2014年12月16日

本業

 小説を熱心に書いたとしても、全員がプロになれる訳ではない。
 しかしお金を稼げるかどうかに関係なく、言葉や世界に意識的になれるのは良いことなんじゃないか。

 もし小説を書いてなかったら、私は全然違う私になっていただろう。
 想像出来ないくらい遠い私。

 自分の能力をもっと分かりやすい形で発揮して、評価されていたかもしれない。
 世界の仕組みを一つも理解出来ないまま、不安な毎日を送っていたかもしれない。

 もしもの私を、なかなか上手く設定出来ない。
 それは明らかに、私ではないから。

 書こうという気持ちがあるから、言葉を集める。
 書こうという気持ちがあるから、世界を知ろうとする。

 こういうその人をその人にしている核のようなものを、みんな持っているんだろうな。
 繰り返すけれど、お金を稼ぐ方法とは関係なく。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:41| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

心とお金の準備

 人間は、
「すぐ死んでしまうこと」
「ずっと生きてしまうこと」
 両方に備えなければいけない。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:48| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年11月11日

難解な世界で生きること

 科学の理論や現代美術など「難解なもの」を毛嫌いする人は多い。
 そういう人たちは、生きていく上で難しい問題にぶつかったらどうするのだろう。

「生きるだけで大変なんだから、余分な問題なんて考えたくない」
 という気持ちはよく分かる。
 けれども生きるのが難しくなるのは、失敗したり、思わぬことが起きたり、
 「予想していた道を踏み外してしまった時」だ。

 そうなってから考え始めたら、答えにたどり着くのにすごく手間取るんじゃなかろうか。

 世界はもともと難解だから、そこで生きるのも難しい。
 常日頃から難解さに馴染んでおくことが大切だと、私は思っている。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:35| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年10月19日

能力の使い道

 結婚前、バイト先で、
「頭が良いんだから正社員になれば良いのに」
 と言われたことがある。

 好きでバイトしてんじゃねーよ! とか。
(最初の職場はサービス残業に耐えられず退職。
 二つ短期バイトをはさみ、次の正社員での勤め先は三年弱で閉店)

 本当に頭が良かったら↑のような経験を避けることも出来たのでは…… とか。
 まあ色んな思いが交錯したのですが、一番強く感じたのは、
「能力をお金のために使わなくたって良いじゃん!」
 ってこと。

 自分の脳みそがどれほどのものかは分からないけれど、
 私は人生を楽しむためにそれを使い切っている。

「自分の能力でお金を稼ぎ、そのお金を使って楽しむ」
 という方法だけでなく、
「自分の能力を使って楽しむ」
 というお金を介在させないやり方だって十分あり得ると思うのだ。

 確かに能力を一度お金に変換しちゃえば、見えやすいし計りやすいし比較しやすい。
 「正社員」という立場や、企業名・役職名も同じこと。
 でも私はそういう分かりやすいものでは全然満足出来ないんだ。
 もやもやとしたものに対峙して目を凝らし、正体不明のものを拾い集めることにしか興味がない。

 多くの人が、お金を信じ過ぎているように感じる。
 世の中はお金で買えないものだらけなのに。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:15| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年10月12日

性別

 私は性同一性障害ではないし、明確な同性愛者でもないけれど、
「女なら普通やるよね」
 ということが全然出来ないし、かといって男っぽい訳でもない。

 世間で設定されている性別の範囲って、狭過ぎやしないか。
 どこにも入れないまま呆然としている。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:00| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

道楽おばさん

 明日は三味線の勉強会です。
 この夏は楽器を弾きまくり、美術を見まくり、本を読みまくりで、楽しかったな〜
 勉強会が終わったら旅行記の印刷と製本だー!
posted by 柳屋文芸堂 at 00:21| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

文学的ジャイアン

 私は小学生の頃、ポエトリーリーディングをしていた。
 近所の図書館では司書さんが子どもたちに本の読み聞かせをする「おはなし会」というイベントが開催されていた。
 そこに自作の詩を持って行って、
「読ませてください!」
 と言うのである。

