。
 自分より綺麗な人、なんてのは割とどうでも良くて、自分にない才能や能力のある人が妬ましかった。
 文学部に進まなかったのも、自分より文才のある人たちに出会って筆を折るのが怖かったから。

 若い心は敏感過ぎて、何かと不便だった。
 でも、嫉妬から得られたものもけっこうある気がする。

 自分にないものを持っている人がいたら、まずは観察した。
 普段、どんなことをしているか?
 例えばその人がSFの本をよく読んでいたら、まねして同じ本を読んだ。

 同じことをすれば、すぐにその人の才能が手に入る、なんて訳がない。
 一挙手一投足全て同じにしたって、きっと無理だろう。
 その人と私は違う人間なんだから。

 その代わり「私の頭や心が受け取るもの」が必ずある。
 そうやって嫉妬がきっかけで始めたことから、沢山の知識を得た。
 妬ましさが、知識を吸収する力を強くしていた。

 嫉妬してしまうのが辛い、と感じている人は、とりあえずその気持ちを利用してしまえば良い。
 嫉妬力が弱まったら使えなくなってしまう技なので、あるうちに大切にして。

 私の場合、歳を取ったら嫉妬しなくなったのだけど、これは多くの人に当てはまることなのかしら?
 おばさんって本当にラクで良いと、しみじみ思います。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 21:50| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

ゆっくりと少しだけ

 平易なものを速く大量に消化するより、難解なものをゆっくりと少しだけ味わう方が好きだ。
 何となくそうじゃないかなとは感じていたけれど、Twitterで自分の情報の処理能力の低さを思い知ったり、好きなものについて話すたび「難しいでしょう?」と言われたりして、ようやくはっきり分かってきた。

 難解なものが好きと言っても、それをすぐ理解出来る訳じゃない。
 頭や心をモヤモヤさせて、
「いったいこれはどういうことなのかなぁ……」
 と考え続けるのが楽しいのだ。

 考え続けると(もちろん途中、忘れて、ある時全く関係ない場所でヒントをもらって)
 10年後くらいに、
「あっ!」
 と答えを見つけたりする。

 現代人に求められるのは「速く大量に」の方で、難解なものを好むと気取っているように思われたりする。
 けれども単純に「心に合うか、合わないか」だ。

 「速く大量に」が合う人は、どんどん速く大量に知識を出し入れしたら良いと思う。
 「ゆっくりと少しだけ」の人たちは、急流に巻き込まれないようにしよう。
 方法は違っていても、それぞれ得られるものがちゃんとあるのだから。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:22| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年05月03日

文化の国の国粋主義者

 右傾化とか愛国という単語をよく聞くようになったのに、笙を吹いたり烏帽子をかぶったりする人が一向に増えないので、不思議に思っていた。
 右とはどこのことなのだろう。
 国を愛するという時に、国の何を愛するのだろう。

 私は子どもの頃から和太鼓をやっていて、今は三味線を習っている。
 狂言で卒論を書いたし、文楽や歌舞伎も見に行く。
 昆布とかつお節(もしくは煮干し)でダシを取って味噌汁を作るのが好きだ。
 見方によっては「かなりの愛国者」かもしれない。

 けれども私は学生時代、トロンボーンとコントラバスも演奏した。
 毎日のようにクラシックやジャズを聴くし、蒸し暑い日にはガムランのCDをかける。
 ドイツ産のキャベツの漬物を煮てシュークルット(フランス料理)を作るのが好きだ。

 スペインの建築に憧れており、ベルギーの絵画も愛している。
 モロッコのスパイスを使い、ウズベキスタン風のサラダを作る。
 インドとスリランカの紅茶を飲み、タイの調味料(ナムプラー)を常備している。
 中国人の書いた小説を読み、韓国料理(ビビンバやサムゲタン)を食べる。

 節操ないな…… と思っていたのだけど、すぐに気付いた。
 私は「文化」が好きなのだ。
 芸術はもちろん、食べ物だって「食文化」

 それがどこの国のものかなんて関係ない。
 文化に興味を持っていない日本人より、芸術のために生きている外国人の方に仲間意識を持つ。

 文化の良い所は「違い」が「面白さ」に感じられるところだと思う。
 世界中の絵画がまるっきり同じ画風で描かれていたら、つまらないよねぇ。
 旅をした時の、その土地の料理を味わう喜び。

 「愛国」を「他の国を嫌うこと」だと考えている人たちが増えている。
 そういう人たちと戦おうとは思わない。疲れるから。

 私は文化の国の住人として右傾化しよう。
 ひっそりと。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:53| 自分 | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

焦らなくたって自然と汚れていくのに

 子どもの頃、ガードレールが自分の目線より上に見えるのが腹立たしかった。
 守られているのが嫌だった。
 安全でクリーンなものだけ与えられているのに気付いていた。

 隙間から見える本当の世界を、もっと知りたいと思っていた。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:52| 自分 | 更新情報をチェックする