 面白いなと思うのは、子どもの頃から徹底して、
「自分の作品を発表したい」
 という気持ちが強いこと。
 自分一人でノートに書いているだけでは満足しない。

 「言葉」というのが元々「伝える」ための発明品だからだろうか。
 「伝えたい」という欲望は他人がいて初めて成り立つ。

 ジャイアンが人に迷惑をかけないようにするには、
 「上手くなるか」「一人で歌うか」
 のどちらかだ。
 
 一人で歌っていては満たされない。
 結局のところ、上手くなるために全力を尽くすほかないのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

惹かれる、とは

 尊敬出来る人の作品だけを見たり聴いたり読んだりしたいなー、と思っている。
 尊敬出来ない人の作品が評価されているのを知って、
「なんであんなのが!」
 と罵ったりしたくないから。
 
 尊敬する人の作品の中にも異質なものはあるはずで、
「自分と同質のものだけに触れたい」
 というのとは違う。

 時々、尊敬出来ない人の作品をわざわざ見たり聴いたり読んだりしてしまうことがある。
 心の中で悪口を言った後、
「なんでこんなことしちゃうんだろ?」
 と後悔する。

 人は何故か、素晴らしいものだけに触れたがる訳じゃない。
 見たり聴いたり読んだりしたい、という欲望は複雑だ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:22| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

文化のお母さんになりたい

 私は子どもを産めなかった(産まなかった?)ので、せめて、
「『文化のお母さん』になりたいなー」
 と思ったりする。

 「文化」と言うと、意味が広過ぎて曖昧ですね。
 でも、私が好きなものはいっぱいあって、そういう言葉じゃないと包括出来ないのだ。
 文学、語学、漫画、美術、音楽、演劇、科学、食文化……
 日本の、外国の、大昔の、新しいの。

 母親ならばまず産まなければ。
 小説を書く。三味線を弾く。
 で、出来の悪い子ですみません。

 そして育てる。
 このブログの紹介文が愛好者を増やすのに役立っていれば良いけれど。

 お母さんがやるべき一番大事なことは何だろう。
 私が母にやってもらって一番嬉しかったのは、
「常に味方でいてくれる」
 ということだった。

 たとえば学校の教師が私を気に入らず、呼び出しを食ったとしても、
「うちの子は悪くない! あなたたちがおかしい!」
 とケンカをしてくれた。

 私は完璧な人間ではない。
 子どもの頃などさらに不完全極まりなく、私の方が悪かった場合もあったかもしれない。
 それでも母親は絶対的に私の味方だった。
 その安心感が私の芯だ。

 私も文化の味方でいよう。
 絶対的な味方でいよう。
 世界がさらに不自由で不寛容な場所になったとしても。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:13| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年04月25日

何のために生きるか

 大学卒業後、最初に就職した会社では、サービス残業が当たり前だった。
 何しろ正社員で働くのは初めてだったから、
「これに耐えなきゃいけないのかな?」
 と思った(初めての恋人がDV男、みたいな感じですね)

 朝から晩まで仕事のことを考え、休日も仕事に役立つ資格の勉強をしたりしているうちに、私の心はどんどん死んでいった。
 駅で電車を待っていると、ホームと線路の境目が分からなくなり、入ってくる電車の前にすっと出てしまいたくなった。

 バカバカしいな、とすぐ気付いて人間をやめずに会社をやめたのだけど、私は仕事人間になれないのだなあ、ということを思い知った。
 何かが足りなくなるのだ。
 白米ばかり食べているうちにビタミンB1不足になって脚気になってしまうような感じ。

 不足したのはおそらく、芸術だと思う。
 もしくはもっと大きく、文化。
 仕事だって文化のうちなのにね(就職する前はそう考えており、サービス残業にも耐えられる気でいた)

 その仕事は、社会や暮らしを便利にすることを目的にしていた。
 私は「便利さ」をあまり大事に思っていないのだと気付いた。
 もちろん完全否定はしない。
 「便利さ」のために、1日7時間くらいなら働けたかもしれない。
 12時間とかはムリ。残業代なしもダメ。

 美と真理のために生きよう。
 私はあの時、そう決めたのだ。

【おまけ】
 「サービ」と入力したら変換候補に「サービス残業当たり前」が出てきた!!
 枕詞かよ。
posted by 柳屋文芸堂 at 02:13| 自分 | 更新情報をチェックする